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組体操(タワー)のマテメソ,そして心情的陶酔

組体操と学習指導要領との関わりについて,少し調べ物をしていたときに,以下の文献を見つけました.

論文のPDFファイルは,機関リポジトリから無料で取得できます.
本文は「平成20年3月に告示された新学習指導要領において」から始まります.ただ,読んでいくと,学習指導要領への言及があるのは,最初の2段落だけで,あとは最後のページの引用文献,それと本文最終段落の,「道徳との関連」くらいです.
字面からすると,組体操は現行の学習指導要領に載っていないことを補強しているとも言えますが,ここでコンテキストとコンセプトの関係でとらえたとき,学習指導要領を持ってきた意図が見えやすくなります.すなわち,日々の授業や,運動会と言った行事をする小学校からすると,「学習指導要領の体育科の目標の最初に,「心と体を一体としてとらえ」という一文が明記されている」のは,実施にあたっての枠組み,あるいはある種の制約条件となっているのです.
枠組みとか制約とかいうと,活動しづらくなる---そんなことはありません.制約を意識して,その中で最適な解を求めるというのは,定式化して工学的な解を求める際にも,また数式を使用しない,日常の問題解決にも,他者とのコミュニケーションにも役立ちます.締切は,典型的な時間的制約の1つで,締切がない仕事よりも,締切が設けられた仕事のほうが,達成しやすいものです.
もう一つ,注意するのは,コンテキスト(制約)とコンセプト(解法)を設定するのは,実施者*1であり,組体操の件であれば学校や,組体操を指導する先生方となる点です.
上の文献から,コンテキストとコンセプトのペアを2つ,見つけることができます.1つは,「心と体を一体としてとらえ」に対して組体操がその良い活動となる(とその論文では位置づけられている)ところです.もう1つは,「田沢小学校で行われているスポーツフェスティバル(運動会)の中に,組体操がある」をコンテキストとしており,そこに---当日の披露だけでなく,それまでの準備も合わせて---「共創空間」と名付けてその教育的価値を探っていこうというのが,この論文のコンセプトとなっているわけです.
ここまで,なぜこの文献で学習指導要領を持ち出しているのかを見てきましたが,個人的には「共創空間」や,「組体操を終えたときに見られる子どもたちの満面の笑みと感動の涙。そこには,ここでしか感じることのできない独特の空気感があった」などの記述には,共感も異論も持っていません.発想支援システムの研究で,文献調査をしていたときに目にした記述と,少し似ているかなといったくらいの認識です.これについては後述します.
本論となる,組体操なのですが,マテリアル(対象)とメソッド(手法)をざっと見ておくと,まずマテリアルは,糸魚川市立田沢小学校の「平成21年度第6学年41名」です.ゴールを,組体操でタワーを完成させることとし,3段タワーを完成させるための経緯が,メソッドとなっています.ところで論文における「メソッド」は,誰がやっても同じ結果になることを意味しますが,ここでは,「書かれた内容をもとに,組体操指導の力量が十分にある者が指導をすれば,同等の結果になる」と読み替える必要もあります.
時系列で重要そうなのを拾い挙げると:

  • 3段タワーの練習は,本番10日前から
  • 教師側から幾つかのタワーを提示し,児童らの話し合いで2つに絞って取り組む
  • 本番3日前,難易度を下げて3段タワーを選択するのを,みんなで決定

記述は,集中力や緊張感を持たせるための指導や,児童らの反応・行動が中心となっています.校長他による事前視察に対し,「緊張するな。」という児童のつぶやきを,緊張感,そして演技の美しさに結びつけています.
安全面は,途中に書かれた「より高度な演技に挑戦したいという子どもたちの意思決定で,安全面に配慮しながら取り組んだ」と,最後のページに挙げた課題の1点目にある程度です.この実施にあたって事故はなかった,を読み取れるのも,押さえておきたいところです.事故なく達成できたことよりも,この調子でやっていると,そのうち事故を引き起こすぞという論調は,たとえば幼稚園で「6段」のピラミッド 低年齢化する巨大組体操(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュースにも見られます.
タワーの具体的な組み方や,演者や指導者がどこに位置していたかといったことは,文字ではなく掲載された写真をもとに,判断することになります.
と,この論文の中心テーマに位置づけられている「共創空間」をあえて排除し,読んでみると,今年や今後の組体操の演技,また学校や実施者(児童生徒)の参考になり得る情報が得られたなと思った次第です.
後述としていた,空間や空気感ですが,昨年,新書から打ち出した内容が,大きく重なります.

創造性とは何か(祥伝社新書213)

創造性とは何か(祥伝社新書213)

心情陶酔の問題点
移動大学をやったとき、これに参加した若い人々は、二週間のセッションが終わったとき、ものすごく燃えて、やる気を起こした。つまり心情的陶酔のようなものを得たのである。すると、まったく人が変わったみたいになってきて、そのとき、私はなんとなく新興宗教みたいな感じを持ったほどである。
ところが、そこからが問題であった。心情的陶酔感を実感した人達の一部に、今度は、それをゴールにして移動大学をやろうとした人たちが出てきたのであった。しかし、心情的陶酔とは結果として起こるものであって、それを目標にして移動大学なんかやったら、これは本来的なものとはかけ離れた脱線であり、冗談じゃない、と言わざるをえない。こういう人たちが出てきたということが問題なのである。
(pp.135-136)

(略)心情的陶酔を目ざしたシステムでは、この[フィールドワーク→データ集積→KJ法]という段階をすべて飛ばして、お祭り気分のほうに直行してしまうのである。また心情陶酔派がチームの中心にいると、クールに現実を見つめる人々を、全部、移動大学的ではないといって撥ね出してしまう傾向が出てきた。そういう人たちは現実感覚が薄く、心情世界のなかだけで現実を幻想しているだけなので、実際のプロジェクトを遂行する能力に欠けるといっていい。
(pp.136-137)

筑波が模範の「学び合い」,川喜田二郎の「移動大学」

特に重要なのは「心情的陶酔とは結果として起こるものであって」のところです.小川論文にある「組体操を終えたときに見られる子どもたちの満面の笑みと感動の涙」や「演技している主体的な立場と,見ている側とが一体となって同じような感動を得ることができる」が,明確に対応しています.
では,「心情的陶酔感を実感した人達の一部に、今度は、それをゴールにして移動大学をやろうとした人たち」が,組体操を指導する人々にいるだろうかと考えてみると…
ゼロとは言い切れませんが,体育指導に一定の力量があり,学校の児童らをよく見ることができ,子どもの言葉を拾い挙げて指導に活かし,他の教師らと連携して,運動会の準備・実施にあたってたりしている先生は,その立場になりにくいとも思っています.
逆に言うと,これまでの実績にすがり,児童それぞれの個性や日々の変化を見出せず,時間をかければ完成度は高められるの思いで一方的に指導し,他の教師を主導して運動会を計画・遂行している先生のところは,危ないぞとなります.
組体操に対する心情的陶酔が,事故に対して向けられるようにも思える昨今の状況を,もどかしく思いながら,当ブログでは引き続き,文献や事例の組み合わせを通じて,先生方の暗黙知を探っていくことにします.

*1:提示された締切を了承することも,締切が設けられていないときに自分で決めることも,コンテキストに関連づけられます.