当雑記でこれまで,博士論文/学位論文/D論に対して何を書いてきたか,見直してみました.
冠詞のtheの使い方(の一つ)について,D論を書いていたときにいただいたアドバイスを思い出す:「規則の左辺」の英語は,the left-hand side of a ruleかthe left-hand side of the ruleのいずれかです.規則は,文脈によって不特定(かつ単数)ならa rule,特定ならthe ruleです.不特定であっても,規則を一つ決めたら,そこから左辺は特定されるので,the left-hand sideとなります.
最後のチェック - わさっき
引き継ぎについては,D論執筆の息抜きとして検討し,D論関係の作業がひととおり終わって後輩(理想的には,そのときM2で,次年度ドクターコースに進学するという人)が修論の最終段階というときに,詳細化して,彼または彼女も一区切りついたところで,話し合うのがいいでしょう.
研究室広報係のすすめ - わさっき
学生が筆頭筆者なら,卒論/修論/D論にするための業績の一部として書かれたと考えられます.
文献紹介心得 - わさっき
学生室の両端に,本棚があります.教員に近い本棚には,研究グループの過去のD論/修論/卒論や,学会発行の論文集,研究に参考になる本が並べられており,そのいくつかはノートで貸出管理がなされています.
学生室の本棚に - わさっき
ドクターコースでは,標準的には3年間研究室で学んで(ここでも社会人ドクターは別として),査読付き論文を中心とした研究業績を挙げ,博士論文とするものです.これを「コースドクター」「課程博士」と言います.
続・大学院 - わさっき
マスターコースを終えると,多くの人はそこで就職しますが,さらに上の課程に進む人もいます.
大学院 - わさっき
そこでは3年間かけて,研究をします.講義は基本的に受講しません.
最終的に,博士論文を作り上げます.
博士論文は,少し位置付けとやり方が異なります.ちなみに『博士論文』は『はかせろんぶん』とも言う人がおりますが,一般的には『はくしろんぶん』です.『学位論文』という言う人もいます.卒論・修論と同様に略すと,博論…と言いたいところですが,D論(でぃーろん)になります.ドクターの論文,ということですかね.
論文について,言ったこと書いたこと - わさっき
ストーリーとしては,「私」の
「アスターはおそらくストレスでいらだっていたのだろう.彼女の言葉を真に受けてはいけない.私は君の論文審査委員会のメンバーだから,君の研究が,アスターの希望ほどではないかもしれないが,着実に進んでいることは知っている.君は,1週間以内にもう一度アスターのところへ行き,前回の話の続きをしたいと申し出るんだ.そして,自分と定期的に面会して,もっとアドバイスをしてほしいと頼むといい.自分が長い間このプロジェクトに打ち込んでいて,研究を完成させる意思があることを,はっきりと言わないといけないよ」
(p.127)というアドバイスにより,指導教員を替えることなく,その1年半後に学位論文を書き上げた,というハッピーエンドになっています.
ドクターコース学生の心理 - わさっき
まず,3年間でドクターコースを終え学位を得るための,国際会議,論文投稿,そして博士論文提出と審査について,大まかな流れとデッドラインを知らせるのは,教員の義務だろなと感じました.
社会人ドクターのリモート論文指導法 - わさっき
私が大学院生活において,はじめて研究指導をしたと覚えているのは,D3(博士後期課程3年生)の11月,たしか条件付き採録となった論文の修正版を送り,アルバイトと博士論文執筆を両立させながら,大学に泊まり込んだときの,夜11時ごろのことでした.
ある教育者のマイルストーン - わさっき
そういえば現在の勤務校を初めて訪れたのは,D論作成にかかり始めたころのD3の11月で,大学祭で,これと同じテレビゲームの大会に参加するためでした.
大学生活の思い出 - わさっき
博士論文を出したときに,「さいた」のニューズに載せたいので概要を書いてほしいと言われ,書いた記憶があります(紙面は見ていませんが).
