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「計算の意味の理解」の調査における一考察

当記事は古い内容となっています.教育評価論から見たかけ算の順序―若柳小学校事例の別考察が最新です.

はじめに

 今年1月,小学校でのある実態調査(URL1)が,「かけ算の順序」が適切でないという文脈の中で取り上げられた(URL2).
 その調査は,伊藤宏が平成13年(2001年)に実施したもので,その中に,計算の意味の理解を問う文章題が含まれている.文章題は「ここに4まいのふくろがあります。かずや君が,1まいのふくろにりんごを3こずつ入れました。りんごは,ぜんぶでなんこありますか。」である.そして「こたえを出すためのしき」と,「その絵」を書かせている.以降では,この調査全体を「伊藤調査」,この文章題を「かずや君の問題」と呼ぶことにする.
 結果は,式については34名中9名が正解,25名が間違いとなっている.間違いのうち21名の式は「4×3」であり,伊藤は「文章に書かれた数字を順番に並べて,「4×3」という回答をした児童が多かった」と分析している.
 一方,絵については,29人を「正しく表すことができた」としている.とくに「式が誤答でも,絵には正しく表すことができた児童」が21名で,先述の誤答者数と一致している.
 これらをもとに,「立式順序で問題状況の理解を測ることはできない」「絵を描かせれば,問題状況の理解を測ることができる」という主張がなされた.この主張は,「かけ算の順序」が適切でないという人々の間で支持を得ているほか,Wikipedia (URL3)にも記されている.
 本記事では,このうち「立式順序で問題状況の理解を測ることはできない」に着目して,他の調査事例や,教育評価に関するキーワードと照合しながら,この出題内容および正答率,また教育面での妥当性検証を試みる.より具体的に書けば,乗法の意味を測るとともに以後の授業実施の支援として,かずや君の問題は妥当なものであることを見ていく.さらに,小学校の教育に直接携われない我々が,正解率が添えられた出題事例や,教育改善の方策について,どのように認識すればよいかについても提案する.
 本論に入る前に,いくつかの表記について注意しておく.「かけ算」は「乗法」,「かけられる数」は「被乗数」,「かける数」は「乗数」とそれぞれ同義である.「積」は,かけ算の答えという意味と,「倍」に相対する概念という意味があり曖昧なため,使用しない.教える側は「先生」「教授者」「教師」,教わる側は「児童」「学習者」「子ども(たち)」を,それぞれ同義として使用している.「著者」は引用元の執筆者を指し,本記事の執筆者は「筆者」と書いて区別する.

