わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

ある教育者のマイルストーン

「ある教育者」といっても,自身のことです.
私が大学院生活において,はじめて研究指導をしたと覚えているのは,D3(博士後期課程3年生)の11月,たしか条件付き採録となった論文の修正版を送り,アルバイトと博士論文執筆を両立させながら*1,大学に泊まり込んだときの,夜11時ごろのことでした.
M2(博士前期課程2年生)の学生が,明日,学内のゼミで発表なのだけど,うまくとりまとめられないので,アドバイスがほしいと.
当時,研究室の研究テーマは,符号理論と情報セキュリティに二分していて,私はセキュリティ,その後輩は符号でした.ともあれ,研究の対象や目的を確認していきながら,不安なところを一つ一つ,つぶしていくと,後輩の顔が,晴れていきました*2
その後,印象に残っている出来事は箇条書きで.

  • 助手1年目に,ある学生(前年度はD3とM1,要は先輩後輩だったのですが)の修士論文の最終段階で,題目と内容梗概を,複数の教員でチェックしました.要修正として指摘した箇所が,教員ごとにばらばらで,幸いにも独立した箇所でした*3.このことから,論文の質を上げるには,教員の目は多いほうがよいことを体感しました.目といえば,『目玉の数さえ十分あれば,どんなバグも深刻ではない』(伽藍とバザール)が有名ですが,それを読むよりも,この経験が先でした.
  • 現在の大学に移って2年目,卒論指導をしていた学生のお住まい(下宿)に1泊させてもらったことがあります.研究とは関係のない雑談ばかりをして,過ごしました.その直後だったか,出席した国際会議は日本人参加者が多く,経費その他の理由で,ホテルは相部屋でしたが,ご一緒になった他大学の先生から「学生の家に泊まるだとか,学生を泊まらせるだとかは,ある程度の歳までやね」と言われました.学生と心理的な距離を置き,その分,研究や計算機活用について学生と取っ組み合いをするよう心がけるきっかけとなりました.
  • 現在,大学院では,各学生のゼミ発表は半年に1回行います.修士論文発表会を含めると,5回になります.そんな中,ある先生がおっしゃいました.「発表を前にする学生以上に,指導教員のほうが緊張するんよね」と.我が子みたいなものですからね.「教員と学生の母子密着」(世のお母様方・お父様方にちょっとアドバイスもらいたい - 発声練習)という表現にも,うなずけます.
  • 授業は,助手1年目は大学院大学だったこともあって受け持たず,現在の大学で,演習科目の一部を担当することになりました.そのうちの一つは,2コマ×5週の通信プログラミングで,「TCP/IPを用いた通信プログラミングの演習」というお題だけもらって,演習計画や授業での対応,採点まで,完全に自分の裁量そして責任でした*4.学期末に,3人の教員の点数を平均し,50点台はそのままでいいか,合格点まで引き上げられる要素がないか,役職に関係なく議論できたのも,いい思い出です.
  • データベースの演習科目も担当していたのですが,教授と技官にお任せで,自分で何をしていたという記憶はあまりありません.そうしてデータベース演習の担当そのものから離れるようになったある年,研究室の大学院生がティーチングアシスタント業務として,演習で出した設計課題の答えを自分なりに作り,それを各学生の答案と機械的に比較して採点しようとし,当然,止められたということがありました.設計させることの大変さを目にした瞬間でした.
  • 私のところの公開授業 - わさっき
  • はてなダイアリーで,授業や学生指導のことを書くようになりました.特に2008年2月は,試験のマナー(5日),レポート課題(9日),謝辞の書き方(11日),Decade with Linux(14日),修論・卒論アドバイス(15日),大学生活で学んでほしいこと(21日),発表へのアドバイス(27日)といったエントリにより,その集大成を試みました.それでネタがなくなったかというとそうはならず,「余話」というカテゴリや,プレゼンのコメント,また学生との対話型の文章などを試みて,個別具体的な学生指導について,つらつらと並べています.プレゼンコメントはまだまだストックがあり*5,その他のトピックも,尽きそうにありません.

おまけ.

  • ある卒業生には,酒の席で顔を合わせるたび「先生の,ダンスダンスレボリューションのプレイは,世界観が変わりました」と言われます.研究室のボウリング大会の,参加者待ちのときに踏んだダブルプレイを見られました.

*1:あのころは,3日周期で生活していました.周期の最初の日は,午前中は家で執筆,午後に研究室に入って泊まり込み,2日目は夕方に帰ってアルバイト,3日目は家で執筆して夕方にアルバイトでした.仕事は,塾講師と家庭教師です.

*2:ちなみにその後輩は,いったん修士を出て就職してから,ドクターコースに戻って学位を得て,現在は…おっと,私と同じ職位じゃないですか.

*3:メールを返したのがほぼ同時刻で,後の教員が先のメールを見たというわけではありませんでした.

*4:最初の2年間は大学院生がおらず,ティーチングアシスタントもいませんでした.

*5:しかし鮮度が落ちたので,どう取り上げるか考え中なところもあります.