コメントも含めて通し読みして,先頭に戻ってツイートを読み直すと,以下のところが目にとまりました.
もっと,目にとまったところを示すと,「萎縮」の2文字です.
萎縮してしまうと,研究室内の(あるいは先生の)机の上が濡れてしまっても,誰もそれを拭こうとしないという事態が起こり得ます.*1
研究室*2における「萎縮」には,さらに悪い効果もあって,そういった萎縮が,研究における問題解決や,問題発見の芽を,摘んでしまうことにもなりかねません.
指導する側としては,何にせよまずやってくれたことに感謝し,それから,何かしら望ましくなかったのであれば,今後のための希望を伝えること,これに尽きますね.
その一方で,自分があいまいな指示を受けたときには,必ずしも感謝してもらえるとは限らないし,それどころか自分のとる行動が周囲に迷惑をかけてしまう可能性も忘れないようにしつつ,それでも何もしないわけにはいかないので,ベストの行動を選ぶ必要もあります.
「働くとは,ハタをラクにすることだ」を心にとめておき,いろいろやっていくことにします.
「ありがとう」で思い出した文章を:
大学院に入った私は,「統計学輪講」という科目を履修した.(略) ここで私は,工学部のカルチャーと経済学部のカルチャーの違いをたっぷり教えて頂いたのである.
この授業では各学生が順番に,統計学の専門誌に掲載された論文について解説を行い,それについて教授たちが質問する形式で進められるのだが,経済学者は自分がよく読み込んだ論文を学生に発表させ,理解不十分と思われる部分があると質問を浴びせてくる.うまく答えられて当たり前,答えられないときには厳しい叱責が待っている.その間発表者は,顔面蒼白になって叱責に耐えるのである.
一方,工学部の教授はどうかと言えば,まだ自分が読んでいない面白そうな論文を学生に与え,うまく発表すると,「そうか,わかった.これで一つ賢くなった.ありがとう」とお礼を言ってくれる.質問にうまく答えられないときは,別の工学部教授が,「これはこういうことでしょう」と助け船を出してくれる.
最初の数回で,私は経済学者の厳しさにはとてもついていけないと感じた.彼らは他人に厳しい.そしてこのバトルを生き抜いた強者が教授となり,再び学生を厳しくしごくのである.
(『「理工系離れ」が経済力を奪う 日経プレミアシリーズ』pp.59-60; 転載元)