入学式を済ませたばかりの,学生のみなさんへ.そして在校生のみなさんにも.
大学生は,大人でしょうか? 子どもでしょうか?
もちろん法律的には,二十歳で成年,二十歳に満たなかったら未成年です.
ですがここでは,法律よりも,日常生活ではどうなのか,ということに焦点を当てましょう.
そうですねえ…「大学生はまだまだ子どもだ」という言い方を,されてきたかもしれませんし,その一方で,「大人の自覚をもって行動しなさい」と言われることが,あったでしょうか.
私は,どちらの言い分にも,真理が込められているように思っています.
これまでの学生の行動を見てきて,また私自身の失敗の経験からも,みなさんに,伝えておかなきゃと思っていることがあります.それは,法律やルールについて,「知らない」「書かれていない」は理由にならない,ということです.
トラブルを起こしてしまったときに,そう,言いたくなります.自然な反応です.責任回避のための発言であり,心理的な自己防衛なのです.
ですが,「知らない」「書かれていない」と言ったところで,トラブルの解消をすることは,できませんよね.むしろトラブルの火種は広がる方向になります.ネットでは「炎上」という言葉も,当たり前のように使われています.
さて,言ってはいけない,理由にならない,だけでは,何も行動ができなくなってしまいます.みなさんは,こんなことやってみたい,みんなをアッと驚かせたい,と思って,実際に行動して叱られたり,思いもよらないところに迷惑をかけたりした,ということは,ありませんか? 若者だもの,いろいろやってみればいいのです.
ですがその,トラブルをなるべく起こさないようにするには,一つ,コツがあります.やってみる前に,まわりの人に相談することです.
相談相手には,何でも話せる友達が,もっとも手近かと思いますが,内容によっては両親かもしれませんし,TwitterのフォロワーやFacebookのフレンドであっても,かまいません.大学で何かしたいなら,大学の教員,とくにゼミの先生に話しておくのが,おすすめです.
これをしたいと思って話すあなたは,外から見れば,舞い上がっています.まわりの人は,たとえその後,協力者になってくれるとしても,まずは冷静に話を聞いてくれます(冷静に話を聞いてくれる人を選びましょう).あなたが話すプランのとおりに実施すると,まずいことになりそうなら,何が起こりかねないかを,指摘してくれるはずです.実施者であるあなた自身に跳ね返ってくることだけでなく,他の人や社会への悪影響だって,そこで明らかになるわけです.
なぜいけないか,やったらどんなことになるか,だけでなく,やるのはいいけれど何に注意したらいいかを,教えてくれることだってあります.その行動に関連する,法律やルール,不文律の指摘です.また,やるにはかまわないけれども,経緯や目的,手段によっては,より良い方法を提案してくれることも,まわりの人に聞くメリットの一つとなります.
最後に…まわりの信頼できる人に相談してからアクションをとった,あるいは話さずにことを起こした,それでどうやら,想像もしていなかったトラブルを引き起こしてしまったとしたら,あなたはどうしますか?
そんなときにも,次の発言・行動が求められています.言い訳したいのをぐっとこらえ,自分なりにこうすればいいのではないかとプランを立てながら,そのときにも,まわりの人に相談するようにしてください.
行動をする前に,適切な人に相談すること,その経験が,大人の階段となります.相談を受けるあなたは,二十歳になっていなくても,立派な大人です.
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具体的にお話しましょう。 プログラムを作っていて、明日お客さんに納品するとしましょう。 で、プログラマである私はそのプログラムに三つの重大なバグがあるのを知っているとします。 さあ、そのバグのことをお客さんに伝えるべきでしょうか?
驚き、最小の原則
「驚き、最小の法則」に従えば、 きちんとそのバグについてお客さんに説明すべきです。 なぜなら、そのバグのことをお客さんに教えずにプログラムを渡したとしましょう。 もし、お客さんのところでその「重大なバグ」が露見したら…!? お客さんはびっくりしますよね。「なんだこりゃ!」
でももし、お客さんに、
「大変申し訳ないが、現在こういうバグが残っているのです」
と伝えていたら、お客さんのところでその「重大なバグ」が露見しても 「ああ、これが言ってたバグだな、しょうがないなあ」 ということになるでしょう。 当然、後者の方が「驚き」が少ないわけです。
小学校の算数から,大学でするような研究へというのが,飛躍しているというのなら,例えば「大人に協力を求めるとき」というのは,どうでしょうか.そこでもまた,自分(たち)で計画し,それまで何をしてきたか,成功に向けて何をするつもりなのかを伝え,了承をもらうことになります.誰に・いつ・何を言うかを間違えると,失敗することもあるので,発言(やプロジェクト管理)は慎重に行います.手伝ってほしいと言われた大人は,やりたいという意欲を尊重し,大人・自分でないとできないことに関与するとともに,子ども(たち)であってもしてはいけないことは,注意したり阻止したりすることになるでしょう.成功をともに喜びたいですし,失敗したとしてもその努力をほめ,これからにつなげられるよう,新たな方向を示すという責務も,あると考えています.
子どもとの対話,大人との対話
一人前いわゆる素人,非専門家が,たまたまある領域に関して,新しい発見をしたと信じたとしよう.その人が,その「新発見」を論文に仕立てて投稿したとしても,その領域の専門家の共同体のレフェリーは,仮令その「新発見」が,確かに彼らの共有財産である知識体に「新しい何か」を付け加えるものであったとしてさえ,恐らくは,最初から,その論文を拒否する公算が高い.その理由は,論文の「書き方」という,ある意味では形式的な問題にある.専門家は,そういう論文を書くときに,何は書かなくてはならないか,何は書いてもよいか,何は書かない方がよいか,何は書いてはならないか,を知っている.というよりは,それを知っている人のことを,現在では「専門家」と呼ぶのである.そのノウハウは,上に広く「セッティング」という大まかな言葉で編掛けをした多くの事柄と関わるものである.非専門家の書いた「論文」が,専門家の目に,一目でどこか馴染まない者として映るのは,まさしくその点である.そして,その「馴染まない」という感覚は,その投稿論文を拒否する立派な理由になる.ほとんど例外なく,そうした原稿は,いわゆる「門前払い」という処置を受けるだろう.
(科学者とは何か (新潮選書))
(最終更新:2014-04-07 早朝)