いわゆる「かけ算の順序」問題についての見解

 近年Web上で,「かけ算の順序」の議論がよくなされている.また2011年には『かけ算には順序があるのか』と題する本も刊行された[高橋2011].その状況について,個人的な理解を整理しておく.
 筆者は,「かけ算の順序」あるいはそれに類する表現が,小学校の教育の実情を適切に理解し,また教育をより良くするための手立てにはならないと確信している.乗法の意味や指導法・教育法を知るキーワードは,「被乗数と乗数の意味」であり,それらの「区別」である[布川2010].ただし,面積などのように,被乗数と乗数という形で区別が実質的になされないタイプの乗法があるのにも注意したい.乗法のモデルの分類は,[Greer 1992]で詳しく行われている.
 かずや君の問題は,乗数が先,被乗数が後に出現するという特徴がある.この種の文章題は,複数の教科書会社の教科書に掲載されている.そこでは,「一つ分の大きさ」と「幾つ分」に当たるものを発見し,前者を被乗数として×の左,後者を乗数として右に表記することが期待される.かずや君の問題で,正答の式「3×4」は,この理路によって得られる.「一つ分の大きさ×幾つ分」により乗法を意味づけ,「幾つ分」が整数でなくても適用ができるよう意味を拡張することには,数学教育[中島1968][高木1980][日数教2011, pp.73-75]および数学[高木2008][田島1978]の基礎もある.
 かずや君の問題に対する批判は,他の考え方によって4×3を得ることによってなされる.主要な根拠に対し,見解を記すと,まず交換法則については,"While it is true that 3×4 is equal to 4×3, 3×4 may not be the same as 4×3 in a real-life situation." [Anghileri 1988],すなわち「3×4と4×3は,それらを純粋な数であれば,等しいが,実生活(量を伴う具体的な場面)へ適用すると,同じとならないことがある」のであり,これは国内の教科書や指導例においても支持されている.トランプ配りについて,等分除の理解支援には広く活用されるが,乗法への適用は,たとえ等分除を理解した後であっても,見られない.最後に,りんごを,長方形(アレイ)として配置するアプローチでは,袋の数と,1枚の袋に入れるりんごの数が曖昧となる---これは,どこまで抽象化を認めるかという話であり,累加と直積との対立と言える.学校教育においてどちらが良いかという比較については,直積による理解のほうが困難であることが,国内外の研究者・実践家の観察[遠山2009, pp.154-155][Vergnaud 1983]や調査により[Anghileri 1988],示されている.
 実生活への適用という観点での批判も見られるが*1,算数で学んだ乗法(の構造)をどのように活用するかには,精査が求められる.例えば,「数量×単価」という表記に関しては,会計の慣例に依るところが大きい*2.むしろ,金額でない多種多様な表記の実態に留意したい.例えば,「20g×2袋」と記されたとき,総量が40gであって,40袋ではないのを理解する([Vergnaud 1983]でも,15セントのケーキが4個を例にとり同様のことを指摘している)のに,交換法則もトランプ配りも直積モデルも寄与しない.そして,商品の数量表記では「一つ分の大きさ×幾つ分」が大部分である.この点でも,筆者は,小学校の乗法の意味指導に共感を持っている.

類似の調査事例

 かずや君の問題については,数字や出題形態を変えながら,児童の乗法の理解を把握するため,様々に使用されてきた.ここではその事例を列挙したのち,出題の意義について検討する.
 入手できる中で最も古いものは,昭和26年(1951年)の学習指導要領(試案)に見られる(URL4).「3人のこどもに,えんぴつを2本ずつあげようと思います。えんぴつがなん本いるでしょう。どんな九々をつかえばわかりますか。」に対し,3×2=6が多いことから,「演算の決定に導くように問題の場を組織だてる力が欠けているらしい」と推論している.なお,そこでの出題と指導は,後述する形成的評価に関するものと言える.
