わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

トラックバックにお答え

徳保さんから2件,トラックバックが来ましたので,読み直しました.

2011-06-30 子どもが食事中に遊びだす理由と対処法

これは,7月5日の自分の対処が失敗でした.最初に挙げたエントリを全部読んでもらった上で,次のことを尋ねればよかったのでした.

「(勝手口のドアを開けて入り込み)ママ〜〜」がなかったら,言い換えると,閉められたドアの前で「ママ〜〜」と泣くばかりだったら,日記に書いていただろうか?

このように問題設定*1をすれば,これについては明確にnoです.
200を超える当雑記の親馬鹿エントリから,どんな話を,親馬鹿エントリとして取り上げるかというのが,把握できるようになっています.「ドアの前でママ〜」は,それに合致しません*2し,あえてスタイル違いをしてみるにしても,これでは斬新さもインパクトも出せません.
子どもが食事に飽きたとき親が考えるべきことの引用の仕方も,同じです.これで切られたのでは,そしてそこまでの記述で文句を言われるのでは,書いたほうとしてははなはだ残念です.
それで残念で終わるだけでなく,次の記述について,疑問が出てきます.

少し補足すると、「まともな実証研究がない」とは、「指導法Aと指導法Bの効果を、きちんと検証や追試が可能な形で比較した研究」が皆無に近く、教育雑誌のバックナンバーを次から次へと読んでも読んでも「個人的な狭い体験に寄りかかった話」に終始して実験データが出てこないことにガッカリした学生時代の経験からいっている。
(略)
このたびtakehikomさんに触発されて近所の市立図書館で算数の授業の組み立て方に関する本で掛け算の初歩を扱っているものを何冊か探して読んだが(というか市立図書館には数冊しかそのような本がなかった……)、やはりロクに参考文献の記載がない。まともな実証論文に基づいて「このような指導法がいい」と解説するのではなく、筆者の個人的な体験から書かれている。10年経っても状況に変化なし。こんなものを何千ページ読まされたって全然、説得力を感じない。

私は算数の授業に絶望していた。 (3×5≠5×3問題)

一言でいうと「色眼鏡でもって,重要な情報を見逃している可能性はありませんか?」「あなたのほしかった情報は,実証研究や授業の組み立て方ではなかったのではありませんか?」です.
疑問形ではなく,断定しましょう.
徳穂さんの情報の読み方,取り出し方には,到底信頼が置けません.

2011-05-14 心を育てる (3×5≠5×3問題)

これは国語の問題であって、掛け算の問題ではない。
徳保的算数では、先に確定した数を被乗数にするのだから、3人が先に確定しているなら3×5、5個が先に確定しているなら5×3になる。3が「人数」なのか「1人あたりの個数」なのかという話であって、つとめて国語の問題。
よく読めばわかりますが、「パパ」が嘘をついていることが問題なのであって、掛け算云々は全く関係がない。私なら「ちがうよ! ひとり5こで、3人いて、ごさんじゅうご、でしょ。うそつきはドロボウのはじまり! ぼくたちのチョコレートをうそついてとらないで!」と怒ります。

心を育てる (3×5≠5×3問題)

5×3をめぐるお話・第1話は,去年11月に書いた原型から,何度か見直しをしています.そこから,「「パパ」が嘘をついていることが問題なのであって」はミスディレクション,自分の土俵に持っていくための方便だと,指摘せざるを得ません.「「パパ」が嘘をついていることが問題の一つなのであって」であればありがたいのですが,もちろんそうすると,その後の徳穂さんの記述が変わってきます.
一般化すると,一つの事象に対して,それを引き起こす原因はいくつもあるということです.各原因の,起こった事象に対する寄与度はさまざまです.そして,原因の一つを取り出して,「これをなくせば」として取り除くという発想・行動では,他の原因や状況が複合して,やっぱり同じ事態が起こってしまいがちです.
あのお話の,「原因の一つ」として,そこに登場する子どもたちには,2つの数をかければ総数が出るという認識があること*3を指摘できます.より正確には,そういう仮定の下でお話にした,という解釈です.もし,「それは後付けの解釈に過ぎない」というのなら,「私なら…と怒」るのも,後付けの解釈に過ぎない,そんな読み方をするな,となります.

については,これのみを言及するのでは不十分で,

と関連します.言葉にすると,「自分の思索を,学生に還元したい*4」「一つの式*5に対して,ある場面設定をしたとしても,その解釈が複数考えられる(そしてそんなとき,どうするか?)」「発生した状況に対して,n個の要因を挙げれば十分なのか? n+1個目の要因を見落としていないか?*6」が挙げられますが,それらにとどまりません.

ところで,ミスディレクションをするなという指示は無理というもので,そもそも私の方が内外でよくやっています.例の論争に必要なのは,事象に対する様々な解釈,またそれによる方向性を,整理する人の存在だと,思っています.

指導は教員1人で行う

これはトラックバックがあったのと別ですが,

平成23年6月17日の内容全体から,「指導は教員1人で行う」ことを暗黙の仮定としているように思われます.違っていたら,すみませんが補足をお願いします.

何のことだかわかりません。より具体的な指摘をください。例えば、もし私の文章がどのように書かれていたら、"「指導は教員1人で行う」ことを暗黙の仮定として"はいないように読めるのでしょうか。そして、その仮定がなかったとしたら、私の主張はどのように変化するだろうとお考えなのです?

memo:takehikomさんへのレスポンス 2

内容から,「実際に指導する前に,指導の方針・内容をチェックする人はいなかったのか?」「指導中の部屋の状況(それが無理であるとしても,指導後の児童生徒ら)を見て,学級崩壊の前兆をつかみ,“先生”にアドバイスをする人はいなかったのか?」と思った次第です.

*1:教育の用語では,「発問」というんでしたっけ.4 発問:文部科学省

*2:「ドアの前でママ〜」としているときに,お客さんがやって来た,というのでもダメです.念のため補足しておくと,会話形式は書き方の一つであり,会話でないスタイルで親馬鹿を綴っている日もあります.

*3:元ネタはあります.あえて出典は書きません.「小話集」にまとめるよりも先に知った情報です.

*4:念のため書きますが,「かけ算に順序はある」を伝えたいのではありません.いわゆる「かけ算の順序論争」に触れる中で知り得た,学生の学習内容に応じたsomethingです.

*5:実社会においては,言説や文献,「ブツ」になるでしょう.

*6:今回のお話であれば,「5個ずつ3人にだから,5×3」「5人に3個ずつだから,5×3」の2つは本文から容易に読み取れますが,「5個配るのを1巡として3巡になるので,5×3」というのが3番目となります.