ICITA? いや,憶えていたのはISITA - わさっき
研究の取りまとめに書くのが「論文」です.学会に投稿し,審査に通ったものだけが発行される「学術論文」と,卒業や修了の要件として,大学に提出する「学位論文」に分けられます.学位論文はさらに「博士論文」,「修士論文」,「卒業論文」に分かれます.ただし,博士論文のみを学位論文と呼ぶ流儀もあります.
論文,予稿,paper - わさっき
卒論などでタイトルを決めるときは,「何を対象として」「何を使って」「何をしたか」のうち,少なくとも2つを含めてください.すべて書くと,タイトルが不自然に長くなることがあります.1つでは,漠然としたタイトルになってしまいます*1.
2006年12月18日〜22日 - わさっき
*1:だけど,自分の博士論文は,対象しか書いていないなあ….
博士論文は,学生としての最後の取りまとめでありますが,それだけでなく,研究室で後輩が見ていくわけですし,20年,30年後に,学生に博士論文の取りまとめを指導するときの,土台になります.これから改訂していく際,今日の先生方の意見をもとに修正するのも確かに必要ですが,それよりもむしろ,自分にとって納得のいく内容に仕上げるよう,心がけてください.
2006年12月11日〜15日 - わさっき
これを書いた動機
博士論文提出完了とのこと,おつかれさまでした.本当に「おつかれさま」と言っていいのは,最終審査を終えてからなのですけどね.
後者については,たまにはてブニュースで見かけるとアクセスするという程度の者より,勝手にリンクさせてもらいまして,びっくりされたことでしょう.またご自身の立場・ご経験を率直に書かれたエントリでトラックバックをお送りいただき,感謝至極です.
さて手元に,自分の博士論文があります.「Doctor's Thesis」です.提出日は「February 9, 1998」です.偶然にも月日が一致しています.偶然なわけなくって,今日,このエントリを書こうと,日程調整していたのでした.
表紙を見直すと,右上に,「NAIST-IS-DT9561024」というのが書かれています.学内で(学外からも?)検索すれば,見つかるのでしょう.
あれからちょうど,12年になるのでした.
あそこの大学で1年間,助手をしながら,週1回だけ今の大学に来て3年生(1期生)の指導のお手伝いをしたこと.現任校で,博士論文の副査を務めさせてもらったこと.データベースシステムの構築ばっかりしていたところに,学生時代と同じように形式化をすることで論文を書く必要性を感じ,書いて*1,幸いにも通ったこと.
しかしそんな思いにひたっている余裕も,ありません.これからのことを考えないといけません.あとから大学に赴任した若い先生が,業績・能力で私を超えていれば,年齢や勤務年数に関係なく上がってもらうのはしゃあないでしょ,当ったり前やんと思っていても,組織としていろいろありそうなのは感じています.論文書きも,研究室運営も授業も,このテンプレートに従って進めていればOKというものはなく,成功・失敗の記憶をその都度,呼び起こし,悪戦苦闘して,できれば年がたつほど,成功の頻度を増やし失敗の頻度を減らすようにしながら,ベテランと呼ばれる人に,ならなければならないのでしょう.
あともう一つ,怠慢さをお許しください.mamorukさんが学位を取ってから,どんな進路をとるのか……アカデミックの世界なのかそうではない分野・職種なのか,4月から新天地で勤務なのか,ひょっとしたら今企業で勤めてらして,そこで博士論文執筆というタガがとれて今まで以上に業務に邁進されるのか……おそらくは日記を読めば書かれていると想像しますが,読む時間をとらないことへの怠慢さです.
ともあれ,師匠や先輩の考え方を自分のものにしようとする貪欲さだけでなく,後輩への温かい目をお持ちのmamorukさんなので,どこへ行っても通用する研究者・技術者,そして教育者になることでしょう.今後の活躍と,日記の充実に,期待したいと思います.
*1:最近では,査読無しなら1回泊まり込んで,査読付きになると2回泊まり込んで,書き上げています.妻そして家族の寛容さに感謝です.