わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

絵がほしい~人間タワー・鬼バトル

「や、あっちは感動路線で番組作ると思うけど、こっちは真っ向から反対で、組体操どうなの?って主張の特集になる。そうしたらネット上で全面戦争的な。PVも稼げるからその方がかえって面白くなるかもしれない。できれば、落ちた子をちゃんと撮ってる動画がほしいんだよね。もちろん出所は伏せるけど、ある意味、そういう危ない芸当をさせる教育の現場に声を上げていく意義もあるっているかさ」

 朝比奈あすか『人間タワー』,第一話の山場といっていいシーンです.なお,https://www.bunshun.co.jp/mag/bessatsu/bessatsu323.htmより立ち読みできる中には,入っていません.

人間タワー (文春e-book)

人間タワー (文春e-book)

 上の発言の直後は,段落をかえて,「遼は、貴文に興味がない。」「徒競走の一位も、頑張った玉入れも、小学一年生の今しかできないあの可愛らしいダンスにも。」と続きます.地の文です.
 第一話は,雪子の視点と心理で話が進みます.貴文は雪子の子で,遼は元夫でライターをしています.久しぶりに元夫から電話がかかってきて,2人の子・貴文の運動会での活躍をしゃべる中で,撮ったビデオを「……見にくる?」と,雪子のほうから誘うセリフもあります.
 電話の主導権が遼に移ると,なぜ電話をかけてきたかが,雪子,そして読者にもありありと分かるようになり,そのクライマックスが,冒頭のセリフというわけです.これを聞いた雪子は,すっかり冷めてしまい,「無理だと思う」「これからは、直接電話してくるのはやめて、弁護士さんを通してください」「あなたのためには撮っていません」といった返答を,送っています.
 組体操を離れて「“絵”がほしい」という心理を,最近どこかで読んだことがあるんだけどと思い出しながら,記憶をたどると,家族旅行での出来事でした.
 平成最後の日だったと思います.駐車場に車を止め,妻と父母が建物に入り,自分と,子らが車内で留守番することになったときのことです.「動画見せて」とせがまれ,外出先で動画はなあと渋っていたところに,ナナオクプリーズの「死語だらけの走れメロス」を思い出しました.
 検索してページを見つけ,声に出して読んでみました.いつ何のために使われた死語なのかよりも,単純にそれぞれの死語の響きに,子らは笑ってくれました.
 まだ時間があったので,面白おかしいお話ではないけどまあ聞いてやと,桃太郎シリーズの中から以下を見つけて読み上げました.

 桃太郎が鬼と戦う場面で,“絵”をほしがったのは,犬・猿・キジでした.

 混乱する桃太郎の上空高く、キジはその戦いの様子をじっと見下ろしていました。
「これだよこれ。誰かと誰かの争いを煽って、安全な位置から好き勝手言いながら高みの見物をキメて笑う。これが唯一の俺の楽しみ、俺の生きがいなんだよ。ああ、なんて楽しいんだ。ほらほらもっと争え、憎しみ合えよ。今夜の酒が美味くなる!」

「何やってるんだ桃太郎! やれ、やるんだよ! こういう悪徳非道な奴らはもう二度と悪さが出来ないように徹底的にやれ! こいつらのやったことを思いだせよ! 戦え! 俺達が正義なんだ! 戦ってそれを示すんだよ!」目をひん剥きながら犬が吠えます。
「さっさと戦え! 見映えがしないだろ! みんなはお前が鬼を斬り捨てて血みどろにする光景を求めてるんだ! 俺にはその期待に応える義務があるんだ! なんなら負けてもいいから、戦って戦って面白いことしてくれよ!」頭をかきむしりながら猿が喚きます。
「戦え! 戦って俺を楽しませろ! ああ、イライラする! お前は俺に消費されるコンテンツだろ! 俺を満足させられないならお前なんか要らないんだ! 俺の前で争え! 俺に醜いケンカを見せろ! 退屈させるんじゃないぞ!」涎を垂れ流しながらキジが鳴きます。

 「戦いたくない桃太郎」については,全文が公開されていることもあり,そのあとさきを書くのは差し控えたいと思います.
 2つを読み直して,単純に「“絵”がほしい」なのではないことに,気づきました.組体操も桃太郎のバトルも,“絵”を,活躍した本人ではなく,その周囲のものが望んでいます.そして組体操では「落ちた子」,桃太郎のパロディでは「負けてもいいから」という表現で,本来の活躍でないところを期待しているのも,共通点となっています.


 組体操に関していろいろ思いながら書いた,以下の雉もとい記事に,今週,検索エンジン経由でアクセスが目立ちました.

 そのページを読めば,誰でも失敗せずに組むことができるだとか,反対に,7段ピラミッドの危険性が誰の目にも明らかだといった内容では,ありません.
 キジのような高みの見物ではなく,地に足をつけて,当事者の感情(感動ではなく)に寄り添うことを,していきたいのですが,組体操に限らずなかなかうまくいきません.