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1.調査の目的
平成22年度全国学力・学習状況調査の実施について(通知)
義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から,全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し,教育施策の成果と課題を検証し,その改善を図るとともに,そのような取組を通じて,教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。また,学校における児童生徒への教育指導の充実や学習状況の改善等に役立てる。
1.調査の目的
平成21年度全国学力・学習状況調査に関する実施要領(PDF)
(1)国が,全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から,各地域における児童生徒の学力や学習状況をきめ細かく把握・分析することにより,教育及び教育施策の成果と課題を検証し,その改善を図る。
(2)各教育委員会,学校等が,全国的な状況との関係において自らの教育及び教育施策の成果と課題を把握し,その改善を図るとともに,そのような取組を通じて,教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。
(3)各学校が,各児童生徒の学力や学習状況を把握し,児童生徒への教育指導や学習状況の改善等に役立てる。
今年の目的については,字数が減ったことよりも,主語が消えているのが気になります.「〜確立する」までの第一文は,国・教育委員会・学校に,「また」以降の第二文は,学校・教師・児童生徒に関わってもらおうという意図でしょうか.
ここ半年の間に書いた全国学力テスト関連エントリから,きりぬき
教育,特に小中学校で教育に携わる方にとっては,この中の『落ちこぼれを作り出さない仕組み』や『競うのは大人であって,子供ではない』のところに,「そうなんだよね」と共感を覚えたり,「それが(うちの学校で)できれば苦労しないんだが」といった苦々しさを感じたりするんだろうなと思いました.しかしながら,私の最大の関心は『全県で同一の教材』と『絶えざるバージョンアップとあるべき対処法の錬磨』のところです.
学力調査と,秋田の学力向上に対する取り組み
このPDCAサイクルは,数値目標に基づいた成果主義として,二〇〇二〜〇三年ごろから教育実践における学校の「説明責任論」(アカウンタビリティ)と一体となって,今や教育界を席巻している概念です.
文部科学省はこの考え方を活用しながら,全国学力テストの実施によって,Pの「企画・立案」とCの「検証・評価」を行う権限を握り,Aの「実行・改善」,つまり教育改革の舵を握ろうというわけです.学力テストを武器にした,国家によるみごとな把握方法と言えます.
(p.24)図解のすすめ,全国学力テストへの批判国が地方を信頼せず,国が目標を設定し,それを各学校があたかも「主体的」であるかのように思いこまされて実行させられる.しかもそれが外部の第三者機関による評価に付され,改善を迫られるシステムとは,何という中央集権的,管理主義的な発想であり構造でしょうか.
(p.25)
図解のすすめ,全国学力テストへの批判
- 一人に対して指導することと,クラスで教えること,学校や日本の教育制度のもとで教育することについて,どのように関係づけるか?
- 1回の試験(能力測定)が,解答者の能力を正しく(どれくらいの誤差で)測れるものか? 誤差を最小にする,効果的な手法は何か?
- 同一または同様の出題を通じて,同一の解答者(解答者群)の知識定着・能力向上を確認できるのか? 効果的な手法があるのか?
今月の,全国学力テスト関連の新聞記事を目にしていく中で,いくつかの議会の意見書に気づきました.「悉皆調査の継続」です.まあこの時期に,抽出調査に賛成をする意見書というのが出たり,悉皆調査の継続を求めた意見書案が否決されたりしても,新聞にも議会録にも,なかなか載らないでしょうけど.
全国学力テストの議会による意見書
個人的には40%だとか,それを減らして30%台にするだとかいった,いま文部科学省が計画していて,その一部が報道されているような方式の抽出調査には,賛成できません.じゃあどういう抽出率ならいいのかについては,そもそも全体設計から見直すべきではないかとか,率よりも選び方が大事じゃないかとかを挙げておく程度にとどめて,本日は,過去3年間の実施方法をベースとする,意見書に焦点を当てたいと思います.
各記事と,それに先立つ「小特集編集にあたって」に目を通しましたが,全国学力テストについては言及が一切ありませんでした(PISAとNAEPは,書かれていました).悉皆調査か抽出調査か,経年比較か地域比較か,問題は公開か非公開かについての記述も,見られませんでした.
学力評価の最前線
ただしこれまでの全国学力テストが,上記引用でいう「古典的テスト理論」に基づいていることは,一通り読めば容易に推測できます.単純だけど何かと問題のある手法(そしてそこから導き出される理論やモデル)を超えた,有用かつ実用化されている学力評価技法を,この小特集によって紹介しているのだと,判断しました.
事業仕分けで方向性の再検討が迫られた,全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)について論じるとき,「全国学力テストの目的は…」と書けばかっこいいのですが,文部科学省が公表している実施要領を見ると,目的が複数あり,そのため,人によって解釈の仕方に差があります.
