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組体操・組立体操を論じるなら,まず浜田靖一の著書を

組体操に関する当ブログの記事の中で,以下は,他と意味合いが異なっているようにも思います.

内容について,安全性や荷重計算のことを書いておらず,当ブログでよく採用する,1冊の本の抜き書きと所感,そしてWebの関連情報という構成をとっています.
もう一つ,書いておくべきなのは,この記事が,駄文にゅうすでリンクされたことです(現在はhttp://ariel.s8.xrea.com/news/2016_02.htm#20160208).外からのリンクは,記事を書く励みになっています.
さて,その後に得た情報から,「組体操・組立体操を論じるなら,まず浜田靖一の著書を」と言ってよさそうです.Webで入手できる新しい情報から順に,取り上げ方を見ていきます.

濱田靖一(1914〜2008)の著書には組体操の原点があるように思われる[27][28].『組体操』や『イラストでみる組体操・組立体操』はレオナルド・ダ・ビンチの解剖図を見るようだ.骨格,筋肉が精密に描かれていて,人が人として扱われている.たとえば,組手についても手首握り,指握り,挙握り,銃握り,肘握り,上膊(はく)握り,握手握り,拇握り,足握りと人体の構造と運動を細かく分析して描かれている(図21).最近の組体操の書籍は骨格や筋肉の描写がなく,人は人形として描かれている.
図22は体育系大学生によるピラミッド5段(左)にタワー3段(右)の実演である[28].文献の257〜258ページにこの写真が掲載されている.私はこれを「健全な組体操」と呼びたい.鍛え抜かれた体育系大学生の組体操は,ゆとりと美しさを感じさせる.大学生がする組体操と同じものを発育段階の小中学生に要求してはいけない.
濱田は前掲書232ページに「組立体操の約束」として次のように記述している[28].
「人体は純粋物理学の対象にはならない―組立は物理的に合理性を持たなければならない.しかし,人体は建築材料のように純粋物理学の対象にはならない.全員の体重を計量したからうまくいくというものではない.同じ50kgの体重の人でも,筋肉質で強固な人もいれば,脂肪肥りで虚弱な体質の人もいる.同じ身長の人でも柔軟性や巧ち性,気持ちの持ち方,すなわち,精神的な差異もあるから,身長や体重はいちおうの目安になるが万全ではない.したがって,指導者は総合的な体力や経験をもとにして計算すべきである」
「山高きが故に尊からず―組立体操ではその構成のよさ,素材の生かし方(発育段階,性別),形のもつリズムや重点の指向,適材適所の協調組立,解体の手順のよさ,練習の成果などを評価の対象にすべきである.組立の速さ,持続,高さなどを競う競技ではない.意外性だけを追及したり奇をてらったりして競技に持ちこむことは危険であり,組立体操の邪道である」
巨大ピラミッドを推進してきた指導者たちは,いまいちど濱田靖一氏の著書を読み返して欲しいものである.

■「組体操」とは何だったか? 「組体操」と「組立体操」
まるで組体操は、「百害あって一利なし」のような雰囲気が漂い始めている。
しかしながら、そもそも「組体操」とはいったい何だったのか。「組体操=巨大ピラミッド」という印象が強すぎて、組体操そのもののあり方をめぐる議論が、誤った方向に進んでいるように思えてしまう。
「組体操」に類する語として、「組立体操」という語がある。1940年代から組体操関連の著書を数多く執筆してきた濱田靖一氏[注1]は、「組体操」を「二人以上の人たちが組んで行う体操」と規定し、「組立体操」を「表現性の強い体操」であり「空間に互いの意図する造形を構築し、美の共同感ともいうべき雰囲気を味わうもの」と説明する[注2]。

日本大学の教授であった、故浜田靖一先生が組体操について「日本の学校体育の中ではかなり古い歴史を持ちながら、あまり、研究もされず、大きな発展もせず、今日に至っている。それではこの運動は現在行われていないのかというと決してそうではない。現在、現場の先生方の間ではかなり関心が持たれているし、運動会やマスゲームでは主役的な役割さえしているのである。」と述べられている。その後、組み体操は現在でも高い確率で行われているにもかかわらず(後述アンケート結果 参照)、浜田先生の著作以外、指導書や教材は皆無と言っても過言ではない。その浜田先生の著作も小・中学校で使える指導書という類のものではなく、図解にて技を紹介しているといったもので組み方の説明はない。まさしく、あまり、研究もされず、大きな発展もせず、今日に至っている。
こういった状況の中で、私自身が25年間の保健体育教諭としてさまざまな現場やインターネット上に配信されている動画を見た上で感じることは、安全面での配慮に欠けていたり、適切な指導がされていなかったりする場面が多々あると言うことである。その結果として、組体操指導の中で、多くの事故が起き、怪我人が出ているのである。1988年には愛媛県人間ピラミッドが崩れ、小学6年の男子児童が圧死したほか、1990年には福岡県で高校3年の男子生徒がピラミッドの崩壊により首の骨を折り、脊髄損傷の後遺症を残している。
筆者等が現在指導している組み体操は、従来のものとは異なる特徴を持つようになっている。即ち、①チアリーディンクの要素を取り入れ、持ち上げたり、移動したり、跳んだりなどの動きがある。②基本は、昔からある形で、これに動作を加えたりしている。③以前の組体操とは違い、力より、むしろ、タイミングで完成させる。④一つの技から、次の動きへと展開がある。

