ひさしぶりに19歳の話を書きます.
過去の日記を読めば分かるように,私は大阪府堺市の出身です.また柔道は初段(黒帯)をとっており,今は柔道着に袖を通すことはないのですが,テレビで柔道の試合を中継していたら,見て,ここに感想を書くようにしています.
小学生のときは,少し離れた大浜体育館へ,週2回,稽古に行っていました.中高はそれぞれの柔道部に所属していました.
中学以降の柔道の試合は,個人戦もありましたが,多くは団体戦でした.5人制か7人制.5人制のときは,各選手には出場順に「先鋒」「次鋒」「中堅」「副将」「大将」という名称がついていました.7人制だと「先鋒」「次鋒」「五将」「中堅」「三将」「副将」「大将」でした.
大学生になったら,体育会の柔道部には入らず,コンピュータの学科で,まあそれはそれで楽しく過ごしていました.しかし高校の柔道部には,顔を出すようにしていました*1.そんな中,5月の大会に,一般の部の団体戦で出場してほしいと,依頼がありました.記憶が間違っていなければ,大学2年生,19歳のときです.
毎年5月と11月の,ある日曜日に,堺市の柔道協会だったかが主催の大会が開かれていました*2.5月は小学の部,中学の部,高校の部,一般の部に分かれて,小学の部は個人戦,あとは5人制または7人制の団体戦でした.
一般というのは,大学生以上なのですが*3,高校のOB会というのも出場可能で,例年,私の出身校の柔道部のOB会でも1〜2チームが出場していました.それで,私がそのメンバーに名を連ねることになったのです.
試合前に何回か,高校に出向きまして,少しでも体力と技を取り戻すよう努力しました.
当日だったかそれより前だったか,オーダーが発表されまして,私は先鋒とのこと.中学のとき以来です*4.団体戦の最初の勝負.勝てばチームに調子付け,となる,それなりに重要な位置です.
試合のほうはというと,その先鋒戦でたしか,1回戦,2回戦とも勝つことができました.2回戦では早々に技ありを取られましたが,経過時間が真ん中くらいのときに,場外際で大外刈りをかけ,一本が決まって逆転できました.
ここで,団体戦の勝敗の決め方を,記憶に基づき書いておきますと,対戦者ごとの勝敗で,多い方があればそっちのチームの勝利です.3人制にせよ5人制にせよ7人制にせよ奇数ですから,全対戦者で白黒ついていれば,団体戦の勝敗も容易です.
しかし「引き分け」があって,対戦者ごとの勝敗数が同じであれば,次は点数を求めます.一本勝ちなら10点,技ありによる優勢勝ちなら7点,有効による優勢勝ちなら5点.負けと引き分けは,0点です.ポイント(有効,技あり)を取っていても,勝った側がそれよりも上位のポイントを取っていれば,負けた側は0点です.
そんな点数計算をしても,同じなら,代表戦として,出場者の中から各チームひとりずつ出て,対戦し,それでも引き分けだと,主審・副審の旗による判定で決めます.
出場した団体戦に話を戻すと,2回戦は2対3で負けて,入賞には至りませんでした.
5月・11月の大会.開会式と試合開始の間に,厳かに,「形」のデモンストレーションがありました.開会式の中では,毎回,市長の挨拶として,代読で市の偉いさんだったかが文章を読み上げていたと,おぼろげに記憶しています.
今年は堺市長選挙があるとかいうことで,立候補者に関するいくつかの報道を見て,上のことを思い出しました.