日曜の午後,メールを送って,ノートPCを閉じてからのことです.
眠くなく,病棟内を散歩しようという気にもならず,かといってPCやスマートフォンばっかり見てもなあという思いがありました.
リュックサックに新書本を1冊,入れていたのを思い出しました.左手を心臓より下にすると痛みが走るので,いったんリュックサックをベッドの上に置いて,チャックを下ろし,本を取り出して,リュックサックを床の上に戻しました.
本は,渡邉雅子『共感の論理─日本から始まる教育革命』です.
ともあれベッドの上で座って,しおりをつけていたところから読んでいくと,「四つの教育原理」(p.70)という小見出しのあと,経済原理・政治原理・法技術原理・社会原理が紹介されていました.カッコ書きで国名も挙げられており,順にアメリカ・フランス・イラン・日本です.
法技術原理に基づくと,学校における作文指導がどのようになるのかについて,pp.82-83で詳しく述べられていました.
法技術原理を体現するイランのエンシャーと呼ばれる作文では、序論で比喩によって主題を表現し、本論では比喩に関連づけて主題の内容を説明する。結論で作文のメッセージを的確に表現する「諺」、「詩や聖典の一節」「神への感謝」のいずれかを結びの言葉とする。宗教の教義も自然法も法律も、確固たる真理、あるいは所与の前提とされているため、それを個人が批判的に検討したり、別のあり方を模索したりすることは想定されていない。それゆえに学校で教える作文は、論証ではなく「文学的断片」という形を取り、主題を比喩的に扱う。簡潔性や明晰性よりも、比喩を駆使した格調高く美しい文章表現に価値が置かれる。比喩を解釈していけば、教訓が見つかるはずだからである。どのような主題を扱っても最後には諺や著名な詩の一節、神への感謝と賞賛で結論づけることによって、この世の真理と神が示した真理へと到達する作文の型が示されている。作文のモデルは教訓譚や逸話である。教科書や権威ある書物の丸ごとの暗記が教育法の中心であり、独創性や新奇性は求められない。求められている人間像は真理を規範として保持する「遵法者」としての自己である。
四つの教育原理*1に基づく作文教育の特徴を読んでから,しおりを挟んで本を閉じ,担当科目に取り入れられないか,検討してみました.演習科目の第3回で,これまで,ソケットを使用したクライアントプログラムを日本語で説明する課題に取り組んでもらっているのですが,アメリカ(5パラグラフエッセイ),フランス(ディセルタシオン),イラン(エンシャー),日本(感想文)のいずれかを取り入れた文章を書いてもらうのです.1つの答案に全部を入れるのは無理があるので,学生番号をもとに,誰は何と決めておきましょうか.詩や聖典については,UNIX哲学を持ってくることは,可能でしょうか.…
とはいえ10秒ほどで断念しました.プログラムの説明に,それら4つの「型」のどれが最適というわけではなく,いずれも同じくらいに適切でないように思えたのでした.
月曜の午後にノートPCを開いて,1年前の授業課題の詳細を読み直してから,前週金曜23:59を期限としていた課題の答案を回収し,一つ一つに評点をつけていきました.
ここまで,今回取り上げた本に基づき「作文」を対象としてきましたが,イランの授業事例は,以前に紹介しています.「算数」です.
『共感の論理』で社会原理(日本)の説明に取り入れられている,「共感による連帯」(p.72),「児童生徒と教師の相互作用」(同),「当事者性と切実性」(p.83)は,算数・数学教育にも当てはまるように思えました.
*1:「四原理のもとになる四つの領域(略)は、どの社会にも存在し、社会を成り立たせるために必要不可能なものである」「一つの普遍的で絶対的な徳や教育の形があるわけではない」(いずれもp.73)にも注意。