 昭和44年(1969年)には,東京都算数教育研究会が都内の2年児童約2,000人を対象として調査している.そこでは「みかんが一つのおさらに8こ,もう一つのおさらに6このせてありますが,みかんはなんこありますか.」「えんぴつを6本かいました.このえんぴつは1本8えんです.いくらはらえばよいですか.」「1まい6えんのがようしを8まいかいました.いくらはらえばよいですか.」という問題のそれぞれに対して,8×6の問題になるものを選ばせている.正答率は34.1%,誤答率は61.5%であったという.これを取り上げた[花村1978]では,どれが正解かの記載がないが,第2学年の乗法の意味指導に関しては現在まで大きな変更がないことから,「えんぴつ」の問題のみが正解であり,「みかん」の式は8+6,「がようし」は6×8になると推測される.
 ここからは伊藤調査よりも後に行われたものである.総合初等教育研究所が平成17年(2005年)に実施した,「計算の力」の習得に関する調査(URL5)では,「6つのはこに、ケーキが8こずつはいっています。ケーキはぜんぶでなんこあるでしょう。」を2年生および3年生に出題している.いずれの学年も,答えの正答率は80%を超えている.しかし式の正答率は,2年で50.8%,3年では23.8%となっている.この結果をもとに[清水2011]は,場面を図にさせることに加えて,「かける数・かけられる数に着目させる問題」の提示を工夫することを提案している.
 自治体学力テストにも,同様の出題が見られる.平成19年(2007年)に練馬区が実施した学力調査では,「6×15と立式するところを、問題文に出ている数字の順に15×6と立式した誤答が60.0%と圧倒的に多かった」(URL6)と報告している.
 最後に,[金田2008]は,小学2年生および国立大学生を対象として,作問と文章題を2問ずつ解かせて統計分析を行っている.正解判定には,「被乗数と乗数の位置を問わず正答」という基準Aと,「そういった場合を正答として認めなかった」基準Bを設けている.
 正答率は,棒グラフによると,かずや君と同種の文章題における基準Aの正答状況は,小学生に1名の誤答があったのみで,大学生は100%であった.しかし基準Bの正答率では,小学生は80%強,大学生は30%台であった.このことから著者は,「被乗数と乗数の区別に関する理解は、交換法則を学習していない小学2年の時点で不十分である可能性」を挙げ,「大学生は被乗数と乗数のちがいをほとんど意識していないか、または、乗法の計算式が「被乗数×乗数」で表されることを理解していないと推測される」と考察している.
 以上のとおり,かずや君の問題と同様に,式を答えさせるテスト・調査の事例を見てきた.昭和20年代から現在まで,被乗数と乗数の区別,そして乗法の意味の理解を確認するための出題として,採用されてきたといえよう.
 また列挙し比較することで,この種の出題の正答率が低いことが既知であることも理解できる.[清水2011]は,「1つ分の大きさ×いくつ分=全体の大きさ」で表される「かけ算の意味」を,繰り下がりのある減算や小数点の位置の処理などと同様に,授業や指導の工夫によって定着を図るべき事項と位置づけている.
 このような調査は,各解答者の正誤よりもむしろ,解答者集団の理解状況をどのように認識すべきかに関して,示唆を与えている.あとでも述べるが,2年のかけ算の学習から期間を置いて,かずや君の問題を学級や学校で解かせ,式の正解率が答えのそれと変わらない場合,児童らにおいて乗法の意味が定着している可能性だけでなく,解答させる直近に類題を解かせたという可能性も考慮しなければならない.
 このように,比較が可能なことと,集団(学級,学校,自治体,国内)の状況を理解しやすくできるという点において,式をもとに正誤判定をするという実施形態には一定の有用性および妥当性があると言えよう.

