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MITのシャノン教授の,学生との対話

クロード・シャノン 情報時代を発明した男 (単行本)

クロード・シャノン 情報時代を発明した男 (単行本)

 シャノンと言えば,情報理論です.ある先生の情報理論(学部生向け科目)のテストでは毎年,最初の問題の答えは「シャノン」だそうで.
 それはさておき,今回読んだ本です.シャノンの生涯が読みやすく集約されていました.数式はごくわずかで,情報理論も数学も知識なしで読み通せます.
 「26 シャノン教授」はp.305から始まります.1950年代後半*1,MITの正教授として,ベル研からシャノンをいわば「引き抜いた」ころの,講義や指導の状況について,簡潔ながら想像できる内容となっています.
 MITで講義をしながら,学生のアイデアを聞いて,これはとシャノン教授が思った学生は,ウィンチェスターにある教授の自宅に招待し,「いつでも興味深い問題について質問することを許された」(p.316)とのこと.
 ロバート・ギャラガーが照会する逸話が,学生との対話として興味深いものでした(pp.317-318).

僕は、すごく素晴らしい研究のアイデアを思いついた。みんなが役に立たないものを使って取り組んでいるものより、はるかに優れた通信システムを構築するためのアイデアだ。そこで先生のところを訪ねてそのアイデアを話し、分析の障害になっている問題について説明した。先生は問題について考えてから、ちょっと当惑した表情でこう言った。『この仮定は、本当に必要かな』。そこで、この仮定がなくても問題を考えることはできると思いますと答えた。それからしばらく会話が続き、そのあとに今度はこう尋ねられた。『今度の仮定は必要かな』。最初はちょっと非現実的で、問題が少々単純化されすぎているような印象だったけれど、これなら問題を簡単に考えられることがすぐにわかった。このプロセスを五回も六回も繰り返した。先生は、問題の解決法を直ちに理解したわけではなかったと思う。手探りで見つけ出そうとした。でもすごいのは、問題のどの部分は本質的で、どの部分は些末なのか、直感的に理解するところだ。
 そしてある時点で、僕は動揺し始めた。素晴らしい研究課題だと自信を持っていた問題が、くだらないものに見えてきたからだ。でもそれからさらに経過して、余計な部分が全て取り除かれると、その時点での解決法が見つかった。そこで今度は、予め取り除かれた小さな仮定の数々を少しずつ戻していくと、いきなり問題全体の解決法が見つかった。これが先生とのやり方だ。何か問題があると、最も単純な事例を見つけ、それがなぜ機能するのか、なぜその考え方が正しいのか見つけ出そうとする。

 自分は教授でもなく,自宅に学生を招待するでもなく,基本的には研究室(学生室)で,ときにはメールを介して,学生指導をしています.
 学生からの相談でよく来るのは,彼らがコーディングしている内容です.研究のゴールや,利用可能な開発環境・データなどは,事前に共有しています.思うように動かないんですけどと言うのを聞き飛ばし,プログラムコードを見て全体を把握したら,手直しすべき箇所が,あっさりと見つかることもあれば,実行することで表示される,エラーの行番号をヒントに,探ることもあります.
 一部のコードを書き換えたり,コメントアウトしたりそのコメントを取り除いたりしていきながら,実行にあたり,どの処理が不可欠で,どこの記述は必須でないかを,見つけていきます.
 コンパイルエラーやランタイムエラーを取り除くことが,目的ではありません.期待どおりに動くことを目指します.その目指すところに,接点を見出せないコードは,手をつけないのが大部分ですが,思い切って取り除くことで,すべきことに近づける場合もあります.
 それともう一つ,問題解決の主体者は,教員ではなく学生であることも,意識しないといけません.とくにメールで返信を書く際には,改善のための方針を簡潔にまとめるのに,時間が取られます.「簡潔」といっても,字数が短ければいいというわけではなく,専門用語が通じない可能性があるときには,他の表現を,辞書や,検索エンジンに頼ることもあります.
 今後も個別に指導し,学生の手に負えない(そして研究の進行上,回避できない)状況では,短時間で解決のためのコードを書き上げたりしていきながら,あくせく働く日が続きます.Publish or perishを心に留め,各学生の修士論文卒業論文やそして自分が関わる学会発表のスケジュールも,きちんと管理しないといけません.
 「天才」「情報理論の父」の本は,職場の本棚に置き,ときどき手に取ることにします.

*1:同書p.305およびwikipedia:Claude_Shannonでは,MITの着任の年を1956年としています.本では「一学期限定の客員教授として招いた」ともあります.またp.308には「正教授としてマサチューセッツに常駐してほしいという提案は,簡単に拒めなかった.もしも受け入れれば,シャノンは一九五七年一月一日付で通信科学並びに数学の教授に任命され」と書かれています.授業風景や学生とのやりとりの記述には,具体的な年は見当たりません.