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学科のプログラミング指導の成果は?


「学科のプログラミング指導で,実施したことをお話しします.
プログラミングの講義を担当して何年かしてから,ある先生が,『研究室に配属された時点で、プログラムがまともに書けないのは困る』という不満を漏らしました.
そこで私を含む,学科の何人かの教員で話し合いまして,まずは1〜2年次の指導の充実を図ることにしました.その中で私は,補習に力を入れました.初年度は自主参加で単位の出ない補習,次の年度は1単位の出る自主演習科目を実施したのち,0単位演習科目の新設を経て,『Cプログラミング基礎演習』という,1単位の演習科目となって,現在に至ります.
そのほか,毎年8月の末に,学科ではFD活動の一環として,まる1日かけて『学科教育交流会』で各教員が報告し,授業内容や研究室指導,学生の状況について,情報交換を図っています.
その成果として,まずお伝えしたいのは,『学生のプログラミング能力向上を、担当教員の責任とせず,学科全体・教員それぞれで,考えるようになった』点です.
また講義・演習担当の自分自身も,プログラミングのつまずきやすい箇所とその克服について,ノウハウを得ることができ,指導方法の改善に役立ててまいりました.つまずきの例は,次のスライドでお見せします」

なにこれ

昨年の10月,学長はじめ役員との面談に出席し,PowerPointを使って10分程度で研究・教育・貢献を述べた中の1枚です.

きっかけ

(略)そして、教員の昇任手続きの際には、大学の組織としてのミッションへの関与をしっかり頭に置いてほしいということで、学部からの選考結果を受けて、学長としての最終決裁の前に役員との面談会をしています。2013年度からは、採用する教員についても、役員と面談会を行い、その後、最終的な決裁をすることにしています。
この話をある大学の理事にしましたら、「うちの学長に言わないでください。うちの大学が、そんなことをしたら大変なことになりますので」と言われました。しかし、組織としての大学の機能の強化を考える上では、大学にとっても個々の研究者にとっても必要なコトではないかと思います。
実際にやってみると、そんな抵抗もなく和やかな雰囲気です。トーマス・マンの研究をしているドイツ語の先生は、10分ぐらいで本当に感動的なスピーチをしてくれました。特に、ドイツ語の学習を手掛かりに新入生の学びの意欲を引き出し、仲間づくりに向けて、様々な工夫をし、学生たちを激励している実践は、本当に見事なものでした。その先生に「同僚の先生方に、あなたの工夫を話されたことがありますか」と尋ねましたら「いや、今日が初めてです」とのことでした。せっかくの貴重な価値ある経験が共有されていない、お互いに何をやっているかを知らないといったことでは大学組織として成り立つわけがないと、改めてマネジメントの責任を感じました。こういう気づきもあるのです。
(『地方国立大学 一学長の約束と挑戦』pp.80-81)

著者は上述の「学長」です(今月まで).面談会では,プレゼンでも,その後の意見交換でも,こちらの発言に耳を傾ける姿が印象に残っています.

Q: それで,学生のプログラミング能力は実際に向上したのですか?

紙や実技だとかの客観的なテストを用いて,平均が何点から何点になった,何人がクリアしたといった形で,能力の向上を測るよりも,目の前の学生について,持っている知識・スキルや長所・欠点に基づき,そのつど,最適な指導法を考え適用していくべきだ,というのが「担当教員の責任とせず,学科全体・教員それぞれで,考えるようになった」の真意です.
こういう考え方もできます.「学生のプログラミング能力」というと,学科や研究室に所属する,学生集団としての能力の傾向を見ようとしがちです*1.そうではなく,個々の学生を見て,何ができて何は不十分であり,その上で,どのように指導し,伸ばしていこうか検討しよう,という方向になっていったのです.

(最終更新:2015-03-17 朝)

*1:学科教育交流会では,優・良・可・不可・放棄の人数や,各担当から見た受講生の状況を報告していますが,同じ学年の学生(群)をある教員からすると「これまでより優秀」,他の教員からは「出来が悪い」と言われることもあります.