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大学入試の終焉?

大学入試の終焉―高大接続テストによる再生

大学入試の終焉―高大接続テストによる再生

国立大学協会第2常置委員会,入試委員会等の専門委員」「『高大接続テストの協議・研究』(2008〜2010)の研究代表」(奥書より)という経歴の著者に対して,何をもの申そう….
高大接続テストは,項目応答理論(IRT)に基づく,目標準拠型の達成度テストであるべきだと主張しています.TOEFLや,医歯薬のCBT (Computer Based Testing),資格試験,河合塾の「受験学力測定テスト」といったIRTの採用例を挙げています(pp.96-97)が,日本の大学入試への適用には,まだまだ壁があるように感じます.
たとえば,問題プール(項目バンク)の構築について,pp.129-130に説明があるものの,それを読んだ限りでは,誰もが思いつく

  • 問題プールの中身が丸ごと漏洩されたら,運営はどうなるのか

や,以前に全国学力テストで思案した

  • 出題を非公開としても,受験者の記憶を持ち寄ることで,どのような分野・種類の出題がなされているのかが描けるのではないか

といった点について,対策になりそうな記述が見つからなかったのです.
次に気になったのは,総合判定主義に賛同している点です.その片鱗はp.66あたりにも見られますが,一つの段落で書かれているところを取り出しておきます.

高大接続テストの導入とともに、「大学全入」段階での入学者選抜制度自体の改革が必要とされることは言うまでもありません。高大接続テストが導入されれば、長く文科省が追求し、「四六答申」などが実現を図った「総合判定主義」に基づく選抜が可能となります。選抜制の高い大学でも、アメリカの大学のように、テストによる基礎学力の確認とともに高校の調査書を組み合わせた書類選考、さらに面接なども加えて、テストで測ることのできない学力や能力・資質・個性・情熱などを考慮に入れた選抜を安定して実施することができるのです。
(p.149)

この記述に,あえて突っ込むなら,「アメリカの大学(の選抜方式)を目指すのですか?」でしょうか.といってもそこは,本質ではありません.
関連する他のページも読んだ上で,最も気になったのは,その総合判定主義においても,合否判定のプロセスが不可欠であり,それをどのように実施すればいいかという提案が,見当たらなかったことです.
おそらく,書類(高大接続テストの結果を含む)・面接を点数化した上で序列化し,定員と歩留まりを考慮して上から○名を合格とする…という方針では,なさそうです.その方式では,論文式試験の限界(pp.122-124)として記されているのと同様に,差がつきにくいことが想像できます.
合否判定に関連して,意識しておきたいのは,不合格とした受験生への説明責任です.開示請求がなされたときに,何を回答・提示するか,また回答ができるよう,合否判定のプロセスにおいて何をしておかないといけないのか,といったあたりが,どうも本からは抜け落ちているように思えてなりません.
ケチばかりつけるのは好きではないので,いくつか思うところを書くことにします.まず,本書の選抜方式をもし採用するのなら,全員がその方式ではなく,従来型の選抜方式と組み合わせる形で導入し,好評であれば,その合格人数,そして定員枠を広げていく,といった進め方が思いつきます.
自分の所属する学科では,推薦,前期,後期の3つが主要な受験方法となっています(私費外国人入試や3年次編入も,コストをかけて実施しています).そして,入学時の学力は,推薦<前期<後期(それぞれの後ろに,「で合格し,入学した学生」がつきます)という傾向があります.後期が高いのは,一つは滑り止め受験があるからです(その分,不本意入学は後期合格による入学者が多いとも言われています)が,3月半ばまで受験勉強をしていることも,無視するわけにはいきません.

現状のどの方式にせよ,また高大接続テストを採用していくにせよ,「テストが終わったら,勉強はしない」となりがちなのが,大学入学後の学習を困難にしている理由として言えそうです.
それの対策は,書くのは簡単で,「入学まで,勉強しましょう」です.受験勉強ではない勉強であり,「学習習慣」と言うべきかもしれません.本を読むのでかまいません.情報の分野に受かったなら,プログラミングをしてみるのもいいでしょう.大学入学後に学ぶ言語と異なっていればいるほど,大学の学習がきっと楽しくなります.
自分はというと…合格を決め,大学というものに期待と不安を持つ“脱”受験生が,読んでなるほどと思えるような情報提供を心がけるとします.