全国学力テストに望まれていること
それを回避するためか,「全国学力テストの意図は…」「全国学力テストの趣旨は…」という書き方も見かけますが,書き手の持論が強く出ており,その分,客観性が十分に得られておらず,国民的なコンセンサスへの道はずいぶん遠いように感じます.
目的/意図/趣旨ではなく,もっと緩やかに…「望まれていること」,あるいは「全国学力テストの実施で期待されていること」をできるだけたくさん並べてみれば,それをもとに,自分の興味がどこにあるかだとか,発言者(新聞社だとかブログ主だとか)の間の類似性がどうなっているのかとか,見出せるかなと妄想するに至りました.
都道府県間,言ってみれば空間的な比較をとるのか,経年比較,すなわち時間的な比較をとるのかは,まずはデザインの問題,設計思想の問題です.経年比較ができない点を(に限らず,「今のやり方では,できてもらわないと困るはずの〜ができない」と)厳しく追及するのは,仕分け人の職務なのかもしれません.しかし仕分け人でない我々は,「え,だまされていたのか」と反応するのではなく,質疑を見て冷静に,国が何をすることを応援し,批判しなければならないか,考えていきたいものです.
学力テストの事業仕分け
(略)
テスト問題を公表しないことを前提として実施するとして,その問題点,あるいは実施の障害になりそうな点が指摘・共有されないのに,「時間比較を取り入れるか否か」を迫るのは,不適切です.
問題を公表しないことのデメリットについて,想像できるところを挙げておくと,「解いた児童生徒が覚えて,塾などで情報収集が図られ,結局公表される(またはその塾などで過去問を知った児童生徒が有利になる)可能性がある」「本人は解いた問題を復習できず,問いから学べない」「教員や学校で,教育指導の向上が図りにくい」「問題を公表せずに結果(平均正答率などの統計情報,もしかしたら順位も)だけ出すのでは,保護者や住民,教育に深い関心を持つ人々が,納得できない」あたりがあります.(略)
全国学力テストに目的が複数あって,その一つに乗っかかる人ですか.
学力テストの事業仕分け
教育という球面を,外から内から眺める本章では,「学力調査によって本当の学力の実態を測定できるのか」という疑問を切り口にして,教育の本質である「学力とは何か」という少し難しいテーマに迫ってみました.その時代の社会的ニーズを学力観とする「社会環境的学力観」を根拠として学力を測定することは,教育行政の自己評価資料とはなっても,児童・生徒の学力を評価するには不十分ではないかという結論が導き出されました.もし,調査結果が,通念的学力観でしか学力評価を考えることができない人たちに利用されてしまえば,評価を受ける児童・生徒は,時代とともに揺れ動く価値観に振り回され,その尊厳が失われかねません.
(p.71)
改めて「教育活動を一つの球面としたとき」,この本は,球面の中から光を放射し,すべてとはいかないまでも,球面の主要な部分に,その光を浮かび上がらせようとしていると感じました.そして私を含め,教育の享受者は,外から見てそれを理解するのです.小学生から大学生までは球面に乗り,学校教育を離れれば,球体から遠のきます.
教育という球面を,外から内から眺める
さらにいうと,著者は,球体の中に照明をセットした人であり,全国学力テストの分析・活用専門家会議座長として,球体の内面から,球面にアプローチしている人のようにも思えます.
難問奇問が解ける授業
- 「ひと昔前なら,難問,奇問とされた問題が解ける」ことを見るためのテストではないし,文書化も通知もなされていない.
- 問題が解ければいいのか? 隠された正解や題意を引き出せれば,それでいいというテストや授業・教育でいいのか?
- 採点結果(正解・不正解)をどう活用するのか? 誰がどんな結果を知ることができ,どのように活用できる(ようになってほしい)か,座長として見通しはあるのか?
- 正解率が他の学級,他の学校,他の自治体より低いという結果になったとき,それがどういう意味を持つのか? 他の要因を考えないまま,短絡的に指導力不足に結びつけられてしまわないか?
- 「何年か続けて」とあるが,何年実施すればどのようなことが明らかにできそうかという,目的を立てずに実施しているのか?
自分は「教育」ではなく「研究」の観点から,全国学力テストの動向を観察していることに,気づきました.
全国学力テスト myまとめ
目的を明確にし,その目的を達成するために最適な手段を用いる,というのが基本となります.目的と手段(手法)は,実施する権限のある者が定め,私を含む周囲の目で見て,疑問があれば指摘します.
疑問は様々な観点から発生します.今,思いつく限りで分類すると,「目的設定(課題設定)が,適切な現状認識のもとでなされた,妥当なものであるか」「採用する手法は,目的を確実に達成するものか」「もっと効果的・効率的な手段が,あるのではないか」「数量による結果は,過去あるいは同時に(時間的・空間的に別のところで)実施したものと比較可能か」「実施することで,誰にとってどのようなメリットが得られるか」「採用する手法は,非実用的ではないか(法律などに反していないか)」「実施そのものが,目的の範囲を超えて,好ましくない影響を与えるのではないか」といったところ.