わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

生かされている

勤務先で,「医療費のお知らせ」という通知を受け取った.
開けると,さきの子・あとの子の医療費の内訳が並ぶ.診療区分は通院と薬局.診療年月は今年の6月.なので7月の入院の分は入っていない.市の制度の恩恵により,自分から(実際のところ,妻から)支払いはしていない.
かと思うと,親類の訃報が入る.うえの子を,時には,1か月早く生まれた孫よりも可愛がってくれた.
初夏に早朝から車を走らせて保健所へ連れて行ったことや,かの親類ご夫婦が応接間でゆったりと座られていた様を振り返ると,「生かされている」という言葉が思い浮かぶ.
これまた最近では足を運ばなくなったが,上とは別方向の親類が集まったときの法話で,この言葉をよく耳にした.
「生かされている」でGoogleの上位を見ると…

と読んだところで,今の自分にとっては,自然の中,宇宙の中で「生かされている」というのは,どうにも実感が沸かない.その一方で,授業でPKI (Public Key Infrastracture)を取り上げていることもあり,社会制度の中で「生かされている」という認識がある.
自然そして大学といえば,あれだ.大学院の所属(クラスタ)の再編だ.来年度,自学科教員が減り,環境分野の教員が増えることになりそう.ゼミで,学生発表を見て質問やアドバイスをしていくことには変わらないけれど,研究がどのような学術的の範囲において「生かされている」かを再確認する機会としたい.
生か死か*1.主体的に「生きている」のか,「生かされている」環境があってそこで「生きている」のか.2分法でいいのか.情報セキュリティにおいて安全性を定量的に取り扱えるのと同様に,生きているということを,定量化できないものか…
あれがあった.スーパージャンプ休刊と同時に最終話を迎えた「ゼロ」だ*2.雑誌はあるか…幸いにも,捨てずにいた.
ラス前の話で,ゼロが体内にエメラルド・タブレットを入れ,射殺される.最終話では,一つ二つエピソードが挿入され,それから,ゼロ・今際の際のシーン.


「命の力の 増幅増殖だ―――」
肉体の不死や,魂の転生などできない「この世」の我々にとって,命の力の増殖とは,コミュニケーションなのではないか.そうだとすると,能動的・積極的な情報の発信と,モノをカタチにして後生に残すことが,不可欠である.幸いにも現在,そのための技術は成熟している.
これからも,自分の経験と語彙をもとに「生かされている」ことを発していきたい.またそれを通じて,自分の中にある「生きている」「生かされている」意識を変えていきたい.
その究極の段階が,宇宙の中で「生かされている」ことなのだろうか.

*1:常体で真面目な話を書いているときに馬鹿馬鹿しいのだが,生死をイメージするときいつも,「スピードか死か」の立て看板を思い出す.VOWの何巻だったか忘れた.野暮な解説をすると,スピード(を出すこと)を選ばなければ,死を選ぶという意味になる.

*2:wikipedia:ゼロ_THE_MAN_OF_THE_CREATION