わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

2011年を日記で振り返る

かけ算

サンドイッチ トランプ配り
順序派 便利だね 何それ
非順序派 馬鹿だよ これ有名
面白い 面白い
サンドイッチはくだらない

かけ算をめぐる論争として書いた中で,今年を象徴するのは,この表です.
「かけ算の順序」という言葉から離れるようになったのは同月20日,トランプ配りが積の乗法をベースとしているのを書き始めたのは10月13日です.

2011年「今年の漢字」は,絆でした.
当雑記から,絆を探ると…

「権現様!! 又右衛門の働きは これで良かったのでしょうか」
「よくぞ ひっ担いだ荷物を最後まで担ぎ通した 誉めようぞ…」
「そのお言葉…… 又右衛門…何よりの喜びでありまする」
(猛き黄金の国 柳生宗矩

ビジネスジャンプから「幸せ」を学ぶ

かと思うと,親類の訃報が入る.うえの子を,時には,1か月早く生まれた孫よりも可愛がってくれた.
初夏に早朝から車を走らせて保健所へ連れて行ったことや,かの親類ご夫婦が応接間でゆったりと座られていた様を振り返ると,「生かされている」という言葉が思い浮かぶ.

生かされている

教育,学習者,そして教師

かけ算の議論で「足腰を鍛える」ために,大学教育以外の本を読むよう努めました.その中に,自分の授業や研究室運営で生かしたい,大切な考え方も発見できました.

この背景には,日本の算数・数学指導における問題の扱いが,単に問題を解いて終わりではなく,問題を解いた後,これらを比較検討する過程を通して子どもたちに新しい算数の内容や考え方を教えようと,綿密に考えられていることを強調する意図があったといえる。そして,そのために,日本の教科書では,実に細かいところまで吟味を重ね,どのような問題をどのような順番で与えるべきか,問題にある数値や場面をどのように工夫したらいいかなど,実に細かいところまで吟味されている。その結果,教師が,子どもたちに予め問題の解き方を示さなくとも,子どもたちが前時までに学習した事柄をうまく使えば,一見これまでと異なるような問題も,彼らなりの方法で説くことができるように仕組まれている。さらに,教室の子どもたちが考え出したいくつかの異なる解法を教師のリードで比較検討することによって,子どもたちを学習指導要領が期待している学習内容を身につけることができるようにデザインされているのである。
(高橋昭彦: 海外における問題解決の授業, p.45)

筑波の算数が発する,問題解決学習

「日本流改善方式」の中心思想とでも言えるものは,「長期にわたる漸進的,微小増加的改善」(p.106)です.同じページにある「米国の教科教育学者は大きな変化を比較的短期のうちに求めてきました」に呼応します.米国の考え方・やり方は,日本においても,「これこれこうすればいいじゃないか」と,教育改革を一言で言ってのけそうな人々のイメージに合致するように感じます.それに対し,大学で毎年,指導内容を大小変化させている者として,「漸進的」「微小増加的」という言葉には励まされる思いもあります.
(略)

  • p.75: ドイツと米国は教師主導型,日本は,教師と生徒がバランスよく活動
  • p.80: 日本の授業で,問題を与えるがその解き方は最初に説明しないことがある(米国では,問題を課す前には必ず解法を説明する).
  • pp.91-92: 米国では,誤りの最小化に努める.日本では,混乱や失敗は当然生じるものとして授業を計画・実施する.
  • p.94: 米国では,個人差は効果的な学習指導の障害であるとみなし,能力別編成を肯定する.日本では,個人差があるのは当然のこととして授業計画を立て,同一教材での学習を基本とし,そこから多様な考えを引き出してクラスで共有する.
  • p.109: 日本の授業研究において,授業実演後の会議(検討会)では「授業を演じた教師」ではなく「授業」に焦点を当てる.
  • p.144: 良い授業は,不確定性を抱え込んでいる
ドイツは100,日本は50,米国は81

自分なりには次のエントリ.数年来のスタイルであると同時に,これも,かけ算の議論から触発されて文字にしたものです.

Q: テストって,一つの正解を見つけるためにするのですか?

(略)
この質問については,語句を解答する設問に関するものだと仮定します.採点者の思惑としては,「一つの正解を見つける」というのは当たっています.ただし,

  • 答案と正解が一致しているときだけマル,そうでなければバツ

ではなく

  • 答案が,正解語句の集合に属しているときだけマル,そうでなければバツ

とするような「正解語句の集合」を同定したいという意識です.
(略)
…というのは数学的・理念的なもので,実際には集合形式ではなく,「設問番号:解答:点数」で一つの解答の情報を表すことにして,リストを作ります.点数が(その設問の)配点と同じときに限り,正解すなわち別解を意味します.点数が0点ではないけれど配点に届かない場合は,部分点ですね.この部分点をきちんと決めていかないと,同じ解答なのにある学生には3点,別の学生には2点ということが起こってしまいます.

採点Q&A

和大近辺

大学周辺で2件.いずれも,ログを見ていますとずいぶんとアクセスがあるようでして….

自分の体

自分の体は自分がよく知っている…というのはある意味その通りだけど,お医者さんに診てもらうのも大事なことです.

かけ算2

今年を締めくくる,かけ算の話.英訳は誰かに頼まれたわけでも,どこかに投稿したとかいうわけでもありません.日本の算数教育が世界に出て行くのを読む中,自分なりに情報発信できないかという思いが発端でした.倍の乗法・積の乗法と,日本の授業の仕方とを組み合わせて,一応形になるものができました.
その山場とも言えるところを切り出して,試訳を加えます.

  • "There should be permitted more than one way of solving a problem." --- Yes, the class typically encourages the pupils to produce various answers based on diverse ways. And one of them (or more) is what they will share, the teacher wishes, in the class and some of them are correct in a mathematical sense but less interesting, and some are the answers or approaches which the children will see as wrong.
Towards Japanese Multiplication Instruction

(試訳)

  • 「一つの問題に,複数の解き方があっていいはずだ」:そうです,授業では通常,児童らに,いろいろな考え方でさまざまな答えを出すことを奨励します.その中の一つ(または複数)が,先生が望む,最終的に学級内で共有することであり,いくつかは数学的には正しいけれども興味が乏しく,そしていくつかの答えやアプローチは,子どもたちが間違いなんだと認識するものとなります.