わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

親心R6

 当ブログではこれまで,「親心」というカテゴリーを使用し,そこでは大部分が,母をめぐる出来事でした.
 母の死および葬儀に関しては新たなカテゴリー「親心R6」を設けました.

きりぬき

 「ただ,苦しいという表情ではなかったかな」「そうそう,『ふう』って表情やったね」と,兄夫婦が言っていました.

ふう

 貴志川線の自宅最寄り駅で下車し,他の客に迷惑にならないよう,傘を開こうとすると,(妻の)母が待ってくれていました.すえの子はこっちのおばあちゃんから,あっちのおばあちゃんのことを知り,驚いていました.それまで,パパは仕事があって遅くなったと思っていたのでしょう.

子らにも伝える

 あと1曲ですが…
 思い浮かんだのは,「和歌山ブルース」です.
 母と自分と,子らで,カラオケに行ったときには,1番目に登録し,みんなで歌ったものです.
 しかし和歌山に住む「我が家限定」の曲のようにも思います.母方の親類で,和歌山に住む者はいません.
 曲名を挙げずに,「うーん,これというのは,思い浮かばないなあ」と答えました.兄は,親類に聞いてみると言い,この件はここまでになりました.

3曲

 その場ではなく(私に行動を促すときにはよくあることですが),少し経ってから2階で,妻と自分だけのときに,妻が言い出しました.「あのね,お母さんと,いてたってくれやんかな」と.
 2種類の意図があるのは,鈍感な自分でもすぐに分かりました.一つは単純で,葬儀会館に(火の管理や,深夜早朝の来訪者の対応などをするスタッフがいるのは当然として)母のみというのでは寂しかろうということ,もう一つは,将来的に(妻の)父や母が死去し,自宅近くの会館で通夜・告別式を執り行うときに,お通夜が終わったら子らは帰宅するというのを,現時点から情けなく思うということです.

寝ずの番を希望

 遺影の顔の色鉛筆画です.ラミネート加工されていました.ちょっとしたメッセージも添えられており,いわばウェルカムボードです.結婚式場ならありふれたものかもしれませんが,こういった場で見るのは初めてで,面食らいました.スナップ写真から大きめの遺影を作るほかに,イラストを用意するのも,おそらく費用に含まれていたのでしょう.

遺影と棺とウェルカムボード

 木曜日(4月4日)に母の家に行った際,手帳がテーブルの上にありました.予定が入っていたら,関係者に連絡しないといけないかもと思いながら,開いて今月の日程を見ると,日曜日(4月7日)に,「紀三井寺」と,交通費または参加費を意味するような金額が書かれていました.
 この,和歌山への日帰りのお出かけも,親類による企画だったのでした.これは実現しませんでした.4月3日に,母が動かなくなっていたのを発見され,4月7日は告別式でした.

今年の足跡

 ところで,朝の散歩にはいくつか理由がありました.(1) IngressのStreak(24時間以内ログイン)を更新すること,(2)今後,母の家に立ち寄ることがあっても,阪堺電車沿線に足を止めて時間を過ごすことはおそらくないと考え,今の風景を写真に収めたかったこと,(3)供花の支払いをこの日のうちに済ませておきたく,お釣りなしで払いたかったので,紙幣などを用意するためにコンビニに立ち寄ることです.

公園の桜が満開

 自分がこの場を仕切りました.これまで親類の告別式に参列したときには,あんたら行っといでと母が促し,兄と自分が立ち並んで,運んだものでした.今回,母は運ばれる側であり,兄は位牌を持って霊柩車に乗る立場です.
 運ぶ人について,男性全員というのは多すぎます.周囲に目をやると,妻の父と目が合いました.人数も十分にいますし,入らず,見といてくださいと伝えました.
 次は並び方です.棺の左右に,同じ数ずつ並ぶのが理想ですが,自分に近い側は6人,遠い側は8人でした.1人に声をかけ,こちらに移ってもらいました.
 ほどなくエレベーターが開き,台車に乗った棺がやってきました.スタッフの指示のもと,14人で運んで霊柩車に入れました.

棺を運ぶ前に

 母のベッドと毛布はそのままでした.
 むしろこの機会に見ておきたかったのは,壁掛けの額でした.父・母・兄・自分が写っている写真です.
 自分が中学3年のときの,5月だったか6月だったかに,父が車を運転して長谷寺へ行ったときの1枚です.Lとか2Lとかではなく,もっと大きなサイズです.額も,単なるフレームではなく,厚みがあります.
 家族を代表する写真と言っていいでしょう.
 母の晩年においては,毎日の寝る前,そして起きてすぐに,見ることができる位置にありました.おそらく兄が手間を要して,掛けたはずです.ただし今際の際に,この写真を見ていたのかは,分かりません.母は極度の近視で,メガネなしでは見ることができなかったはずです.

1か月ぶり

生前は

 お勤めのあとは,法話ではなく,雑談になりました.母が,自分が死んだときもお願いしたいと言い,住職さんは,ぜひ喜んでとは言いませんでしたが肯定的な反応でした.しかし葬儀をどこで行うかという話になったとき,お寺のここでしてほしいという,母の無茶振りを,残り3人が食い止める展開になりました.
 兄が,近くに葬儀会館ができたことを言い出して,やっぱり自宅やお寺ではなく会館ですねと,話を持っていくことができました.

お寺のここでしてほしい

 メインの食べ物も大体食べて終えたところで,母は,さきの子とあとの子に1枚の紙を渡して,指示をしました.これから,あみだくじ大会です.参加者(17人)と同じ数の縦線を引いてから,母が主張する要領としては,順番に回していって,どこでもええから1本ずつ,横線を足してほしい,というのですが,受け取った人は縦線のどこかの上に名前も書くよう,自分が補足することになりました.
 母が企画,さきの子とあとの子がアシスタント,そして自分が運営の補佐をするという,妙なイベントになりました.

母が企画のあみだくじ大会

 「それでな,△△と□□が映ったときにな」
   「(2人ともいとこで…□□兄さんがだいぶ前,△△兄さんがたしか2年前に,亡くなったんよなあ)」
 「そのとき言うたってん.私も,近々あんたらのところに行くからなって」
   「え,そんなん言うたん?」
 「ほんならシーンとなってな,誰も何にも言わへんねん」

電気科学館?

 手首のバーコードをスキャンしてもらい,スタッフに案内されて,ほどなく,大人2人が乗る番です.しかしゴンドラは,スピードを緩めてくれません.母は自分の手提げバッグをゴンドラの中に入れ,次に左足を,ゴンドラ内の床に置いたものの,体全体が,中に入れませんでした.後ろから引っ張ってゴンドラから出し,手提げバッグは自分が入り込んで取りました.ゴンドラはカラになり,スタッフが外側から戸締まりをして,上がっていきました.

観覧車に,押し込める

 春休みの1日で,(実家の;以下略)母と自分と,子ども3人で過ごすのも,残り少なくなってきました.
 重要な行事は,「夕食」です.

夕食は母抜き

URLについて

 母の死が発見されたのは,2024年4月3日でしたが,検視の結果,死亡日は3月30日となりました(この日の午前中に,兄が母と話をしていました).
 時刻は不明です.本記事URLのうち,時分のところは,2359を割り当てました.