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標準学力検査,高大接続テスト

座長による,標準学力検査の位置づけ

一番困るのは,子どもに力がついているかどうかを全然考えないで,表面的な活動のあり方だけで,子どもを大事にしたつもり,子どもを大事にしているはず,と満足してしまうことである.「つもり」も「はず」も大事であるが,その「つもり」「はず」が現実に子ども自身の上に実を結んでいるかどうか,きちんとチェックしてみなければいけない.この意味で,どの学校でも簡単な自己評価表とワークシートくらいは準備してほしいものである.その上で,年に一回か二回は,きちんとした標準学力検査の実施などを考えてみるべきであろう.
これこそが,実は,形成的評価の考え方なのである.何らかの結論を出すための評価ではなく,指導の手がかりと次の学習の課題設定のための評価,ということである.形成的評価の研究においては,成績づけの方法とかテスト理論は余り出てくることはない.結局のところ,形成的評価の工夫とは,子どもに一歩一歩力をつけていく確かな授業をどう作っていくか,という話にならざるをえないのである.

(『[isbn:9784182952180:title]』,p.58)

小さくページ数も少なく,さっと読める本でした.教育方法が確立している小中学校の先生が,読んで,欠けているところがないかを確認するのに良さそうに思えました.
そういう全体構成からすると,上の引用は,まったく取るに足らない記述なのですが,全国学力テストに関心のある者として,びっくりさせられました.著者が,全国学力テストについてこれまでそして今年も,専門家会議座長を務めている方である,という背景もあります.
「きちんとした標準学力検査」は,全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)と,自治体テストを念頭に置いているのでしょう.そして,「成績づけの方法とかテスト理論は余り出てくることはない」とあります.言い換えてみると,「点数にするのではなく,解答から学習の定着度を測れ」です.『「子供や教師一人一人に自らの課題を把握させるという全国学力テストの趣旨を全く理解していない、素人の議論だ」』(http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20091126/1259185228より孫引き)と合致します.
去年の11月,その新聞記事を目にしたときには,「全国学力テストに目的が複数あって,その一つに乗っかかる人」と評しました.とはいえじきにクールダウンしました.産経新聞は全国学力テストの規模縮小(抽出化)に批判的だから,その文脈で書かれてしまったのかな,この方に文句を言ってもしょうがなかったな,と.何冊か本を読むうちに,評価を良い方向になっていました.そんなときに出くわした記述が,上の引用です.「標準学力検査の実施」について,子ども・教師といった狭い範囲だけではなく,教育施策や,社会に与える影響といった観点から,メリット・デメリットが書かれていないのが,非常に残念です.

高大接続テストへの批判

という文書を知り,読みました.全国都道府県教育長協議会の会長名による意見表明で,重要そうなのは,「複数回実施は高校教育上良くない」「大学入試センター試験をベースにするのが望ましい」といったあたりでしょうか.
その中で,複数回実施の批判の一つとして,項目反応理論への言及があります.

(2)IRT(項目反応理論)の適用について
教科書に掲載されている題材からの出題や、複数回の試験間の比較が、IRTを適用することによって、どのような条件のもとであれば公平性を損なうことなく本当に可能になるかについて、十分検討するよう要望します。
近年、地方自治体においては事務全般にわたる情報開示が進んでおり、高等学校入学者選抜等についても透明性を高めています。IRTの適用に当たっては、問題と正解が公表されないことが前提となりますが、このことについては前もって各方面の理解を十分に図るよう要望します。

「要望」は段落ごとに一つずつあります.前者については,結局のところIRTが,教育に携わる人々に周知されていない点に尽きると思います.後者の中の「透明性」というのは,全国共通の高大接続テストを実施すれば,センター試験や大学入試と同様に,問題・正解を公表すべきだという主張なのかなと感じましたが,この主張の妥当性については,保留したいと思います.なお,「問題と正解が公表されない」については,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20100429/1272492476で泥臭い検討をしたことがあります.
IRTを活用した,日本国内でのテスト(学力検査)の有効性・有用性を知りたいものです.いや,やってみるべきなのでしょうね,自分の担当科目で.