わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

ちょうどいい席・授業後の対話

取るに足りない情報

「先生」
「はいなんでしょう」
「さっき,『取るに足りない情報』があるとおっしゃっていましたが…」
「ああ,言いましたね」
「そういうのを減らしたら,もっと内容のある授業になるのではないでしょうか」
「痛いとこ突くねえ.講義をする側の心構えとしては,そのとおりですが,送り手から受け手へ,メッセージを送って意味を伝達するとなると,重要そうでない情報も,不可欠なんだということがあるんですよ」
「そうなんですか」
「英語のスペリングを,考えてみましょうか.signは,何と発音しますか?」
「サインです.はあ?」
「ではsineは? 意味も」
「これもサインと発音して…サイン,コサイン,タンジェントのサインです」
「そう,漢字で書くなら正弦.正弦波のことをサインカーブと言うことがありますね*1
「…」
「ではsinと綴ったら?」
「これは,シンです.罪,という意味だったかと」
「はい,ではこれら3つの単語から言えることは,何でしょう…」
「….もしかしたらこうでしょうか」
「ええ,言ってみてください」
signのg,sineのeはともに,発音には出てこないけれど,それを落としてしまうと,sinになって,意味が変わってしまう」
「そうです.さらに踏み込んで,情報伝達の問題として考えると?」
「先生がおっしゃる,『取るに足りない情報』というのは,このgやeみたいなもの!?」
「そういうことです」
「…何かだまされたような気がするんですが」
「ええ,だましています」
「ところで先生,今の単語の例で,ちょっと気になったのですが」
「何でしょう?」
「sinの後ろにθと書いたら,これはシンシータではなく,サインシータと言いますよね」
「そうなりますね」
「sinがシンになったりサインになったりするのは,どういうことでしょうか?」
「ん〜,後に続くものによって,言い方,そして意味が変わるという例で,取るに足りないってのとはちょっと違う話ですね」
「ああ,そう考えればいいんですか」
「林と書くお名前の方は,ご近所さんなら『はやし』さんかもしれませんが,阪神タイガースの選手なら『リン』*2ですよね」
「僕の友達で,東と書いて『あずま』という名字と『ひがし』という名字の人が別々にいますが」
「へえ,面白いな.それでも,『あずま』さんと顔を合わせるとき,『ひがし』さんと顔を合わせるときで,それぞれ名前は間違えませんよね」
「ええ」
「さっき『後ろに』と言いましたが,より一般には,前後関係だとか,周囲の状況だとか,コンテキストだとかいった表現を使います」
「文脈,ですか?」
「訳語としてはそうです.ただ,文脈と書くと,日本語や英語など,文章になったものにしか言えないように思われますが,前後関係やコンテキストと言えば,言語だけでなく,時間や空間的なものにも使えますね」
「ええ,まあ」
「話がずいぶん飛びましたが,目の前にあるもの…これも正確には,知覚できるもの,のほうがいいのですが…だけでなく,周囲の状況・コンテキストと,自分の持つ知識や経験をもとに,物事を判断し,行動していけばいいのです」
「…そう言われれば,当たり前の結論のような」
「で,そういう判断や行動のモデルを,理解し,常に自覚しておきましょうね」
「はあ…それは,言われるまで,考えたこともなかったです」

