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「学習指導要領にない」の新たな使い方

 ドキュメンタリー映画「みんなの学校」の舞台,大阪市立大空小学校の初代校長の木村泰子氏と,臨床心理士NPO法人えじそんくらぶ代表の高山恵子氏による,対談で構成された新書です.
 高山氏による「はじめに」(pp.8-9)の中に,興味深いフレーズを見つけました.

 対談の中で、木村先生と私にいくつか共通点があるなと感じました。一つは、日本の教育の一般的な対応とは違う指導をしてくれた先生との出会いです。木村先生の場合、「顔を水につけるのが嫌だ」と言ったら、「じゃあ背泳ぎを教えてあげる」と、小学校の学習指導要領にないことを教えてくださった先生。私の場合、忘れ物が多い私を叱らず、教科書を貸してくださった先生。どちらも柔軟性のある対応をしてくださった先生でした。

 「小学校の学習指導要領にないことを教えてくださった」ことを,肯定的にとらえています.
 否定的な使い方として知られているのは,組体操の文脈です.例えば『教育という病』*1の第1章(巨大化する組体操),p.57には,「学習指導要領に記載がない」という小見出しを設けて,過去の学習指導要領まで調査した上で,かつてはあったことを指摘し,「戦後10年もしないうちに,学習指導要領における組体操の存在は急速に薄れていったといえる。」(p.59)でその節を終えています.
 『「みんなの学校」から社会を変える』の背泳ぎのエピソードは,昨今の組体操の件と,2つの点でコントラストをなしています.一つは「柔軟性のある対応」の有無です.巨大ピラミッドに対する批評において,演技者となる児童生徒らに対し,柔軟性が考慮されているようには見えません.
 もう一つは,学習指導要領での扱いの変化です.というのも背泳ぎに関しては,現行(2008年)の学習指導要領に「学校の実態に応じて背泳ぎを加えて指導することができる」が入っています.http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/tai.htmで読むことができます.来年度から実施の次期学習指導要領についても,『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説体育編』のPDFファイル*2から,「背泳ぎ」を検索することで,「水中からのスタートを指導すること及び学校の実態に応じて背泳ぎを加えて指導することができることを,従前どおり「内容の取扱い」に示した。」を見つけることができます.
 「はじめに」だけに背泳ぎの話を持ち出すわけはない,本文にもあるだろうと思いながら,後半をパラパラしながら見ていくと,p.196に「今でも学習指導要領では,小学校の水泳は「クロールと平泳ぎの指導」としか書かれていません。」から始まる段落がありました.「それなのに50年前、その時代に私の首を持って、「俺を信用しろ、顔はつけない。足を動かしてみい。手を、ひゅん、ひゅん、ひゅんって、動かしてみい。これで25m泳げたら、明日からプールに入らなくてもいい」と、先生が言うんです。」と続きます.背泳ぎで25mを泳ぎ合格できたこと,背泳ぎで,全日本学生水泳選手権に6位入賞し,木村氏の特技としていること(p.194)もまた,興味深いところです.
 運動に関して,ただし学校の先生から指導を受けたわけではありませんが,独自の方法で達成したという個人的な記憶は,小学校の運動場にあった登り棒*3です.http://www.nitto-sg.co.jp/product/LA-03.shtmlが比較的近い形状ですが,棒の本数はもっと多く,上で曲がっているのではなく1本1本の棒を挿した形状だったはずです*4.友達は,1本の棒でするすると登っていくのですが,自分にはできませんでした.あるとき,2本の棒の上部を手で持ち,下部をすねと足首で挟みながら,上がっていく方法を知り,苦労の末に,てっぺんまでたどり着けるようになりました.物理的にも精神的にも,新たな視界を得ることのできた出来事でした.

*1:isbn:9784334038632

*2:http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387017_010.pdf

*3:正式名称は「攀登(はんとう)棒」とのこと.https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211936027

*4:「みんなの学校」で検索して見ていくと,http://minna-movie.jp/school.phpに,登り棒を登る子らの写真がありました.形状はこれがかなり近かったです.とはいえ自分が小学生のときに上り下りしたものは,そこまで直径は大きくなく,また中央の特殊な構造物は,ありませんでした.