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量,比の3用法―1965年の座談会より

 “現代化”礼賛のときに書かれた本だな,というのを,ざっと読んで感じました.
 さて,第二部の「II 教材の整理統合について―座談会―」(pp.339-353)では,これからの数学教育をどのようにすべきかについて,興味深い提言が多数,記されています.序文によると,この座談会は「昭和40年8月3日,日数教大会の前夜」*1に開催されたとのことです.
 座談会の出席者は,p.339によると,司会・世話人を含め10人,そして「紙上参加」が1名の計11名です.以下の引用に出てくる人物名のみ,書いておきます.

伊藤 一郎(東京都豊島区教育委員会
佐藤良一郎(日本数学教育会会長,明星大学
戸田  清(日本数学教育会副会長,広島大学
中島 健三(文部省初中局初等教育課)
原  弘道(横浜国立大学
矢野健太郎東京工業大学

 「■ 関数について」という項目の途中から,書き出します.

 矢野 集合の考えをもとにして,関数を写像または変換として定義するとなると,有限の集合がもとになっています。有限の集合と有限の集合の対応で入るわけですが,いつ無限に移るか,そこに大きな問題があると思います。小学校の算数がすでに宿命的に無限の立場を背負っているわけで,物の長さを測るとなれば,当然連続量が入って来ます。
 戸田 小学校の教科書を見ると,下のような問題がありますが,「まわりのかず」と

いう言葉はいろいろな数の集合{4,8,6,5,9,7}を表す記号で,これは一つの変数です。ふつう変数はxという文字を使う‘習慣’がありますが,その習慣に基づいてこの問題を表すと,
  x+5(x=4,8,6,5,9,7)
の値を求めよということで,ここには変数,定義域,関数などが,幼い子どもなりの表現として含まれていることに気づきます。したがって,この問題を単なる計算技術をねらった計算問題と見,この出題形式を,一つの小手先のくふうと見て終わらせないで,大切な見方として,上述のような捉え方に心を向けさせたいものです。
 矢野 その場合のはまだ,とびとびの変数ですが,小学校でも中学校でもいつのまにか無限・連続量が入り込んでいます。その辺をどうみるかということです。
 伊藤 単価と個数というあたりでも,言葉の上では無限に買う場合も出てきますが。
 矢野 その無限はとびとびの無限ですからまだ大丈夫です。しかし,量と価格となると,量では必然的に連続量が考えられます。皆さんの今議論している立場は有限の立場を守るということでしょうし,僕もその方がよいと思うのですが,それをどこまで守るかということが問題です。アメリカの大学で,有限の場合だけで全てを説明するfinite mathematicsが試みられています。中学校・高等学校は有限の立場でやっていくこともできるかもしれませんが,算数はそうはいかないのではないでしょうか。量と価格など,その辺を今まではあまりに力を入れすぎています。もっとあっさり通った方がよいと思います。比の3用法などもどうでしょう。あのようにやっていくと,どうしても比の値が連続的に変わっていくことになってしまいます。
(pp.349-350)

 上のやりとりでキーワードとなるのは「連続量」です.1970年代にいくつか出版された量の理論よりも前に,座談会の参加者らは,「量と測定」領域で必要となる「量」の諸性質について,認識しているようにも読めます*2
 細かい話として,図の「なかのかずに,まわりのかずをくわえなさい」の問題は,字義としてはx+5ではなく5+xとしたいところです(計算練習表〜緑表紙,遠山,そして現在朝四暮三).それはさておき,発言から,次のような問題意識を感じ取りました.すなわち,「なかのかずに,まわりのかずを」の問題は戦前からあったけれども,これをx+5(x=4,8,6,5,9,7)として,文字式だとか,2量の関係だとかの学習に,再活用できないかという提案です.とはいえ,1年では単純な計算のみで,xやx+5といった文字・式については,上の学年で取り上げることとなります.
 個人的に強い関心を持ったのは,上の引用の直後からです.比の3用法の見直し(整理)を匂わせた矢野に対し,中島が持論を展開します---そしてそれは,他の出席者の支持を得ませんでした.

