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形成的評価について

《問い》に対して児童が「5×3=15」と書き,バツにされるのは,今も昔も変わりません.
大人が,トランプ配りだの単位付きだので正当化を試みても,

「Kさんのような考え方は認めるが、現実に授業のなかでそういう考え方をするこどもはいなかった。6×4と式をたてた子に聞いてみると、文章題のなかで6という数字が先に出ているから、というにすぎなかった。式は思考の過程を表すもので、答えさえあえばどちらでもいいというわけにはいかない。こどもの発達段階からみて、この場合、4×6と指導するのが最適の方法だ」

1972年1月26日の朝日新聞の記事 | メタメタの日

で,おしまいです.
私自身は上記記事を知るのが遅くなりましたが,それまでに,吟味を経た正答,単位付きの式,ファンタジーの法則*1などを通じて,40年近く前の,総合的な意見を追認するという状況になっています.
しかし40年で,教育…小学校の算数に限定したとしても…というのは何も変わらなかったのかというと,さすがにそんなことはないでしょう.教科書は変わりますし,学習指導要領も改訂されています*2
指導方法は変わらなかったのかというと,気になる言葉があります.「形成的評価」と,それを含む「教育評価」です.
これらの概念を確認するための入口は,wikipedia:教育評価でしょう.次は書籍ですが,別件で購入していた『教育評価 (有斐閣双書)』『確かな学力の育成と評価のあり方 (教育フォーラム)』のいずれも,形成的評価に着目して読み直すと,丁寧に解説されていることに気づきました.
これらから,良い教育のためには良いデザインが必要だというのは,言ってよさそうです.その一方で,これは仮説の域を脱していませんが,例の問いに対して「5×3=15」も正解とする指導方法は,形成的評価,そして現代の教育のしかたに合わないようにも見えます.
そもそも,形成的評価という言葉を思い出させたのは,書籍やWikipediaではありませんでした.一時期アンテナに入れていたブログの,コメントです.

ドラゴン 2010/12/30 09:49
(略)
あと、「算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性」で検索してみてください。同名の論文(ドキュメントファイル)が出るかと思います。この論文の63ページあたりから順序を基にした学力の調査と授業改善についてまとめられています。本論文には、現在の日本数学教育学会長、日本教社会学会長をはじめ、算数数学以外でも教育の大物研究者が大勢かかわっています(よく、これだけのメンバーを集めた、という感じです)。
今、主流の形成的な評価

http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101221/1292905238#c

ドラゴン 2010/12/30 09:58
すみません。
下から9行目、「形成的評価」のあとに「についても理解できるかと思います。」を補足してください。
まだ、多くの人は、テストは学力を測定して成績をつけるものと思われているようですが、小学校段階では、むしろ、この形成的評価の方が主流になっています。

「算数科教科書に形成的な評価を取り入れた学習の有効性」は,(docファイル)です.分量や体裁,また謝辞の中に「学位請求論文」とあるあたりから,どうやら林宜臻氏の博士論文の原稿と思われます*3
しかし,博士論文の提出先大学名や,提出あるいは出版の年月が見当たらないのが,気になってきます.提出した大学は,本文に明記されていませんが,謝辞に書かれている大学教員名から,お茶の水女子大学しか考えられません.作成時期は,参考文献の中で新しいものを…となると,中文文献で林氏が1999〜2003年に発表しているものがあり*4,それを取りまとめたもののように思えます.2003年というと平成15年,自分が結婚した年ですか….
なお,【お茶の水女子大学博士論文リスト】お茶の水女子大学附属図書館にもログイン*5からも,この方の学位取得の記録がありません.これだけ書いて,リファレンスも資料も揃えて,学位にならなかったというのは残念でなりません.
このように,文書の信頼性には留保をした上で,それでも抜き出すと:

(略)以下の意図で、かけ算の事後テスト問題を作成した。
(略)
(2)【1あたり分】【いくつ分】のどちらを先に出すかによる区分け:式でかけ算の場合を表すには、1あたり分が先に述べられる場合といくつ分が先に述べられる場合に分けることができる。子どもはよく問題文の出てくる順序で式を立てる傾向がある。一つ分の大きさを先に述べる場合ならば、かけ算の式の意味を本当に捉えているかどうかを確認することができない。そこで、いくつ分を先に出すの問題意図的に設定した。
(3)問題作り:式のはたらきは計算のためだけではなく、数量の関係を簡潔に表現したり、思考の筋道を反省することに役立てたり、新しい数量関係を導いたりできることなどにある。式のはたらきがややもすると計算のためだけに限定されて指導されていることがある。そこで、学習指導要領には「用いられる場合を知ること」加えて「それを式で表したり、その式をよんだりすること」を明示してある 。そのことを学校現場ではどのくらい実施されるかを確認するために、「問題作り」も設定した。
(pp.56-57,括弧付き数字は実際には丸囲み数字)

『…確認することができない。』で終わる文について,「だからそのような問いは不適切なのだ」ではなく,「そのような問いを出題し,いくつ分を先(被乗数)とする式を書く子を矯正する」という方針です.「矯正」は,もっとマイルドな表現にすべきかもしれません.また上記(3)を自分の言葉に置き換えるなら,ファンタジーの法則を適用して図にした際の,左上と右上を比較しようということですね.
日本語表現に難はありますが,それよりも,この方針を前提として,教育に携わる方々の承認を得,小学校で実証実験を試みたことが肝心なところでしょう.
その「矯正」の必要性は,小学校教諭コミュニティの中ではそれなりに確立されており,学習指導要領,教科書,また遠山啓氏ほかの著書が,その土台となっています.林氏の研究においてポイントとなるのは,何を学ばせるか・身につけさせるか・間違えないようにさせるかは既知(専門知)として,形成的評価という観点でもって指導の支援を試みた点にあると,理解しています.

*1:上記引用の直後の,Kさんの主張については,もしそれが適切な要約であれば,その批判はhttp://d.hatena.ne.jp/takehikom/20110117/1295191031の3枚目の図を主軸とすることになります.合わせて「立式とは」の検討をすべきだなとは思っています.なお,Kさんの行動について,学校・教育委員会・文部省に送りつけるだけでなく,学校教員(教諭)らの研究集会や,数学や教育学を専門とする教員・研究者らに送ったり発表したりして“意見を得る”ことをしなかったのかどうかという疑問もあります.とはいえ,それを新聞報道に求めるわけにはいきませんが.

*2:「変わらない」に属する話ですが,式の中で単位を付けて書くのは極めて限定的であることも,知ることができました.少し挑発的に…誰にだ…言うと,単位付きの式を書いて正当性を主張する人は,昔も今も算数教育のことを考えていない,「大人の世界に立ったまま,子どもの世界にケチをつける人」です.

*3:参考文献を比較した限りでは,「算数教育における主体的な学習に関する研究」D論化したのかなと思います.本文を見ると,『数学教育協議会委員長の銀林 浩氏』を算数専門家の一人としてアンケートしたというのが,両方の文書にあります.ちなみにアンケートの結果は…専門家を中心としたものでなかったこともあり,その点では少々物足りなかったのですが.

*4:アンケートや学校現場での実験については,「1996年」の文字をよく目にします.

*5:私自身は,氏名は日本語,タイトルは英語+日本語で,記録が見つかりました.