算数教育の雑誌を1冊,書籍を1冊,買いました.雑誌からは「たし算の順序」を,書籍からは「かけ算」を,主に見ていくことにします.
本日のタイトルについて,「強化する」のは学習者(児童・生徒・学生)でもあり,教師の側でもあります.「変容する」のは,教師の書く文章です.当ブログの記事も,新たな情報を得てゆるやかに変容しています.
特集は「算数好きを増やすピカイチ授業アイデア55」で,1ページが1つの授業で55個あります.2年のかけ算はあまり面白くなく*1,むしろ1年のたし算(p.3)で,なるほどそういうやり方もありかと思いました.
執筆者は,新潟市立浜浦小学校 志田倫明とあり,人物名で調べると花まる先生がヒットしました.
さて本文へ.問題は,次の2つです.
A:たかしくんは,あめを3個もっています。次の日にお母さんが7個買ってきました。全部であめは何個あるでしょう。
B:お母さんはあめを4個,お父さんはあめを6個もっています。全部であめは何個あるでしょう。
1年で「個」などの漢字は使わないので,授業内容そのままではなく,大人(教師)向けの内容となっています.紙面の都合と思われます.
その授業には,一つ背景があるのですが,後回しにして,それぞれの問題に対する子どもの説明を見ていきます.
4+6の一つだけだと考えている子どもは,出てきた数字の順に立式したAの問題から類推して考えている。教師もこの立場に立つと,二つの式だと考える子どもが説明を始める。
「Aのお話は“次の日”って書いてあるでしょ。だから順番が決まっている。でもBはそういう言葉がないでしょ。順番は関係ないよ」
「Aは7+3にすると,お話が変わっちゃう。でもBは,“お母さんが6個,お父さんが4個もっています”って順番をかえてもお話は同じ。だから,6+4もいいんだよ」
教師としては,Aを表す式は3+7の1種類だけなのに対し,Bを表す式には4+6と6+4の2種類があることを,クラスで共有したいわけです.そこで,AとBという2つの文章題を用意し,Bでは2種類の式になるという子どもの発言を引き出しています.
まとめは以下のようになっています(原文では各行に下線).
○ 増加は「順番が関係ある」「式は一つ」
○ 合併は「順番は関係なし」「式は二つ」
そしてこのページは,「子どもは教師の“増加”のお話を“合併”の場面に修正する活動に夢中になった。」で締めくくられています.加法が用いられる2つの意味,“増加”と“合併”のうち,合併がより重要なんだよと見ることもできます.
さて,後回しにしていた件ですが,単に文章題を書き,子らに言葉で説明するのではなく,この授業は,お話に合う「式カード」を取るという,カードゲームになっていました.
式カードには,「3+7」も「7+3」も,「4+6」も「6+4」も,他のも,あるというわけです.
そうしたとき,Bのような合併の場面は,「二つの式がいっぺんに取れるお得な問題」となります.
では増加にあたるAの問題で,「7+3」の式カードを取ってはいけないのか,というと…
取る子がいたとしても,先述の子どもの発言,「Aは7+3にすると,お話が変わっちゃう」によって(先生が,他の子どもからこの発言を引き出すことによって),これを取ったらお手つきになるんだ,そして“増加”と“合併”は,同じたし算でも意味が違ってくるんだ*2と,クラスで共有する展開もまた,想像できるのです.
この本では,かけ算を見ていくことにします.第5章(数と計算)第3節(整数の乗法・除法)は,p.77より始まります.乗法の定義は,ペアノの公理系での定義と,集合での定義が書かれています.集合での定義では,2次元座標をもとにしたアレイ図も,あります.
これは見たことがある…
『新編算数科教育研究』のp.39です.どちらの節も,執筆者は中野博之ということで,パクリと言うわけにはいきません.Webで少し調べると,東京学芸大学附属の小学校教員を経て,弘前大学に着任されたとのこと.また『算数・数学科教育』の編著者(藤井斉亮)は東京学芸大学の教授で,東京書籍の算数教科書『新編 新しい算数』の代表です.この教科書の編集者一覧に,「中野博之 弘前大学教授」が載っていました.
それはともかく,2つの本の記述は,似ているところもありますが違ったところもあります.今回購入した本には「結合法則もこのアレイ図から説明することができる」とありますが,前の本では,アレイ図で結合法則は言及されていませんでした.
2冊とも,ページを少し進めると,数学的にはこうだけれど,小学校での学習指導はというと,という展開になっていて,キーワードには同数累加と倍概念が挙がっています.倍概念や割合の見方が,乗法の意味の拡張を念頭に置いていることも,共通しています.
なのですが,『新編算数科教育研究』だと「なお,上記のように考えたときa×bのaとbはそれぞれ異なる意味をもつ。」(p.41)と1行だけだった箇所は,今回の本では以下のとおり,充実していました(p.80).
