某年月日,おうちでの夕食は鶏団子鍋でした.めいめい,取り皿1つと箸が1膳ずつで,茶碗はありません.食卓の中央に置かれた鍋の具を食べたあと,鍋をコンロに戻してご飯を入れ,「おじや」にするからです.コンロのそばに,茶碗が積まれていました.
しばらく待つと,おじやが出来上がりました.めいめい,ふうふうしながら,食べていきました.
いつもなら「おかわり!」と言って茶碗を差し出すと,コンロに一番近いおばあちゃんがよそって*1くれるのですが,この日はおばあちゃんが不在でした.さきの子とすえの子がコンロに行き,自分でよそっていました.次はあとの子です.3人は,食欲旺盛というほか,1杯目が少なかったというのもあります.よそいに行くときはお箸を持ってったらあかんねんでお皿だけやでと言い,ようやく自分も1杯目を終えました.
今日わは自分でよそうんやなとつぶやいてから,茶碗を持って立ち上がり,鍋の前まで行くと…
おじやの残りが,驚くほど少なくなっていました.おたま1すくい分も,ありません.
「おいおいお前らどんだけ取ってんねん.あとほんのちょっとやがな」とぼやいたところ,真っ先に反応したのはママでした.「あたしもおかわりまだやねんけど! あんたら,どんだけ取ってんのよ!」と.
さきの子が,別室でテレビを見ながら食べていたので,呼び寄せると,冷ましていたらしく彼女の茶碗には,おじやがありました.鍋の残りよりも多い量です.
「じゃあパパにあげる」と言い,さきの子の茶碗から自分の茶碗へ,まるごと,粘弾性を有する調理物が流れてきまして…
いやそこまでして食べたいわけではないんやが…
ここで,ママが介入しました.さきの子にも一部戻され,めいめい,おいしく2杯目を食べました.
*1:「よそう」の漢字は「装う」だそうですが,「よそおう」と誤読されそうなのでひらがなにしました.「盛る」は,この文脈で使うのは違和感があります.