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「教育の職業的意義」の工学的意義

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

歯ごたえのある新書でした.教育社会学の研究者なら当然のように読まれる文献なのかもしれません.その分野の,次年度のゼミの資料になるのかもしれません.
しかし,工学系,さしあたり情報分野の人でも読むことができる,なかなか興味深い内容でした.というのも,全体構成が

  • 現状は,こんな不都合があり,
  • 解決するための最もよく知られた試みは,こういう点で問題があるので,
  • 著者は解決するための枠組みを提案し,
  • ある環境下でその枠組み・システムに基づく評価実験を行って,良い結果を得た.
  • さらに,このシステムをより大規模に適用するための方策を,検討した.

となっていて,情報分野の学会発表や論文でよく見かけるストーリー展開だったからです.
当学科の学生でも,自習として読み,分からない語句はWebで検索していくというのは,きっと勉強になるでしょう.
ただし,これからの日本の教育や職業に対する意識が,著者の提唱する枠組みに沿うものになるとは,思えません.教育機関(高校以上)や企業に,大変革を強いるものだからです.
さてでは,いつもの「細かいとこ」に行きましょう.大きく3つの話題があるので,開始のところに[1]から[3]まで番号を振っています.

[1] 本書のキーワードは,〈抵抗〉と〈適応〉です.p.11に最初に現れますが,終盤の解説のほうが,分かりやすいです.

…〈適応〉と〈抵抗〉は,ローマ字で書けばTEKIOUとTEIKOUであり,IとKの場所が入れ替わっただけであるが,個人と環境との関係性に関するベクトルとしては,正反対の方向を意味している.すなわち,〈適応〉は,自分を変えて環境に合わせてゆく方向であるのに対して,〈抵抗〉は,自分が正しいと考える状態へと環境を変えてゆく方向である.
(pp.182-183)

問題とは,理想と現実のギャップのことであり,解決するには,現実を理想に近づけるか,理想を現実に近づける…というのは,私自身,授業や研究室内で何度か言ってきました(両方を変えて歩み寄らせるというのも考えられますが,ここでは置いておきます).「現実を理想に近づける」のが上述の〈抵抗〉であり,「理想を現実に近づける」ほうは〈適応〉に対応します.
TEKIOUとTEIKOUの文字列としての違いは,レーベンシュタイン距離なら2ですが,先日某所で仕入れてきた「Jaro距離」に基づくなら,wikipedia:en:Jaro-Winkler_distanceのMARTHAとMARHTAの例と同じなので,0.944となります*1

[2] 次は,これから職業を決めて就職活動を行い(あるいは先生か周囲の勧められるままに)就職先を決め,労働をしていくことになる,生徒・学生が,何を考えればいいかに,焦点を当てることにします.とっかかりは,序章の,否定的反応(1)への反論です.

筆者は,教育理念を掲げる側でも人を働かせる側でもなく,働く者,特に働く若者の立場から「教育の職業的意義」を主張している.
(p.9)

これとその直後の文章を読むと,「どのように進路を選択していくのか? していけばいいのか? していってほしいと著者は考えるのか?」という問題意識が生まれます.「進路選択とは」については,これまただいぶ先に現れます.

進路選択とは,若者が自分自身と世の中の現実とをしっかり摺り合わせ,その摩擦やぶつかり合いの中で,自分の落ち着きどころや目指す方向を確かめながら進んでゆくことだと筆者は考えている.そのようなしっかりとした摺り合わせが生じるためには,ひとつには職業人・社会人としての自分自身の輪郭が暫定的にでも一定程度定まっていること,もうひとつは世の中の現実についてのリアルな認識や実感,という二つの条件が必要となる.そのような自分の輪郭や現実認識を得る機会を若者に与えないままに,つまり選択のための手がかりがないままに,ただ選択を強いるという性質を「キャリア教育」はもっている.
(pp.158-159)

3つの文からなる段落で,前二者は異論ないのですが,「そのような」から始まる最後の文は,少々引っかかります.少し脱線ですが,冒頭の箇条書きの中の「解決するための最もよく知られた試み」とは,「キャリア教育」のことです.さてその,キャリア教育の問題点は,少し前で引用されています.

