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正解よりも真の正解〜Wikipedia「正三角形」のノートより

2011年5月9日(UTC)に始まり同月12日(同)に終わったやりとりです.『かけ算には順序があるのか』が出版される直前のことです.個人的には書籍を通じて「かけ算の順序」に関する出題事例を収集していた時期です.『算数・数学教育つれづれ草』は把握していて*1,金田(2009)はまだ*2といった状況でした.
「教育上の配慮から、正三角形が二等辺三角形でもあることには深入りしない」は良い落とし所だと思います.wikipedia:正三角形では,国内外を含め学校教育での取り扱いについては,あいにく書かれていませんが.
ノートでは,「正三角形は二等辺三角形とは異なるものと教えている」の妥当性と正当性が議論されています.もう少し言葉を増やすと,妥当性というのはそう教え学ばせている事例が十分にあるか(Wikipediaの本文に書いてよいか)どうかで,正当性はそのような指導や採点基準が,特に数学的な観点で適切であるかとなります.
後半に,興味深い反論の仕方が見られます.抜き出すと以下の箇所です.

私が問題にしているのは逆です。優秀な生徒の「真の正解」にもかかわらず×をつけてよいのかということです。この問題集の「正解」に従えば、正三角形を二等辺三角形に分類したら×にせざるを得ません。 たまたま優秀な先生にあたったらよいがそうでない先生にあたった優秀な生徒は悲劇です。

これは,「正三角形は二等辺三角形とは異なるものと教えている」ことの妥当性を認め正当性は認めないという白駒さんへの反論として,書かれていますが,実のところ正当性を認めないのを,追認しています.
「真の正解」とは,何でしょうか.「真の」を取り除いた「正解」に含まれている内容を「正三角形は二等辺三角形ではない」とすれば,「真の正解」は「正三角形は二等辺三角形である」と表せます.
ですが,図形の弁別の観点を取り入れて,「正三角形(として提示された図形)は二等辺三角形である(ように分類・弁別すること)」とカッコ書きを差し込むと,話は変わってきます.おそらくいまも,また2011年当時でも,どの図形が二等辺三角形ですか,正三角形ですかという出題では,正三角形を二等辺三角形に入れると間違いとしているような,授業やテストなのではないでしょうか.
間違いとなる理由は,小学生でも言うことが可能でして,「それは二等辺三角形ではありません.なぜならそれは,正三角形だからです」です.
YをXの部分集合として,「それはX(の1要素として分類すべき)ではありません.なぜならそれは,Y(の1要素として分類すべき)だからです」と表せるのは,算数教育では以下の内容が根拠となります(『算数教育指導用語辞典』p.45,転載元).

各図形の名称については,次のように決められている。
すなわち,一般の図形の集合から,条件が付加されて特殊な図形の集合が作られたとき,その特殊な図形の集合に名づけられた名称が,その図形の名称となるということである。例えば,長方形も正方形も平行四辺形の条件はもつが,平行四辺形とよばず,付加された条件でできた集合の名称を用いるのである。

結局のところ「正三角形は二等辺三角形である」は,図形の包摂関係に関する性質なのに対し,「正三角形は二等辺三角形ではない」は,図形の弁別において見られる慣行です.証明可能な「性質」を,あやふやな「慣行」より優先する心理も,理解できます.
ところで自分の担当授業で,正三角形は二等辺三角形であるだとか,ないだとかは取り扱いませんが,P≠NPを解説するにあたりオーダーの数学的な定義(wikipedia:ランダウの記号の厳密な定義とほぼ同じ)を書いた上で,f(n)=O(g(n)) におけるg(n)には「簡潔でタイトな関数を選ぶ」と補足を入れています.定義からn+5=O(2^n)だけれども,こんな式は実用的ではありません.