なぜ学ぶ

「先生」
「はいなんでしょう」
「前回の授業で,『知識を強化』するとおっしゃっていましたが…」
「えっと,前回ですか.まあ,言いましたね」
「『知識を獲得』とは,違うのでしょうか?」
「うーん,私の語感では,違いますねえ.知識の獲得は,その分野の知識をできるだけたくさん知ることです」
「知れば知るほど,賢くなる?」
「となればいいのですけどね.知識の強化は,そうして獲得した知識どうしを,関連づけることです」
「関連,ですか…」
グラフ理論で言うと,節点の集合を決めるのが知識の獲得,そして辺の集合を決めるのが,知識の強化です」
「すみません,グラフ理論って,まだ授業で教わってません」
「あ,しまった.では今の話はなしということにして…でも,数学の集合の概念は,大丈夫ですね?」
「ええ」
「一つ一つの点を知識として,それを要素に持つ,集合を考えることができます」
「その集合が,知識の構造,ですか?」
「いえ,それは知識の集合にすぎません.集合に含まれる複数の要素,すなわち知識どうしを,線を引くなどして,結び付けます」
「何かルールがあるのですか?」
「一般にはないものと考えてください.もちろん,規則性があるものもありますし,そのほうが喜ばれます」
「へえ」
「ともあれ,そうこうしてできたものが,知の体系です」
「…」
「この知の体系を作り上げることを目標としたとき,知識の獲得とは,何をすることですか?」
「えっと,点を増やすことです」
「まあそうですね,集合の言葉を使うと,集合の要素を増やすことです」
「先生,知識は有限なのでしょうか? 無限にありそうなのですが」
「そうですね,有限でも無限でも,いいと思います.そうすると必要なのは,集合の要素数,個数を知ることではなく,集合どうしの包含関係を判定できるようにすることですね」
「包含関係…ああ,なるほど」
「もう一つの,知識の強化は,どう解釈できるでしょうか?」
「集合の要素の中に,たくさん結び付けをすることです」
「そういうことです.今回は話を単純にしていますが,そういった結び付けから,規則を導き出すことや,新しくやってきた情報に対して,規則を適用すると,どんな情報を作ることができるのか,といった観点も,必要になってきます*3
「図を描けば,何か分かった気がしてきました」
「よかったですね」
「最後に一つ,教えてください」
「どうぞ」
「人はなぜ学ぶんでしょうか? なぜそんなにして,知識を獲得して強化しないといけないのでしょうか?」
「ん…大学とかいうのがなければ,生きるため,と言いたいのですが,現代社会では,積極的に知識を獲得したり強化したりしなくても,生きていけますからね…」
「そうなんです」
「今の日本,という制限を置けば,こう考えることができます.と言いたいけど,その前に一つ場合分けを.競争は好きですか?」
「ええ,小学校のときはいつも徒競走は1番でした.中学に入って勉強漬けになったら,運動しなくなりましたが」
「ちょうどいいや.知識を獲得し,強化することで,新しい知識の一番乗りを目指す,と考えるのはどうでしょうか」
「一番乗り,ですか…」
「他の人は何これと思うことがあっても,そこに秘められた意味や意図を,自分が真っ先に理解できるようになれば,それはとても楽しいことなのですよ!」
「うーん,言われてみれば,面白そうなのですが,でもそれは大学でなくてもできそうな」
「大学ですか…じゃあ,研究ですかね.研究というのは,ネイチャーに載るような華々しいものから,私が研究室でやったり学生が取り組んだりしているようなものまで,いずれも,『新しい知見』という名の,知識の一番乗りを確立するために,行っているんです」
「はあ,では,研究するために知識が必要,と」
「まあ卒業研究は必修ですからね.そのほか,そういう専門分野の知的活動を体験していると,就職したときに,その専門分野のことを聞かれたとしてもすぐ答えられますし,別の分野を学んでいく…その分野の知の体系を自分の中に構築する…ときにも,よりスムーズに行えるでしょうね」
「何か分かってきました.それで」
「まだ不満?」
「『競争は好きですか』と,場合分けされたのは,なぜでしょうか?」
「ああ,そこは大したことではないよ.競争だとか比較だとか,一番乗りだとかが苦手だったら,自分なりに学び続け,自分の中で,独自の知の体系を構築してください,というくらいです」

(同日21:00ごろ,「[授業] ちょうどいい席・野暮な続き」だったタイトルを変更しました.)

*1:手元の英辞郎では,正弦波はsine waveです.sine curveを引くと,「正弦曲線,サインカーブ,サイン波」とあります.

*2:wikipedia:林威助

*3:増やすことばかり書いていますが,減らすこと,すなわち無駄な要素を排除することや,時間の経過によって淘汰されること,規則を適用する例外を設定することなども,考えないわけにはいきません.