 中島 比の3用法をいわれましたが,それが無限に連なるというのはどういうことでしょう。あっさりということですが,具体的にはどうすればよいとお考えですか。
 矢野 僕も考えがあっていっているのではありません。ここは大切なところで,避けられないかとも思いますが,問題は連続量にひっかかるということです。
 原 秋月先生*3も,割合の所は複雑すぎる,もっと整理できないかといっておられました。
 佐藤・原 この辺は小学校で整理統合にかかる所で,比の3用法を中学校へ戻して,簡単な一次方程式を小学校へ上げるということも考えられます。代数的に解くことになれば,比の3用法などといわなくてもすむのではないですか。
 中島 比の3用法を俎上にあげる方が多いようですが,方程式で解くといっても,その立式がすでに必要なことであるし,その辺,よく理解していただいていないのではないですか。比の用法は複雑だというご意見ですが,乗法・除法の適用の場を構造として捉えると,あのような形にまとめられるということです。
 戸田*4 立式に便利だということもわかります。しかし,大切な問題は3用法の鼎立的学習に要求される学習者のエネルギーと時間が,十分それに見合うだけの支払いを受けているかという点です。数学というものの進んでいる方向は,こうした3用法を1用法に統一する方向なのではありませんか。1用法の3相として3用法を統一する方向が数学の精神にそうものと考えられます。
 比較的早期の学習に比を出そうとするから3用法の鼎立も出てくるので,比というもののギリシャ的位置づけ,引き続いての惰性的な現在の位置づけについて検討しなおしてみると,この問題も解決のいとぐちがみつかるかと思います。
 比――比の値の概念が立式に必要なことはもちろんですが,比の3用法が必要であるかどうかは疑問であると思います。3用法というように鼎立させておけば,case by caseで早くからそれぞれの用法なり正確なりを分けて指導する必要が生じてもきます。これはアメリカ流で,戦後の移入の残滓ではないでしょうか。中学校へ下げれば,代数的に一つにまとめられる。そこでは,表は3用法のどれにするかを研究し,裏と横との位置づけをすればよい。とにかく,この辺で比の3用法については整理する必要があると思います。
(p.350)

 「教材の整理統合」を題目に掲げた,この座談会においては,比の3用法の学習・習熟よりも他のことに労力を費やすようにし,「3用法を1用法に統一する方向」を提案しています.「代数的に一つにまとめられる」というメリットも挙がっています.これが“現代化”の真骨頂であるかのように,今読む自分には思えてなりません.
 その後について,個人的に調べてきたことを簡単に書いておくと,昭和43年告示の小学校学習指導要領では「比の3用法」がなくなり,割合は各領域に分散されました(「割合」の周辺).「割合の3用法」という呼ばれ方が非公式に発生し(割合の3用法|啓林館 算数用語集),その第2用法(乗法),第1用法(包含除の拡張),第3用法(等分除の拡張)に対応するそれぞれの文章題や注意事項は,小学校学習指導要領解説算数編に載っています(乗法の意味の拡張包含除先行).比の値や比例式は,中学1年で学習します.最後に,中島の発言にある「乗法・除法の適用の場を構造として捉える」については,“はじき”や“くもわ”などとして今も見ることができ,海外事例とともにはじき〜図で整理を試みました.

*1:この本にはもう一つ,座談会が入っているのですが,序文で列挙されている人物名のほか,2つの座談会で出席者の重なりがないことから,同じ日に2つの会場で座談会が実施されたものと思われます.

*2:矢野の発言にある「とびとびの無限」は,自然数に対応づけられる加算無限なのに対し,連続量でイメージできるのは,実数に対応づけられる非加算無限です.ですが「まだ大丈夫です」の意図はよく分かりません.会話の成り行きとして,出たのかなと思っています.

*3:秋月康夫(東京教育大学)と思われます.この座談会の出席者ではなく,p.368から始まるもう一つの座談会(それと序文に謝辞として)に載っています.

*4:ここから引用の終わりまでが,戸田の発言です.