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稽古は試合のように,試合は稽古のように

では余談タイムにします.私の体格から,想像のつく人はいると思いますが,高校まで,柔道をやっていました.
柔道着に袖を通さなくなって,だいぶ経つのですが,先日,スーツを着て鏡の前に立ってみると,俺ってやっぱり柔道家なのか,そんなことを思わせる立ち方なっていて,ちょっと戸惑いました.背筋を伸ばすとですね,胸が,前に出ている状態になるのです.
それで,高校の部活中だったと思うんですが,顧問の先生があるときに,こんなことをおっしゃいました.
「稽古は試合のように,試合は稽古のように」です.
稽古,とは,練習のことです.練習は練習であって,勝敗を決する試合とは別物というのが当たり前なのですが,「稽古は試合のように,試合は稽古のように」という言い方があるんです.パラドックスのようなね.
まあ,読んで字のごとくなのですが,稽古で,それは打ち込みでも乱取りでもいいのですが,いま自分が試合をしているかのように,相手に対して,畳に対して---「場」に対してってことね---,そして自分に対して真剣であれ,ということです.
そして試合の場では,稽古のときに何をしたかを,体で思い出し,稽古のときに体感した間合いで技をかけていきなさいよと,そんな感じのアドバイスです.
さてこの,「稽古は試合のように,試合は稽古のように」のロジックですが,大学生活において,みなさんのサポートになるようなメッセージを含んでいるように思います.3種類,そのバリエーションを見ていくことにしましょう.
まずは,「問題を作る側は,解く人のことを想定し,解く人は,なぜこんな問題を出してきたのかに注意して正解を得る」です.もちろん試験のことですが,小テストに適用してくれてもかまいません.
私はこの科目で,みなさんに伝えたことを記録と記憶からたどるとともに,みなさんが受け取ったことをよくイメージしながら,毎年異なる問題文を作っています.ちゃんと授業に出て,きちんと復習して,知識を身につけた人にはより高い点数,十分な学習や理解をせずに試験に臨んだ学生には,不合格を含め厳しい点数になるよう,文章構成を心がけています.
みなさんは,試験の問題文ひとつひとつについて,単に解ければいいというのを超えて,これの意図は何なんだろう,正解と不正解,あるいは加点と減点の違いはどこになるんだろうと考えながら,選択するなり記述するなりしてほしいと願っています.想定問題を自分で作る,というのはいい練習になります.
2番目は,情報セキュリティという科目に関連するのですが,「安全なシステムを運用するには,悪意のある利用者を熟知し,一方悪意のある利用者は,破ろうとするシステムのことをよく理解してから行動を起こす」です.
「この技術を入れたから安全」「困ったときには助けてくれるから安心」というのでは,安全な運用とは言えないのです.安全でない状態,そしてその原因となる,悪意のある利用というのをよく考え,そういった利用がなされないように日々,務めることで,安全な運用ができるのです.
逆も,書いてあることから分かりますよね.むやみにアタックしても,勝てません.破るためには,ターゲット,すなわち攻撃の対象をこれと見定め,それに関する情報を入手することから始めるのが,基本です.完全な情報が得られるわけではなく,そこは現場でと言いますか,アタックしながら気づき,方針変更をすることも,あっていいでしょう.しかし勝算というのは,事を起こすまでに確信しておく,というのが,うまくいくための黄金律だったりします.
最後に,多くのみなさんにとってはまだまだ先のことですが,就職活動に適用してみましょう.「採用する企業側は,応募してくる学生のことを考え,応募する学生は,採用しようとする企業のことをよく調査して理解する」となります.
もう,細かい解説はしないでおきますね.あなたと私,私とあなた.これとそれ,それとこれ.といった2項目を並べて,融合できるような,思考様式を身につけてくれればと思います.

補足

昨日の余談その2です.その1は,amazon-searcher.rbでした.
「稽古は試合のように」で検索をかけると,柔道ではなく剣道のアドバイスとして,よく見かけます.レスペクトを込めて*1,本文中に「真剣」という言葉を入れました.

*1:死語だなあ.