わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

組体操におけるリスク評価(の不在)について

ざっと読み,なんだか複数の問題が絡んでいるようだなと漫然とした思いを持っていたところ,コメント*1

学校行事における組体操の危険性と、この学校の実際の今年の組体操と、クーコさん親子の今回の行動とはそれぞれ全く別の話だということを理解できてない人が多すぎる。それぞれに対して考えるべきなのに昨夜から的外れな意見で絡んでくる残念な人が多くて辟易する。

とあって納得しました.
まとめられたツイートの中では,以下の箇所が目を引きました.

ここから読める学校側の措置は,「学校行事における組体操の危険性」と「この学校の実際の今年の組体操」の危険性とを,分離するものとなっています.
より具体的に書くと,書籍なりネットの情報なりをもとに,組体操はこんなに危険だ,負傷者が多数,出ているのだぞ,それでも組体操をするというのか,といった主張は,「学校行事における組体操の危険性」に対応します.しかしそういった指摘は,学校側として配慮をしている状況すなわちリスク低減*2策との照合がなされておらず,やりとりを外から見る者としては,的外れに映るのです.
まとめの後半(コメントより前)に,『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)』からの絵を見ることができますが,これも,「学校行事における組体操の危険性」に関する話です.そしてその絵には,これを実現するために,先生方がどのようにサポートしているかの情報が見当たりません.
先生方のサポートについては,「組体操」のYouTube動画を見るのが手っ取り早いです.たとえば

で確認できるのですが,多人数の演目では,大人(おそらく先生方)が要所に配置され,頻繁に動いています.
実のところ,「教員の間で議論を重ね、夏休み中には府主催の組体操研修を受講し、安全の確保について学んできた。これまでよりピラミッドやタワーの高さを低くしたり、補助にあたる教員を増員したり、詳細な計画表をつくり、X日までに完成できない技はやらない等、安全性には最大限に留意して取り組」むことによって,リスクがどのくらい減っているのかを,きちんと示せる人は,現状ではいないように感じています.
負傷者・負傷率に関してであれば,今年の各学校の状況だけでなく,どのような低減策をとった(とっていた上で事故が発生した)かという情報も欠かせません.
ただ,研修を受講したり,サポート役に回ったりする,小学校の先生方は,何をすれば(怠れば)どんな事故につながりかねないかというリスクを,体感的に---理科の実験や家庭科の調理実習,あるいは校外行事などのリスクと,比較できる形で---持っているだろうと,想像もできます.
「組体操におけるリスク評価(の不在)について」を使って,まとめますと,リスク評価が不在なのは(十分に行えていないのは),組体操はすべきでないと主張する人々です.
小学校の先生方の間では,『教育という病』を読んだ人もいるかもしれませんが,学校内・学校間の人的ネットワークが,より影響力の強い要因となって,リスクとその(教師が行える)低減策を認識し,指導を行いながら意思統一を図り,運動会で披露させていた,と言えます.
ここで指導は体育の授業だけでなく,今回のツイートまとめにあるような,「組体操をやめてください」という子ども・家庭への対応も含まれます.ツイートは親目線であり,これと同じレベルで,学校の対応が詳細に記されたものを得るのは,困難かもしれません.
自分はというと,研究室や科目受講の学生の対応にあたって,本人に納得してもらうのはもちろん,学則・規定類そして「常識」との照合,また他の教職員との連携も行いながら,仕事(大学教育と研究)におけるリスクに注意を払わないと,と思う機会となりました.


「リスク」と言えば,原子力かなと思いながら,過去の記事で関係しそうなのは:

Slovic(一九八七)は,科学技術やそれにかかわる三〇項目の活動について,女性グループ,学生,ビジネスマンの団体,専門家のそれぞれが,どの科学技術や活動をどの程度「危ない」と感じるかについての調査を実施している.(略)その中でも特に顕著な差が現れているのが,「原子力」に対する評価である.専門家は三〇項目のうち,電子力発電を二〇番目に危険なものと評価しており,全体の中ではそれほどリスクは高くないと判断している.一方で,女性グループと大学生は原子力を一位,ビジネスマンの団体は八位と位置づけており,特に女性グループと大学生は,原子力は極めて危険性が高いものとして評価している.
このような差は,専門家は「被害の大きさ×生起確率」で被害を考えるのに対し,素人は客観的な数値によらず判断しているために生じると言われている.一般の人々は,単純に定量的データだけに基づいてリスクを判断するのではなく,過去に類似の事故はなかったか,過去に行政機関がどのような規制を行ってきたか,安全対策は実効的か,提供される情報に偏りはないか,またその情報は信頼できるのかなど,経験的価値判断をむしろ重視して,リスクを認知しているのである.
(『対話の場をデザインする 科学技術と社会のあいだをつなぐということ (大阪大学新世紀レクチャー)』pp.12-13.転載元

例えば原子力発電の仕組みや原子力発電所がいかに耐震性や耐久性に重点を置いて設計されているかについて教えても、原子力発電所が実際どう稼働しているか、その設計理念や職員の規模までは教えない。自動車工場でもいい、製鉄所でもいい。もしくはウェブサービスでもい。これら理屈をどうモノにしたかは、高校までの教育では十分扱えていない現状がある。
(略)
外国ではテクノロジーに関する教育は、10〜12年程度が基本で、テクノロジーに限らずその本質である設計についてやその周辺である労働、それからテクノロジーが社会にどういった影響を与えたかという歴史までみっちりと教育している。
科学研究費事業仕分け問題を教育で解決する現時点でのたった一つの最適解 - 技術教師ブログ転載元

運動会関連では:

たとえば、「運動会の日程を変更しろ」との申し入れがあるとする。これに対し、事前に答え方を数通り考えておかなければならないのだ。
(略)
こんな具合に、一つの苦情に複数の回答を用意しておかねばならない。
(『なぜあの教師は保護者を怒らせるのか プロ直伝! 学校の苦情取扱説明書』pp.26-28. 転載元

*1:http://togetter.com/li/873801#c2156194

*2:「軽減」は「低減」とまた違うらしい:http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/f/11/index1.html.ざっとネットを調査---本文で「ネットの情報」の無価値化を書いたことを自覚しつつ---したところ,リスクに関しては,「軽減」よりも「低減」がよく用いられるようで.