2 主題設定の理由
(1) 組体操についての定義
濱田(1996)は,「組体操はパートナー・エクササイズ(partner exercise)とかペア・ギムナスティクス(pair gymnastics)といい,二人以上の人たちが組んで行う体操です。すなわち,互いに力を貸したり,体重を利用し合ったり,体のもつ特質や技術を提供し合うことによって,一人では得られない効果をねらう体操です。」2)と述べている。また,「スポーツが体育の教材として多く取り入れられている現在,ともすれば体育は競争,競闘だけの場になり,勝敗や記録の更新だけが優先される場になりやすいものです。しかし,人間の社会が勝敗や闘争だけで成り立っているわけではありません。集団による協力や協同,援助,連携,支えが必要です。」2)とも述べている。このことから,組体操には,今の教育に必要な要素を多く含んでいることがわかる。この要素を子どもたちに実感させることで,組体操という競技から人として大切なこと,生きていく上での糧を得ることにも繋がるであろう。

以下,各著者の姓のみで上記の情報源を指すものとします.
ここで,人物名の表記について確認しておきます.手元にある『組体操 (1972年)』は1972年刊で,奥付などでの著者名は「浜田靖一」,カバー(表紙,背)も同じ,といいたいのですが,「靖」のつくりが,「鯖」のそれと同じになっています.西山と小川で引用されているのは,『イラストでみる組体操・組立体操』で,Amazonでは著者名が「浜田靖一」となっていますが,書影は「濱田靖一 著・画」です.
4つの情報限から,さらに絞り込んで,吉野と西山をより深く,見ていきます.共通点として,浜田の著書に書かれた技は,そのまま小中学生にさせるわけにいかないとしています.具体的には,西山では「鍛え抜かれた体育系大学生の組体操は,ゆとりと美しさを感じさせる.大学生がする組体操と同じものを発育段階の小中学生に要求してはいけない.」,吉野では「その浜田先生の著作も小・中学校で使える指導書という類のものではなく、図解にて技を紹介しているといったもので組み方の説明はない。」の箇所です.
小さな共通点,そして大きな違いは,ともに組体操の指導者にも読んでもらうことを想定して,書かれていることです.吉野の(上で引用していない)成果の主要部は,「従来のものとは異なる特徴」言い換えると独自の観点*1を記していること,そして,指導してきた技を精査し,7つの技の指導法をDVD教材としていることとなっています.7つの技の最初に挙げ,またサンプルDVD教材Ver1に選んだ技は,「3段ピラミッド一気立ち」ですが,これは「クイックピラミッド」「ポップアップピラミッド」とも呼ばれる技です*2
そういった項目・技の整理や,教材作成と指導教員からのアドバイスについて,西山では一切言及されず,「巨大ピラミッドを推進してきた指導者たちは,いまいちど濱田靖一氏の著書を読み返して欲しいものである.」に引き続いて,吉野を出典に入れつつ,10段ピラミッドへと結び付けています.
共通の情報源に対し,誰がどのようなスタンスでどこを取り上げ,結果的にどこを取り上げないことになるのかについては,ブログや学術論文や,何らかの解説を読んだり書いたりする者として,注意しないといけないという思いを新たにしました.


かつてメモを作り,1件の記事にうまくできなかったことを,ここで整理しておきます.組体操(組立体操)の技の安全性について,「これは安全」は言うべきではありません.それに対して,根拠をもとに「これは危険」と言うのは,有りだと思います.
安全性/危険性に関する,数量化可能な尺度として,1つの技を構成する人数,高さ(例えば最も高い者の足の位置),最大荷重および各演技者にかかる荷重,指導にかける時間(長期にわたって取り組むと安定性が増すが,練習中の事故も起こりやすくなる?)が考えられます.
また特定の技について,より安全と判断できるような要素として,補助者を含む参加人数,採用実績,解説事例(多くの本に載っていること)が,より危険と判断できる要素として,事故経験,事故の報告数が挙げられます.
また上記と比べて,数量化・顕在化は難しいかもしれませんが,演技者(子どもたち)相互の理解・信頼も,安全性を左右するのではないでしょうか.
安全・危険という判断軸のほかに,成功・失敗という判断軸を,設けることができるかもしれません.先生が大技を企画し,練習中にケガ人が出たため採用しなくなったのは,危険かつ失敗に位置づけられます.本番で大技が途中で崩れ,アンコールを受けてやり直すも失敗して,結局,誰もケガせず退場するのは,各人の判断基準により,危険かつ失敗,危険かつ成功(技はできなかったが盛り上がったという点で),安全かつ失敗,安全かつ成功のいずれにもなりそうです.

(最終更新:2016-04-11 朝.タイトルを,当初の「浜田靖一をめぐって」から変更しました)

*1:とはいえ独りよがりのものではなく,学術的な取りまとめとして,分類・整理は重要なことですし,①-④の各特徴を見た人が,それに基づいて(出典を挙げて),従来の技を分類したり,新たな技や特徴を提案したりしやすくなります.

*2:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20151005/1443981007.再び,書いておきますが,isbn:9784334038632 p.66では,「多大なリスクを抱えた種目の紹介とは思えないフレーズである」と,埼玉県組体操協会による講習会を批判する形で,大ピラミッドとポップアップピラミッドを同列に並べています.