教育評価と4種類の評価方法

 かずや君の問題と類似の出題事例,ならびにその正答率を概観したところで,次のその低さの原因について,本項と次項で検討する.
 正答率は,各解答者がそれまでに学習したことをどのように保持し,あるいは忘却した*3かという点と,関連がある.
 学習と,出題および正誤判定を論ずるとき,「教育評価」を無視するわけにはいかない.様々な概念・手法の提案と,学校での適用を通じて,教育評価は,ともすれば解答者を値踏みして勉強や発達をあきらめさせる道具から,子どもたちに質的に高い学力を保証し,教育実践への参加を促す装置へと転換してきた[田中2008].教育評価の中でよく言及されるのは,診断的評価・形成的評価・総括的評価の3点セットであるが,[梶田2010]では外在的評価という用語も解説しており,この4つについて簡単にまとめておく.
 診断的評価は,単元開始時などにおいて,その学習の前提となる学力・既習事項や生活経験の実態を把握し,授業の計画や実施に役立てることを目的として実施される.各学習者の特性というよりは,集団すなわち学級全体の傾向を,正解率で数値化することが多い.テスト形式で実施する診断的評価は,レディネステストとも呼ばれる.誤答の状況も整理・分析され,結果に応じて,不足している内容の回復(回復学習と呼ばれる)や,授業計画の変更を行う.このような実施目的のため,成績付けには使われない.
 形成的評価は,単元を複数回の授業で指導していく中途で,習得状況を中間的に把握するものである.その結果はただちにフィードバックされ,各学習者あるいは学級全体への補充的指導(回復学習)や,授業計画の修正がなされる.小テストやドリルが,形成的テストの代表的な形態であるが,「解かせっ放し」としてはならない.学習者(児童ら)に結果を伝える際には,どこでどのように間違っているのかを丁寧に指導することが期待される.形成的評価が成績付けに使われないのは,多くの解説書が指摘している.
 総括的評価は,単元終了時または学期末・学年末に実施される評価であり,一定期間における学習活動の成果を見るためのものと言える.これにより,児童らはどれだけ学習のめあてを実現できたかを確認でき,教師は実践上の反省を行うことができる.そして,この結果に基づいて,評定・成績が付けられる.
 外在的評価は,教授・学習活動とその成果を外側から観察して,実態や問題点とを把握し,指導方法やカリキュラム,また教育環境などの改善に役立てるための評価である.全国学力テスト(URL7)や,PISA(生徒の学習到達度調査)・TIMMS(国際数学・理科教育動向調査)といった国際学力調査(URL8)が該当する.研究者らがその目的に応じて調査内容や解答者を設定し,教室や学校を対象として行う実態調査も,外在的評価となる.どちらの形態でも,診断的評価と同様に,学習者個人よりも集団の傾向を把握することに重きが置かれる.ただし,正解・不正解に対する児童らへの直接的なフィードバックは考慮されない.
 この分類に関して,注意をいくつか挙げておく.まず,教師は常にこの3点または4点セットを意識して,授業を計画し実施しているわけではない.しかし出題がなされた状況から,それが4種類のいずれに属するかを判断できる.そのような「文脈」のない状況では,出題の教育上の効果は見出しにくい*4
 また教育におけるあらゆる評価活動が,上記の4つのいずれかに分類されるというものでもない.それらの枠に収まらないものとして,パフォーマンス評価,ポートフォリオ評価,ルーブリックがある.このうちルーブリックとは,評価基準を尺度化して教師と学習者らが共有し,学習の支援に活用するものをいう.第2学年のかけ算の指導に合わせた,ルーブリック記載・利用の例も見られる(URL9).

診断的評価と外在的評価の特徴

 先に挙げた類似の調査事例は,昭和26年(1951年)の学習指導要領(試案)のみ形成的評価,それ以外はすべて外在的評価に関するものである.
 かずや君の問題は,診断的評価に関するものとなる.というのも,主題は「2位数×2位数」の授業であり,それを実施するにあたり,「計算の意味」とりわけ「乗法の意味」に関する学級の状況を把握するするための出題だからである.これと同様の形態で,文章題を通じて乗法の意味を調査している事例に,(URL10)(URL11)がある.いずれも,第3学年の授業実施にあたって,第2学年の学習内容の理解を確認している.
 このように,単元における学習としては,診断的評価,形成的評価,総括的評価,そして間を置いて外在的評価という時間的な流れがあるのに対し,「乗法の意味」など個別の学習事項に着目すると,そのための評価は,形成的評価,総括的評価,そして間を置いて診断的評価・外在的評価となっている点に注意をしたい.個人よりも集団の理解度を測るのに主眼が置かれる点と合わせて,この性質は,レディネステストと外在的テストの正答・誤答の状況が類似しやすいことを意味する.
 別の観点からも,4種類の評価の区分けをすることができる.それは評価項目に関する出題などの分量である.例えば「一つ分の大きさ×幾つ分」により式で表せるか*5を測る場合にも,診断的評価と外在的評価では,設問の内容や数は同程度,おそらく1〜2問でよい.形成的評価のためのテストでは,それらよりも多数の出題を与えることになる.総括的評価においては,その評価項目の全体に対する割合に依存する.これらの違いは,「習熟度を測るには,1問ではなく,より多くの出題を課すべきである」といった批判への回答を与える.すなわち,診断的評価・外在的評価のためのテストに対して,その批判は適切でない.
 正答率(通過率)にも,同様の違いが期待できる.まず診断的評価と外在的評価では,評価を行う時点の児童らの「ありのまま」を見たいという動機がある.そして,熱心に学習した期間から離れていれば,その長さに応じて,児童らは忘却している---定着していない---ことも,想像に難くない.したがって正答率は低くなる.先にも述べたが,既存の調査よりも高い正答率となった場合には,十分に定着しているというよりは,テスト実施の直近に類題を解かせた可能性*6を考慮する必要がある.
 一方,形成的評価や総括的評価において,常に集団の正答率を算出するものではないが,もし算出するのであれば,形成的過程の終了段階や,総括的評価のためのテストにおいては,高い値が要請される.もし,その値が教授者の期待よりも低ければ,教授活動や教材,テスト内容,もしくはその複数に不備があることになる.

