わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

教育再生の迷走より

教育再生の迷走
教育再生会議,教育政策,全国学力調査などについて,webちくまで連載していた記事*1に対して,各記事に「振り返る」,それと終章を加筆したという本です.
個人的に関心があったのは全国学力テストですが,「悉皆調査には疑問」「公表されている結果や,千葉県の依頼に基づき,限界を示しつつも詳細な統計分析を実施」「平成19年度と20年度の目的の違いについては言及なし」「具体的な設問についても言及なし」といったところです.
もう少し,個別に2点.

国学力テスト実施に関する,文科省の政策意図*2

かつて

2. 「各学校が,各児童生徒に身につけてほしい知識・技能・活用方法,とってほしい生活習慣を,問題と質問紙調査という形で,全国共通かつ(事後)公開により提示する」という,隠された目的があるのではないでしょうか?
たとえば,悉皆調査ではなく抽出調査のほうが,正答率をより正確に求められるというのは,分析の観点では異論ないのですが,抽出調査において作成した問題は,公開できないのか,あるいは後の年度・他の地域や学校に再利用できないのかという,運用上(あるいはコスト面)の問題が考えられます.
そして,全国一律で問題を出すことで,教育学者らが,共通のリソースに基づき内容を分析でき,その提言を国・教育委員会・学校が把握しながら,教育内容を改善していけるのではないかというメリットも,想像できます.
少し乱暴な書き方をするなら,この全国学力テストが,学習指導要領とは別の手段により,義務教育で何を学ぶべきかを規定しようとしているのではないか,ということです.

全国学力テストに関する疑問2つ - わさっき

と書きましたが,本は以下の通り.

(略)実態を調べるための調査と呼ばれるものが,その実,絶大な権力を生み出す源泉になることを忘れてはならない.調べられる側が,調査の内容に適した成果を生み出すよう教育を変えていく,そのような力が働くようになるのである.
PISAのテスト以降,日本の教育界ではしばしばPISA型学力ということが言われるようになった.全国学力調査の「B問題」も,PISA型学力に近いといわれている.たとえ,この調査の精度や制度に問題があっても,批判を受けても,全国一律の悉皆調査にこだわる理由の一つは,すべての学校でこの調査を実施することによって,今後つけさせたい学力がどのようなものかを知らしめ,それに向けた教育が行われるようにすべての学校を導くためである.そう考えると,文部科学省が悉皆調査にこだわる理由が理解できる.たとえ,知識中心のテストではなくても,PISA型学力をつけさせるための準備を促す.それがどのような問題によってテストされ,その得点を上げるためには,どのような学習が必要なのかを,全国の学校の隅々にまで伝え,そこに向けた努力を引き出すための権力装置---それが,全国学力調査の隠されたねらいである.
(pp.173-174)

本のほうが先に書かれていたということですし,表現も,ずっと洗練されています.早く読むべき本でした.

生きる力の判定方法

小中学校の教育について

納得解という概念にはある程度共感しますが,解の妥当性を,評価者そして解を出した人(児童生徒)自身が定性的・定量的に判定する方法が確立するまでは,教育の分野で定着するのは難しいなあとも思います.

a+b+c=10 - わさっき

という形で疑問を述べたことがあります.また,大学教育においても,

いくつかの例題を含めて,「何が斬新なのか,画期的なのか」を,学生自身が判断する方法について,言及がないのが,この本を読み終えて最も引っかかった点です.

メカニカル発想法? - わさっき

と書いています.どちらも苦言の書評だなあ.
さて『教育再生の迷走』ではどうか…

(略)臨教審は「21世紀に向けて社会の変化に対応できるようとくに必要とされる資質,能力」として,「自由・自立の精神」,「創造性や自ら考え,表現し,行動する力」の育成を教育の目標に掲げた.いずれも,その後の「生きる力」に結びつく目標設定である.しかし,「自由・自立の精神」にしても,「創造性や自ら考え,表現し,行動する力」にしても,「生きる力」にしても,その中身がどのようなものであるか,どうすればそのような力を育成できるかを示すことは容易ではない.それでも,未来志向のプロジェクトである教育には,こうした目標設定が求められるようになった.つまり,不確実な未来の変化に向けて必要とされる資質や能力を特定することも,そのための手段を提供することも,そもそも困難で不明確な課題であるのに,教育には絶えざる改革を通じてその課題を達成することが求められるようになったのである.
(pp.190-191)

将来,役に立つ可能性が高く,そのことがわかっている知識や技術を教えることであれば,「今,ここ」での関わりは,未来志向のプロジェクトとしての性格を保ちうる.その場合,具体的な教科の指導を通じて,児童生徒たちがどんな力を身につけているかを看取る力は,たいていの教師に備わっている.ところが,「自由・自立の精神」にしても,「創造性や自ら考え,表現し,行動する力」にしても,「自ら学び,自ら考える力」にしても,こうした「社会の変化に対応できる」資質や能力を確実に身につけさせるための具体的な方法は,十分開発されているわけでも,教師たちにわかりやすく提示されているわけでもない.
(p.196)

どちらも終章の記述なので,プライオリティで負けているということはなさそう.しかしやはり本のほうが,整理されています.

ではどうすればいいか?

疑問ばかりで後味が悪いので,少し,提案のふりをした妄想をしてみます.
「問題が出され,後に対策ができていった例」として,共通一次からセンター試験への英語問題の変化が挙げられるのではないかと考えています.センター試験の英語では,図表を見て英文読解するという大問が加わりました.
評価目的の全国学力テストと,選抜目的のセンター試験とを同列に扱うことの批判は甘受しつつも,もし全国学力テストを今後も毎年1回実施していくのなら*3,どんな傾向の問題が出題されるかを推測して,問題案を作って広めたり,模擬試験を重ねたりするというのは,一つの進め方のように思えます.
小中学校だけでなく,塾で実施するのもいいでしょう.受験テクニックだけでなく,塾を卒業してからも勉学に人生に役立つことを教えたいという塾なら,なおさらです.
それともう一つ,全国学力テスト実施の是非や妥当性について,中学3年の総合の時間なんかで,公民や数学で学んだ知識を活用しながら,足りないところは自主的に調査して,取りまとめるだとかディベートするだとか,できませんかね*4

*1:苅谷剛彦「この国の教育にいま、起きていること」(06/12-07/12・全13回)単行本刊行準備中』(http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/info.html)で,バックナンバーを読むことはできませんでした.

*2:文科省の政策意図』という表現は,同書p.157に見られます.

*3:http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/12/1217101.htmからダウンロードできる別紙のPDFファイルには,『平成22年4月20日火曜日』と,翌々年度の実施予定日が言及されています.

*4:たとえば,全国学力テスト実施の費用を他の政策に使うと何ができるか,とか.しかしどっかから事前にストップがかかるか,やったらやったで間違いなく新聞をにぎわいそうだなあ.