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大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

学生時代を振り返ることの難しさ

大学院生物語

大学院生物語

分子生物学研究所で研究員をしている伊良林(著者と同じ姓)の視点で,他の大学から博士課程相当の学生を受け入れて指導する日々の描写が中心となっています.
ところどころで四半世紀前の学生生活を振り返っているので,年齢設定は四十代後半のようです.
「准教授」「助教」という職名が出てきますし,初版第1冊が出たのが2008年となっているので,新しいものを使うようにしているようです.しかし,待て待てと思わざるを得ない記述があります.

私は博士号を取得した後,数年の博士研究員として武者修行したが,当時も今も大学の教員になりたいと思ったことはなかった.理由はいくつかあるが,まずまともに聞く気のない学生相手に講義するのはごめんだという意識はあったと思う.時間の無駄である.しかしながら,最も大きな原因は最初に配属になった大学の研究室の教員たちの姿にあったと確信している.今,思い返せば古き良き時代だったのであろう.たばこを吸いながら学生実習を指導する講師,ウイスキーをチビチビやりながらさして面白くもない講義をする教授,一日中テニスをやっているか新聞を読んでいる講師,学生実習中に漫画を読んでいる助手,やたらいばり散らす助教授.思い出しただけで反吐が出そうになる.いやしくも旧帝大の研究室なのである.一般の納税者が彼らの実態を見たら許しがたい気持ちになること請け合いである.こんな教員貴族が巣くっている大学から一日も早く脱出したいと思ったものである.
(p.200)

語句として,「教員」は不自然で,当時は「教官」と呼ばれていたはず.教官から教員への呼称変更は,今の大学*1では独法化してからのことです*2.上の引用で2度,「教員」が出ますが,「教官」のほうが,しっくりきます.
あとは,『納税者が彼らの実態を見たら許しがたい気持ちになる』『教員貴族が巣くっている』という意識を持つというのが…過去の教員の姿を,20年以上たってから思い出して批判したいという意図があるにせよ…不自然です.少々乱暴に書きますが,学生にとって,先生は「尊敬の対象」か「何をされたいのか分からない」かのどちらかです.そして,嫌なら出て行く自由があった*3のです.
論理展開にも引っかかりを覚えます.『最初に配属になった大学の研究室の教員たちの姿にあった』と書いていて,段落のそれ以降では,研究室での教員の姿かなと想像して読むと,『ウイスキーをチビチビやりながらさして面白くもない講義をする教授』と,研究室外の例を挙げています.他についても,研究室での例ではなさそうです.では,授業を受けるのと,研究室の指導教官の実態を見るのと,どちらが先なのか,と混乱します.まあ独白というのは,思いついた順に言葉にすると,こんなふうにあやふやになるものだ,と理解するのがいいのかもしれませんね.
この本を読んで,私自身は,大学の教員職につけて良かったと感じています.数十人の学生に授業計画を立て,実施し,答案などから成果を見るのが,楽しいのです.そんな中から毎年数人が研究室にやって来て,自他の専門性を磨き上げるのも,不亦説乎(またよろこばしからずや)です*4
本に戻って,おすすめポイントをふたつ.分野違いでも興味深く読んだのは,学会(口頭発表)に関するpp.61-81のところです.pp.126-129も「分かる分かる」なのですが,見出しが「論争」というのは,ミスマッチの感があります.

*1:旧帝大ではありませんが.で一つ思い出した.「旧帝大」という言葉を初めて知ったのは,高校の柔道部で,たしか阪大の柔道部が主催して,阪大への合格実績がある高校の柔道部が集って試合をするというのがあって,行く前に顧問の先生から聞いたとき…だったかな.

*2:『かつての国立大学の教育職は文部教官(文部省時代)あるいは文部科学教官(文部科学省時代)という官職名であったことから「教官」が用いられていたが、国立大学法人化により教職員は非公務員とされたことから、「教員」に改められた』(wikipedia:教育関係者に対する呼称).

*3:過去形で書いているのは,現在,学生に「嫌なら出て行け」と言うわけにはいかないからです.研究室・研究所にせよ,大学にせよ.

*4:http://www.geocities.jp/rongo21/rongo/1_1.html.その発想はなかった.