診断的評価と外在的評価の違い,およびつまずきに対する指導

 ここまで診断的評価と外在的評価の共通点を見てきたが,明確な違いもある.それは,結果を受けて教師がとる対応,すなわちフィードバックである.
 先に外在的評価を見ておくと,一般に採点には,授業者(学級担任)は関わらない.もし採点を行い,そこで正答率の低さを把握した場合には,授業などで何らかの補充指導も可能ではあるが,その目的や効果が児童らには分かりにくい.外在的評価のためのテストの答案を企画者らが分析し,個別または全体の結果として学級に送られるまでに,相当の期間を要する.このことは,全国学力テストに関する発表や報道からも知ることができる.
 診断的評価においては,レディネスすなわち新たな学習の受け入れとなる学力を調査する.かずや君の問題では,「乗法の意味」である.その際,低い正解率となれば---筆者の期待としては一人でも正解できなかった者がいれば---学級全体に対し回復学習を行うこととなる.回復学習の時期には,テスト直後の答え合わせや,単元の開始時,授業の開始時,新たな事項を学習する直前などがある.いずれにせよ,外在的評価と明らかに異なる,素早くタイムリーな対応が求められる.
 分析や対応を効果的なものにするには,既存の出題事例を活用するのもよいが,出題時に工夫することも考えられる.実際,かずや君の問題では,式のあとに「どうして,そのようなしきになったか,絵に書いて教えてください。」と問うている.
 式のあとで図示させるのは,一見不自然であるが,これは,文章題と式,文章題と絵との対応づけについて,調査をしたかったためであろう.もし,絵を先に描かせていれば,文章題から式を作るのではなく,絵を見て式を作る児童が多くなると予想される.そうすると,おそらく正答率は上方に修正されるであろうが,「文章題→絵→式」という作業手順で正解が得られるかという調査に変わってしまい,文章題と式との対応づけについての調査が行えない.
 ところで問題文には「どうして,そのようなしきになったか」とあり,式をもとに答えさせる形式となっている.しかし実態は,式からではなく文章題を図にする児童が大部分であったと推測できる.さらに言うと,式,絵を児童が見比べて,式が間違いだと気づいて書き直す児童がほとんどいなかったことも想像できる.普段のテスト---形成的評価・総括的評価に関するもの---では先生が「よく確かめてごらん」と言えるところを,この調査では言わないことによって,書き直しの機会を与えず,解答者らの「ありのまま」を知ることにもつながる.もし,文章題と式,文章題と絵との対応づけについて,違いをより精密に検証したければ,解答者を2群に分けて,文章題から式のみを書かせる群と,絵のみをかかせる群とに分けた調査が必要となるが,そうなると診断的評価の範囲を超える.
 伊藤調査では,文章題と式,文章題と絵の正解率について「式を正解した児童が,学級全体の約26%と非常に少なかったことが分かる。しかし,興味深いことに約85%の児童が絵には正しく表すことができた」と述べている.式の正答率が低いことは,先述の調査事例や,実施者の経験から,想定内であったのであろう.図示については「興味深いことに」が添えられており,この調査の特色の一つとなっている.
 しかし,この分析で絵にかくことの有用性については,「作業的な操作活動を取り入れながら,指導していくことが大事であると考える」とある程度で,ウエイトは大きくない.むしろ重視しているのは,計算の意味の理解であり,「乗法を使った正しい立式ができるように指導していく必要がある」の箇所である.
 このことは,[田中2009]と照合することでより明瞭となる.同書では,かけ算の式を間違える原因として,(1)文章を読んでイメージすることができていない,(2)式の意味を間違えて覚えている,の2種類を挙げ,「治療するところが変わりますよね」としている.この(1)は,かずや君の問題の「どうして,そのようなしきになったか,絵に書いて教えてください」,(2)は「こたえを出すためのしきを書いてください」に対応する.正答率の違いから,対策をすべきは(1)ではなく(2)のほうであることが理解できる.
 時系列としては,伊藤調査が先,[田中2009]のもととなった講座が後である.しかし我々は2つの内容を読み比べ,その共通点や相違点*7を探ることができた.このように,「乗法の意味」について,つまずきどころやその対策は,例えば書籍やWebで読める情報として,その一端を知ることができる.各教師や教師集団の持つ,必ずしも明文化されていないノウハウにも,注意を払わなければならない.
 なお,算数における多方面かつ一般的な「つまずき」の整理は,[塗師1986][廿日岩2010]などから読むことができる.