上記のような意味づけをしたとき、「a×b」のaとbではそれぞれ異なる意味を持つこととなり、したがって「a×b」と「b×a」では、表している内容が異なることとなる。こうした扱いについては、乗法には交換法則が成り立つこと、中学生になれば「a×3」も「3×a」も共に「3a」となること、「a×b」の意味づけが万国共通ではないこと等の理由により、反対意見もある。しかし、小学校では具体的な場面に即して式の学習指導を行うこと、したがって後述する除法の意味では、商の解釈が2通りになること、高学年での困難教材と言われる割合や単位量当たりの大きさの学習では、aとbの意味づけが重要であること等を考えると、小学校段階ではaとbの意味づけを重視する必要性も否めない。したがって、テスト等で「a×b」と記すべきところを「b×a」とした解答について不正解とするかどうかは、それぞれの教師の判断に委ねざるを得ないが、授業の中ではaとbの意味づけを重視した学習指導がなされるべきであろう。
そうかこれが今の算数教育,そして「かけ算の順序」の見解なのだな,と言っていいのかというと,賛同できません.形式面と内容面のそれぞれで,頭に疑問符が浮かびました.
形式面で気になったのは,1つの段落に「したがって」が3回も出現するところで,これでは洗練されているとは言えません.また交換法則・文字式・海外事情を挙げた上で,算数ではこうすると示した本には『小学校指導法 算数 (教科指導法シリーズ)』がありますが,引用や比較の跡が見られません.
内容面はというと,「テスト等で「a×b」と記すべきところを「b×a」とした解答について不正解とするかどうかは、それぞれの教師の判断に委ねざるを得ない」のところです.
東京書籍の教科書は,実際に不正解にしている学力調査を踏まえて,乗法の意味理解の定着を図れるよう配慮していることを,謳っています*3.
これまで誰が実施し,具体的にどのような出題によって,a×bを正解,b×aを不正解としているのかについて,東京都算数教育研究会のように公開しているところもあるし,教科書やこういった図書の執筆に携わる者であれば,非公表のものも知り得るはずなのに,「それぞれの教師の判断に委ねざるを得ない」として,棚上げしているところに,内容面での不審を抱いたのでした.
まあそれはそれとして,1行だけだったのを充実させたのは,ネット上や,おそらく学校現場からも起こった「かけ算の順序」に対する答えを,専門家として書くべきと判断されたのだと推測します.せちがらい世の中になったものです.
かけ算・たし算を離れて,『算数・数学科教育』の序章に,自分の教育にも有用な話が書かれていました(p.12).
杉山吉茂は、教師に3つのレベルがあるという[杉山 2008]。
レベル1:数学的な知識、手続きを知らせる教師。子どもはそれを覚える。「これが決まりですよ。はい、練習しましょう」という授業となる。注入型の授業である。
レベル2:「覚える」だけでなく、これに「分かる」が加わる。「できる」ことに「なぜ」が加わり、訳も説明できる教師がレベル2の教師である。
レベル3:子どもが自分で新しい知識や手続きを見つけ、発見する授業、創る授業である。そういう授業ができる教師がレベル3の教師である。授業は問題解決型授業となる。
杉山吉茂という人物名は,ここでは重要ではありません*4.むしろ,算数・数学教育に関する個人的な関心としては,この次のページで,レベル1に「スケンプ[Skemp 1976]*5の言う用具的理解」を結びつけているのが目にとまりました.日本の算数教育における提唱は,海外文献からも裏付けられるという,新たなケースであると思っています.
記載内容ですが,「数学」を「プログラミング」に,「子ども」を「学生」に置き換えれば,おおよそ,自分が担当している情報処理科目にも適用できる話となります.
もちろん違いもあって,よく考えられた1問に十分に時間をかけ,問題の理解・自力解決・比較検討(練り上げ)・まとめといった問題解決型授業を,自分の科目で実施するわけにはいきません.
比較検討は,隣り合う学生どうしで,自発的になされます.前期は1人ぼっちだった女子学生に,後期のプログラミングで見せてほしい,教えてほしいと,他の女子学生が授業中に声をかける姿もありました.
どの受講生にも,自分で発見し創ることは,できてているとは言えないので,その意味でレベル3には到達できていないのですが,授業内容を踏まえたノーヒントの発展課題に取り組み,こちらの期待以上のプログラムコードが書かれている状況は,教員にとって望外の幸せの一つと言っていいでしょう.
*1:というのが第一印象でしたが,読み直すと,p.10にある5行6列のアレイ図は,言われてみればの内容でした.その総数を求めるための式は5×6でも6×5でもいいけれど,たし算にすると5+5+5+5+5+5と6+6+6+6+6で異なり,5のまとまりで計算できる前者のほうが簡単,というのは,2つの式の新たな比較の仕方と映りました.このページの執筆者は,中田寿幸で,筑波の算数の方です.
*2:さるところで,増加と合併を区別して指導したいというのなら,そのための演算記号を別にすべきではという指摘を目にしました.そこに,自分の意見を書けなかったのですが,今,再検討すると,「たす」という演算の事例を数多く集めて分類・整理し,その中で1年で教えるのがふさわしい内容はというと,増加と合併(と順序数のたし算)である,と考えれば,国内外の文献から読み取れる知見や,増加・合併それぞれの理解を意図した実際の授業とも,矛盾せず理解できることに気づきました.「たす」という演算のための記号を,より細かい意味に応じて分ける必要はないのです.
*3:https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/shou_current/sansu/files/web_s_sansu_gakuryoku1.pdf, http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140519/1400446336
*4:読者によっては「杉山先生が!」と思うのかもしれませんが.
*5:http://eric.ed.gov/?id=EJ154208, http://www.davidtall.com/skemp/pdfs/instrumental-relational.pdf