わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

仏教,大学,院生

ここのところ本を読むペースを減らしていましたが,まったく読んでいなかったというわけでもないので,書評しときます.

わかる仏教史

わかる仏教史

インド仏教,中国仏教,日本仏教(江戸時代まで)の経緯や特徴が読みやすくまとめられています.大乗仏教小乗仏教については,前者はそれなりにページを割いているのに対し,後者は「上座部仏教(南方仏教)」という表現で,独立した章はありますが,ページ数は非常に少ないです.
仏典の研究*1や講演などで,気になる語句を目や耳にしたときに,また見直すことにします.
ふりがなが多くつけられていて,その漢字と読みを書き出したら,語彙が増えるだろうなあとも思いました.
あと,イラストが花くまゆうさくだったらなあ.

大学生の勉強マニュアル―フクロウ大学へようこそ

大学生の勉強マニュアル―フクロウ大学へようこそ

タイトルから大学生向けかと思って読むと,どうやら大学教員向けです.学生でも,入学してすぐというよりは,これから教員になろうとして,教育と研究とのバランスをどうとって仕事していくかに不安がある人であれば,読み,本棚に置いておくメリットはあると思います.
勉強・研究のマニュアルは,著者の経験を整理し,フクロウ大学という架空の大学に投影したもので,やや抑圧的な表現に見えます.むしろ著者の書きたかったことは,第6章でしょう.大学教員,すなわち著者と同じ土俵であくせくしている人々に向けた提言です.そして,一つのメッセージ,一つの文を「簡潔に,歯切れよく」書かせ言わせるような書籍出版や大学教育の中で,修飾語をふんだんに使って,一文の字数をあえて多くしており,こういう文章を発したい,未来に託したいという意図がよく伝わってきます.
「修飾語」というのは,「修辞法」と言い換えられます.この章の前文でこの言葉が使われていて,記述内容も興味深いので,少し長いですが引用します.

さて,書きあげてみると,フクロウ界の大学教員や研究員ならば,誰もがもう知っていることばかりだということに二羽は気づきました.(略)知り合いの本屋さんであるナカモリヤに出版できるかどうか聞いてみましたが,「はるばる遠い地方からようお越しやしたなぁ.まあ,先生がそないに言わはるんやったら,ええ本なんでっしゃろ.先生も忙しい折に,ようお気張りやした.人間界で売るんやったら大ヒットまちがいなしでっしゃろうけど,フクロウ界やったらちぃと売りかたに工夫がいるやもしれまへんなぁ.南極で氷の商いをするようなもんでっさかいな.それにこの不景気に加えて少子化でっしゃろ.まあ,考えとききまひょ.それにしてもこないな遠いところまで,お疲れさんどした」と,上げたり下げたりしたあげく,体よく断られてしまいました(野暮を承知で少し解説を加えておきましょう.フクロウのしゃべる人間語のなかでも,木多折町で話される人間語は特に修辞法が発達しており,他の地方から来た者には話し手の真意がわかりにくいので有名です.この本屋さんの言葉は,一見,物腰穏やかですが,実は強い拒絶を表しています.「そこを何とか.けちくさいことを言わんと」などと押しまくると,「察しの悪い鳥やなぁ」と陰口を言われることになります).
(p.74)

「理系」という生き方 理系白書2 (講談社文庫)

「理系」という生き方 理系白書2 (講談社文庫)

この本は読みかけです.序盤におかしなものを見つけたのでした.

(略)深く考えないまま文系か理系かを決めることが,必要最低限の科学的知識すらおぼつかない大人や,社会性に乏しい理系エリートを生んでいるといえないか.
(略)所長は,ある理系大学院生の受け答えに仰天したことがあると教えてくれた.
その院生にゾウリムシのサンプルを海外に送るように言ったところ,「どこの国の切手を貼ればいいか」と聞いてきた.無知にあきれつつ送り方を教えた.
しばらくたって郵送先から「届いた試験官が割れていた」と苦情が来た.例の院生に事情を聴いたら,ガラス製の試験管を裸のまま,封筒に入れて郵送していたのだという.
「現在の学校では,子どものレベルをそろえ,文理に分け,楽に,効率的に教えようとしている.その過程で,重要なことがストンと抜け落ちているのではないか」と(略)所長はいう.
(p.49)

この事例は,「社会性に乏しい理系エリート」の問題ではなく,指導ミスというものです.学生に海外どころか学外にモノを送らせる作業というのは,指導者が細かく指導しないといけません.それが組織(研究室)の指導者としての,責任ある行動というものです.学生には一つ一つの手順を学んでもらい,何度かやらせれば「送っといてね」だけでも通じるかもしれませんが,それでもトラブルの責任を取るのは指導者や研究室の長ですから,常にチェックすべきでしょう.
とはいうものの,上の引用の「おかしさ」はそこにあるのではなく,所長が話した学生のエピソードを,「社会性に乏しい理系エリート」の問題として紹介するという,取り上げ方のほうです.想像するに,この所長は,学生の質を憂いているというよりはむしろ,「学生にこんなのがおってね」といった感じで,軽い気持ちで話されたのでしょう.さらに,上記引用の最後の段落は,所長が言ったのではなく,著者(記者)が創作したのではないかとまで推測できます.
しかしながら教員から見た,学生のおかしな行動を取り上げて,「今どきの学生は」という話にするのは,ブログのネタにするには手ごろかもしれませんが,“魔の表現”であることを認識し,自戒したいものです.

*1:基本的には担当しているのは情報処理で,内容に立ち入ることは専門の方にお任せしていますが.