おわりに

 本記事では,伊藤調査におけるかずや君の問題が,診断的評価のためのテストであることを示し,他の評価法や同様の調査事例と比較しながら,その出題の意義について検証を試みた.
 いわゆる「かけ算の順序」論争の批判についても,新たな知見を得ることができた.すなわちその種の批判は,教育評価の諸概念や,個別の出題が何を基礎・既習としてなされ,結果がどのように活用されるとよいかについての視座のないまま,順序のないことを利する話題を持ち出して独自に意味づけを行い,普及を図っているのである.
 批判の中で,筆者が同意したいのは,「乗法の意味」は決して,「一つ分の大きさ×幾つ分」で表されるものばかりではない点である.2年の導入時にはこれを採用するが,学年が上がるとともに,面積・割合・比例など様々な場面でその意味を再確認し,あるいは変更(拡張)している.実生活において,「20g×2袋」や「@103×2点」,また「16X」[守屋2011, pp.91-92]などを適切に理解し,小学校の算数との連携を図れるよう支援するのは,学校の外にいる者が協力できるところである.
 正解率などの数値は,その調査目的・方法に十分留意した上で,解釈や活用を図らなければならないことを強調しておく.1個の出題や,調査報告書・学習指導案などの文書に記載された内容を読むだけでは不十分であり,教育評価の基本事項,調査と既習事項の学習との期間的なギャップ,また出題における作為まで,読む側には配慮が必要となる.

参考文献およびURL

(リリース:2012-12-30 深夜)

(最終更新:2012-12-31 朝)

*1:科学技術計算への適用が困難という批判についても,ここに所感を書いておく.いくつかの物理量の積は,2つの単位量の積によって新たな単位量を導出することと,複比例によって説明できる.新たな単位量を得る操作は,長方形の面積公式と同等であるが,複比例の小学校での学習は容易でない.したがって,その種の乗法的構造を小学校の算数に期待するのは的外れである.

*2:「(単価)×(個数)」が小学校算数および中学校数学の学習指導要領解説に記載されているため,算数・数学の一貫性という観点で「数量×単価」は採用されにくい.そのほか筆者は2012年夏以降にレシートを収集し,「単価×数量」「数量×単価」のいずれも無視できないほど事例があることを把握している.

*3:「思い出せなかった(適用できなかった)」のが,より正確なところであろう.

*4:様々な文脈において出題可能であり,「問題プール」の1レコードとなる,という意義は認められる.

*5:批判はしばしばこの構文に対してなされるが,それまでの学習において,乗法の式はこの形か,累加の簡潔な表現のいずれかである点を,ここで確認しておきたい.

*6:既知の調査や正答率と比較できない点にだけ注意を払い,行為そのものは批判すべきではないと筆者は考える.普段から,過去に学習した内容をよく復習している学級であるかもしれないからである.

*7:[田中2009]から取り上げた内容は,形成的評価を通じた学習であり,学級全体よりも各学習者への指導へのアドバイスとなっている.