自分自身がコメント欄を凍結しているので,なるべく書かないようにしているのですが,思うことあって,コメントを書きました.
ごぶさたいたしております.情報提供を2件.
>例えば、「1×2」と「2×1」は同じか?という論争があって、違うという立場でも、根拠がいろいろあります。
ISBN:9784491026978.62には,「例えば2×1と1×2は,積は2で同じだけど,意味が違うでしょう」とあります.
「根拠」という言葉から「なぜ同じか,違うか」を連想したのですが,むしろ「どのような点で同じか,違うか」によって,かけ算を論じることはできないものでしょうか.>数教協のよく使うキーワードに「内包量」というのがあります。
それは量の体系(算数指導に関わる先生方は必ずしも知らなくてよいこと)のキーワードであり,数教協ベースの乗除算の指導(学校現場で実際にどのように指導されているか)に踏み込むなら,むしろ「1当たり量」を精査すべきではないでしょうか.
コメントに書くことができず,思ったのは何かというと…
本文中に「でも文科省が公開している指導要領解説では、同じという立場です。」とありますが,小学校学習指導要領解説 算数編(《算数解説》)p.81の,「12個のおはじきを工夫して並べる」件を根拠としているのでしょうか.あるいは交換法則でしょうか.
これを主張する人で,(孫引きですみませんが)
takehikom 『情報が極端に限定されていたり、ある団体が出す情報ばかりを盲信するのが危険だと思う。だから、いろんな所が出している情報を収集して、比較検討するのがデマにだまさないテクニックだと思う。』
http://b.hatena.ne.jp/takehikom/20110921#bookmark-59926406
にある「いろんな所が出している情報を収集して、比較検討」をしている人を見たことがないなあ,と思うのです.
「思う」だけでは話も進まないので,《算数解説》および他の文献をもとに「違う」と解釈している文章を引用します.
さらに、次の基準A,Bを設定した。基準Aでは、被乗数と乗数の位置を問わず正答とした。例えば、「5×6」の話を作ることが要求されている作問課題に対して「6×5」の話が作られたときも正答とした。同様に、文章題では「5×3」の式を作るべきところ「3×5」の式でも正答とした。これに対して、基準Bでは、そういった場合を正答として認めなかった。算数の正答基準として適切なのは、基準Bであると考えられる。
(金田茂裕: 小学2年生の乗法場面に関する理解, 東洋大学文学部紀要 教育学科編, No.34, p.42.)
この紀要論文から私が学んだことは,9月5日,9月10日に記しています.「違う」と解釈している解説書や,それに基づく出題例は,7月23日に書き,その後も継続して増やしています.
また別の話.冒頭のリンク先の後半を読んで,思ったことです.
内包量・外延量,その他,数教協が検討し展開してきた量の体系を否定するなら,我々はどんな体系に基づいて,異種の2つまたは3つの量の間で,積や商の関係が成り立つことを確認し,算数・数学教育の議論をすればいいのでしょうか.
一つ,例に挙げたいのが,線密度です.『遠山啓エッセンス〈3〉量の理論』p.49*1には,「線密度=重さ÷長さ」という式が書かれています.《算数解説》p.195では,「1mの重さ×棒の長さ=棒の重さ の言葉の式」とあります.
小学生の学習では,線密度という言葉は陽に出てきませんので,代わりに《算数解説》同ページにある「1mの重さが3/4kgの棒があります。この棒2/3mの重さは何kgでしょうか」の問題ではどうでしょうか.1mの重さを求める問題や,複合した問題もあるかもしれません.情報過多の問題文あるいは日常生活において,答えを得るのに必要な数量だけを選ぶことも,きっとあるでしょう.
そのような状況において,どのように考え,答えを出せば(学習者である児童は,どのような知識・技能を持てば)いいのでしょうか.また,演算決定が適切になされている*2ことを,児童自身がどのようにして確かるようにすればいいのでしょうか.
…と書いたものの,内包量と外延量の区別や,コメントに書いた「1当たり量」といった概念を使わなくても,言い換えると遠山や銀林氏らの量の体系は知らなくても,学校現場での算数教育はつつがなく進行しているのでしょう*3.
ただし,式として書く際には単位を付けませんので,場面あるいは問題文と式とのマッピングについて,そのやり方や式の読み方を,先生・児童で共有することが,より強く要請されます.
その際のキーワードは,決して「かけ算の順序」ではありません.おそらく「算数的活動」そして「言語活動」*4であり,現場教育においてそれをサポートするのが,「教材開発」と「学習者の観察*5」なのだろうなと思っています.
恒例ですみませんが翌日いくつか書き換えました.
*1:同じページに「もちろん現実的にはあらゆる高度の量までが,外延量と内包量に截然と分類されるわけではない。」とし,時間,力,モーメントを例示しつつ,「外延量,内包量の区別を機械的にあてはめることはできない。しかし小学校から中学校までに出てくる基礎的な量についてはこの分類があてはまる,と考えてよい。」と書かれています.内包量のhow(数値化)に関しても,考えが述べられています.初出は,巻末の初出一覧によると,「数学教育の内容と方法」と題して1960年に公表されているとのこと.
*2:もし「演算決定」というタームになじみでない方が読まれましたら,「導出過程が正しい」と読み替えてください.いずれにせよ,児童に向けていう言葉ではありません.
*3:柔道に例えてみると,数教協の指導方法のうち「パー書き」については,巴投に代表される,捨身技になるのかなと思います.無名数で式を書くのは,体落としや大外刈りなど,初心者のうちから習得する技です.打ち込みや乱取りを通じて基本的な技の習熟を図るとともに,試合に出る前には対策として,道場・教室では積極的には教えていないけれど,ルールで認められている他の技について,触れることもあるでしょう.高校の物理で「m/s」の単位を使用するのは,巴投が,二段を得るのに必要な投の形に含まれていることに対応づけられます.
*4:「筑波の算数」の人が書かれていた中にあったのが,「言語活動」という言葉を知った最初の機会です.今年のことです.そのとき,なぜ「算数的活動」ではなかったのか,しばらく気になっていましたが,そこは,教える教科よりも,児童が小学校の中で何をするのか---もちろん教師の側が仕向ける必要もあるのですが---を優先して,この言葉を選んだのだと理解しました.
*5:主語は,教師だけでなく,学習者とすることができます.具体的には,ある児童が黒板に書いた答えを見て,他の児童はその求め方を理解したり,正誤を判断したりすることです.