私は上野教授が三カ国語を話すのを知っている.英語と,大学で話す日本語と,一般向けに話す日本語.え? なにそれ? と思わないでいただきたい.
この日本語がまた,ドイツ語とスワヒリ語ぐらい違う.教室での,
「オポチュニティ・コストで考えた場合,アンペイドワークのメジャメントは難題です.」
という言葉は一般の講演会では,
「もし,同じ時間,外で働いたらいったいどれくらいお金がもらえるか,どう計算します?」
になる.これに笑顔までつく!
これが同じ言葉かと思わせるが,同じ意味なのだ.
(『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』, p.166)
「汝,闘うべき時を知れ」の出だしです.その中盤(p.170)には,「専門家に専門を語らせる,この行為も「アンペイドワーク」.不払い労働の範疇だ」とあります.
上の例は極端としても,私が関わる範囲でも,学会の論文や予稿で書く場合と,口頭発表で使う場合,研究室での議論,それ以外の人とのコミュニケーションとで,相手に応じて同じ対象に対して表現を変えることはよくあります.
私が今年試みた例を挙げておきます.
笑顔は得意ではありませんが,「ここが難しいところ」でタイミング良く,笑顔を見せる先生を知っています.