わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

土曜日の午前は,法事

 朝は7時台の貴志川線の電車に乗りました.
 昨年の3月30日に他界した(と,死体検案書に書かれた)実家の母の一周忌です.兄からのメールで,3月22日の午前中と言われたときには,研究会と重なっているなあと思ったのですが,開式時刻と場所から,「朝一周忌昼研究会」は,なんとかなるかなと考えるようになりました.
 小学生のときだったか,母が「法事と,結婚式なんかのお祝い事がおんなじ日にあるときは,法事が先,お祝い事があとやったら,どっちにも出席してええんやで」と言っていたのも,思い出しました.
 服装と持ち物ですが,ズボンは黒のものを午前も午後も着ます.白の長袖シャツも同様です.上に着るのは,ダークスーツで1日を通すのでもよかったかもしれませんが,法事用のダブルのスーツ(それと黒ネクタイ)を,ガーメントバッグに入れて持参しました.電車の移動中はダークスーツで,南海本線堺駅のトイレで着替えました.改札を出て裏手にコインロッカーがあり,ガーメントバッグのほか,ノートPCなどを入れていたリュックサックも,そこで預けました.堺駅と一周忌の会場(お寺)との往復は,手ぶら,と言いたいのですが財布をズボンのポケットに入れ,通話ができるスマートフォンと,ドラクエウォークができるスマートフォンは,手に持って歩きました.
 自分が通っていた小学校の校区に入り,中之町公園はまだ桜が開花しておらず,ある交差点でドラクエウォークの卵が孵化して次の卵を設定しているときに,黒の服装の3人組を見かけました.兄夫婦と,甥っ子くんです.
 ということで合流し,もう少し歩いて,お寺に到着しました.一昨年の5月,父の三十三回忌のため,母と兄と自分とで来たとき以来です.
 予約していた9時半に入り,正信偈を読んだりして,次は三回忌ですねよろしくと互いに言って,お寺を出たのはちょうど10時でした.4人で,兄の家の前まで歩きました.これから帰るんかと言われたので,いやこれから研究会があって,自分は運営する側で,場所は茨木で,などと言い,家に入って仏壇の前で拝むことをせず,離れました.

 母が目を輝かせていたとき,法事の「お供え」はすべて母任せでした.「あんたらの分も,母さんがやっといたからな!」が口癖でした.
 しかしこれからの法事ではそうもいきません.自分と兄のスケジュールの都合で,この日や,事前にも,直接家に行き「お供え」を置くことができなかったので,法事に間に合うよう,現金書留を送りました.お供えの袋(と現金)だけでなく,すえの子の卒業日に撮影した写真も同封し,写真の裏側には,母がよくやっていたように,日付と出来事などを,細い油性ペンで手書きしました.