また,川喜多喬は,大学のキャリア教育の問題点として,…(3)視野を狭める自己分析…
(p.156)

「視野を狭める自己分析」については,川喜多氏の文献を読まないといけないのでしょうが,ここで工学的な立場から待ったをかけることにします.前の前の引用の進路選択*2とは,「就職に関するデザイン」であり,自己分析は,そのデザインのもとで一つの妥当解を得るために行うプロセスの一部として,不可欠ではないかと考えたのです.
このとき,自己分析は,純粋に自分だけを見直すのでは不十分であり,就職時の社会情勢(コンテキスト)を理解した上で,言葉にする必要があります.極端な例を挙げると,好景気なとき不景気なとき*3とで,全く同じ自己であっても,自己分析の結論が異なるべきです.
とはいうものの,現状の「自己分析」をさせる空気が,そういったことを考慮させていないという意味で「視野を狭める」という修飾語がついているのかもしれません.

[3] 最後は,「プロトコル」という概念です.本書では,記憶する限りこの言葉が出てきませんが,以下の批判から,連想しました.

定期異動という慣行は,配属職種や勤務地を意図的に一定期間ごとにシャッフルするしくみであったし
(p.209)

ばっさりと斬っているようにも見えますが,企業によってはこの慣行,重要なものではないかと思います.定期異動・人事異動の効果は,確実にあると考えます.まずは,自分の考えよりも,既存のものを引っ張ってきましょう.

組織には退職・採用による人の出入りがあるのは当然であるが、それ以外にも定期的または随時、組織内の年齢的・地位的アンバランスを解消するために、組織を構成する職員を適切な位置に配置し直すことが必要になる。
同一職場への在籍があまりにも長いと、作業や業務のマンネリ化・後進育成の停滞・取引先との癒着・何らかの権限の独占による私的流用といった問題が起こるため、人事異動にはこうした事態を予防・回避する目的もある。また、職場によってはその業務が肉体面・精神面において極端にハードである場合、数年単位で人を入れ替えるという用途もある。

人事異動 - Wikipedia

人が変われば、社内の雰囲気もガラリと変わります。
かつての日本企業では、社内の中で人を動かすことで、社内の雰囲気を活性化させてきました。
いわゆる「人事異動」です。
同じ会社の中だけど、部署が変わって人が移動することで、社内の雰囲気を新しく活性化させていったのです。
世界の中で、日本が急成長した理由のひとつは、この定期的な人事異動のシステムがあったからなのです。

http://www.happylifestyle.com/article/002320ja

もちろん欠点もあります.wikipediaの人事異動では,引用した箇所の直後に,デメリットが説明されています.
私自身,今の大学に来て,学部学科の異動はありませんが,学内の委員が,この定期異動に似た側面を持っています.学部内委員と連動して,地域共同研究センターやシステム情報学センターの兼務教員となり,それぞれで,地域企業や,計算機を使う学内の教職員・学生の考えを知る機会を得ました.委員会業務はときには「雑務」ですが,そこで手を抜いて,教育・研究にのみ力を入れることができない性分なので,その都度,自分の労力を配分して,職務に当たっています.
プロトコル」を連想したのは,次の発想からです.すなわち,人事異動を,定型の仕組みすなわち「プロトコル」としてのみ解釈するのではなく,そのプロトコルに,構成員全員が同意し,そのもとで行動すればいいんじゃないか,ということです.
ここでいうプロトコル(と構成員)というのは,通信におけるプロトコルや,暗号を用いたプロトコルの,アナロジーです.
このプロトコルという考え方は,著者が提唱する「教育の職業的意義」へも適用可能に思えます.すなわち本書自体が,プロトコルなのです.これが日本全体で機能するというのは,教育機関や先生も,企業も人事担当の方々も,そして生徒・学生も,みなさんが…100%の全国民がというのは無理としても…同意しそのもとで動くことによって,達成されるのではないでしょうか.

*1:ただし,2と0.944を単純に比較することはできません.レーベンシュタイン距離は値が小さいほど近く,一致しているときは0,一方Jaro距離は値が大きいほど近く,一致しているときは1となります.

*2:一般的な「進路選択」は,まず「進学か就職か」から考えることになると思います.進学にしても,職に就くことなく一生学びたいと考える人は皆無ですので,就職を見据えた進学先の検討として,進路選択=就職先選択とします.

*3:社会全体というより,就職したい業種においての景気と考えてください.