わさっきhb

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これ助兵衛の致す処か―1917年の猥褻,2015年のJKイラスト

http://togetter.com/li/889250のツイートまとめの中に,あ,これはあれじゃないかと,驚かずにはいられなかった特徴書きがありました.唯一の赤字になっている箇所が「これ」です.
「あれ」というのは,永井荷風 猥褻独問答の一節です.該当箇所を抜き出します.

○市中電車の雑沓と動揺に乗じ女客に対して種々なる戯をなすものあるは人の知る処なり。釣皮にぶらさがる女の袖口より脇の下をそつと覗いて独り悦に入るものあり。隣の女の肩にわざと憑り掛りあるいは窃に肩の後または尻の方へ手を廻して抱くとも抱かぬともつかぬ変な事をするものあり。女の前に立ちて両足の間に女の膝を入れて時々締めにかかる奴あり。これらの例数ふるに遑あらず。これ助兵衛の致す処か。飢ゑたるの致す処か。助兵衛は飽きてなほ欲するものをいふなり。飢ゑたるものは食を選ばず唯無暗にがつがつするなり。飽けば案外おとなしくなるなり。

ちなみに『猥褻独問答』は,青空文庫収録作品のイントロ収集を実施した際に知りました.4日前のことです.
「ワ」で始まる作品名の3番目だったほか,イントロ100字を取り出したとき「猥※[#「褒」の「保」に代えて「執」、U+465D、245-2]」が引っかかりまして,これは「[」から「]」までを取り除けばいいんだなと理解してRubyのコードに手を加えました.
それで一応,問題のないイントロ抽出ができてから,『猥褻独問答』の本文のソースをみたとき,字数が少ないことに気づいて,全文に目を通したのでした.
「女の前に立ちて両足の間に女の膝を入れて時々締めにかかる奴あり」なんて,今やったら痴漢行為でしょうね.
ところで『猥褻独問答』はいつ書かれたのでしょうか? 永井荷風が明治から昭和にかけての小説家なのは知っていましたが,青空文庫の本文ページにも,図書カード(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/card49675.html)にも,wikipedia:永井荷風にも,いつ書かれたかが載っていません.
検索するとasin:B009B1POUKというのが見つかりまして,その内容紹介で「初出は「文明」第15号[1917(大正6)年]」とあります.
黙翁日録: 永井荷風年譜(22) 大正6年(1917)満38歳 日記「断腸亭日乗」を書き始めるというのがヒットしました.以下の記述を目にして,おーいおいおいな気分になりました.

6月7日
井上唖々『馬物語』、荷風『猥褻独問答』によって、「文明」編集人籾山が警視庁に呼び出される。

呼び出しの理由は,おそらく「圧力」でしょう.『猥褻独問答』の内容をわいせつと判断したかは分かりませんが,「当路の官吏しばしば治績を世に示さんとするや必ず文学美術演劇の取締を厳にし加ふるに淫売狩を以てす」のところを読んだ「官吏」が,何か行動するのは(作家本人ではなく編集人に圧力をかけるのも),想像に難くありません.
数日前に,はてブでコメントした「カチンときたか」(http://b.hatena.ne.jp/takehikom/20151019#bookmark-269156069)とも,重なってきます.
とはいえ,昔と今とで,取り締まり(摘発や逮捕に至らなくても)の対象が違うのも無視できません.
むしろ,「これ助兵衛の致す処か。飢ゑたるの致す処か。助兵衛は飽きてなほ欲するものをいふなり」のところが,冒頭の一連の画像ツイートを,好奇の目でもって読んだ人々にも,当てはまるんじゃないかと思いました.ツイートした人そして永井荷風もまた,該当するのかどうかは,あいにく判断できません.


本日の記事タイトルの「JKイラスト」は,以下の匿名ダイアリーによります.なるほどの考察です.