- 家族と、宗教。宗教ありきの家で育った、宗教2世たちの素顔。未発表描き下ろし45Pを加え単行本化! 『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』(菊池 真理子) | 特設サイト - 文藝春秋BOOKS
- wikipedia:「神様」のいる家で育ちました_〜宗教2世な私たち〜
読後感の悪い本でした.いくつかの話の中に,日常使わない単語があるのですが,それをGoogleに通すと,どこの宗教に関するものなのかが容易に分かります.にもかかわらず,どの話にも,この単行本のどこにも,そして上記の特設サイトやWikipediaエントリの中にも,それらの宗教団体の情報が書かれていないのです.
見慣れない語句だけでなく,描写されているコマからも,「あそこだ」と判断できたり,読者によっては見覚えがあると,すぐに気がついたりするのかもしれません.過去につけたはてブを読み直すと,https://dot.asahi.com/wa/2017040500085.html?page=2に「「100人に1人」ぐらいに気づかれるコントロールがちょうどいい」と書かれていました.『「神様」のいる家で育ちました』の各話のもととなる宗教については,100人より少ないように感じました.宗教団体の名称を記さないのは,この単行本における「コントロール」と理解したのですが,読んだ自分にとっては,悪い方向に作用したように感じました.
第1話で「サタンにつけこまれるんじゃないよ」と,母が,子(第1話の主人公,そして宗教2世)を叱るシーンについて,宗教から離れて,これはあれだと思うものがありました.「あれ」は本記事のタイトルに書いたとおりです.深掘りする前に,単行本から得た情報をいくつか挙げると,第1話には何度か「サタン」の語が出現するほか,サタンをかたどったキャラクターが少年時代の主人公の後ろにつくという絵もあります.他話の「前世で人を焼き殺してるの」「家族全員地獄行きだからね」「教主様には届くから」などは,それぞれの宗教(2世などに対する著者の聞き取り経験)のもとで,親が子を束縛する光景・セリフとなっています.
「サタンにつけこまれるんじゃないよ」で連想したのは,「掛け算の順序という嘘出鱈目を教えるな」でした.そのものずばりなのはhttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/1204440607948595200です.そのほか,https://togetter.com/li/1532625で嘘出鱈目を検索することでも,見つかります.
とはいえ,「掛け算の順序という嘘出鱈目を教えるな」と指導している宗教団体や,逆に「掛け算の順序」を教義に取り入れて推進するような宗教団体を,探そうとしても,見つけられそうにありません.また「教えるな」というツイートの読む対象は,子どもではありません.「サタン…」も「掛け算の順序…」も,それぞれの発話者は当然のものとして使用し,常習化していると,読んで推測できたのでした.
なお,ツイッターをはじめインターネット上の情報では,「掛け算の順序」が批判の対象となっていますが,算数教育では「かけ算(乗法)の意味」と表記されます.無料で読むことができる解説は,https://doi.org/10.32296/jjsme.92.11_50よりダウンロードできます.書籍や論文を通じて知ることのできる,海外の算数教育や授業でも,a+bとb+a,a×bとb×aの対比が試みられており,答えは同じでも意味は違うことを重視するという見解になっています*1.今年,サブブログ(かけ算の順序の昔話)で公開した以下の記事は,駄文にゅうすで取り上げていただき,多くの人の目に触れてもらう機会となりました.
自分の家庭においての宗教との関わりを,宗派を明記せずに書いておくと,結婚するまでは家庭内や親類(とくに母方)の集まる法事で「正信偈」を読み,結婚してからうえの子が生まれるくらいまでは,寝る前に妻と仏壇の前で,般若心経を拝んでいました.
もう一つ,思い出すのは,高校の柔道場です.目線より高くなる位置に,神棚が設置されていました.これについて初回に顧問の先生が,信教の自由の問題もあるかもしれないけれど気にするなといった趣旨をおっしゃっていました.部活の終わる前には,先生が神棚を背に,部員は神棚が見える方向に,それぞれ正座して,数十秒の黙想のあと,キャプテンが「やめて,礼」の号令をかけていました.
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