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柔道とコミュニケーション

中学1年のとき

中学の柔道部でのこと.
中学1年の,1月だったか,2年上で,柔道の推薦で高校に行くという先輩と,寝技の乱取りをすることになりました.体格でも,腕力でも技術でも,到底かなわない先輩なのですが,いろいろあがくと,どうも先輩のやりたい柔道ができなかったらしく,互角は言い過ぎにしても,絵になる状況だったと思います.
そいで立ち技の乱取りになって,最初にその先輩が私を指名.ボコボコに投げられました.

高校1,2,3年の秋

高校の柔道部では,主将を務めました.
10月ごろ,校内で「送別試合」をしました.3年生対1・2年の抜き勝負です.以前に団体戦の進め方や勝敗の付け方を書きましたが,「抜き勝負」は,勝てば残り,負けと引き分けはチームの次の人に交代して,残り0になったチームが負けという方式の団体戦です.
高校1年の戦績は,ちょっと思い出せません.2年のときは,主将ということで最後.つまり負けか引き分けでチームも負けという位置で,自分の番のとき,相手(3年生チーム)はまだまだ残りがある状況.2人に勝ちましたが,勢いのある先輩に袈裟固めで押さえ込まれて,なすすべがありませんでした.
3年になって,どうなのかというと,同じ学年は私を含めて5人だけでした.1年生・2年生は,わんさかいます.それでもみなが力を出してくれて,最後は大将戦,つまり2年の(そのときの)主将と私との手合いとなりました.引き分けに終わりました.誰が手心を加えたわけでない,全力勝負の送別試合でした.

高校2年のとき

大阪・奈良・京都の高校が何校か集まって,合同で練習会をすることがありました.
学力レベルが似通っていて,柔道のレベルも近いものでした.
団体戦形式の練習試合もありましたが,その前に,個人戦を行いました.
乱取りと同じスタイルなのですが,通常の乱取り稽古は3分とか時間を決めて,何度一本で投げられてもその間は同じ相手です.しかしその個人戦では,基本的に時間制限がありませんでした.寝技なら20秒押さえ込むまで.立ち技なら有効以上と,投げた側・投げられた側が認識すれば,そこまで.負けた人は勝った人の高校名と名前を聞き,黒板のところに行って勝者を伝えます.勝者には1ポイントが入ります.勝った人は即,次の人の対戦となります.負けた人は,対戦を待つ列の最後尾につきます.なお,同じ高校同士で組むことは,寝技でも立ち技でもありませんでした.
負けて,名前を教えてくださいと言ったとき,技の名前を答えてくれた人もいました.聞き直しました.
この個人戦で,それなりにポイントが取れて,上位入賞ということで,楯をいただいたこともあります.

柔道とコミュニケーション

乱取りをするときの不文律,より正確には,指導の心得があります.

  • 上位者は,下位者がいい技をかけてきたら,投げられる.

これは,組む2人に明らかな技量の差があるのを,前提としています.
ここに,言葉を使わないコミュニケーションが含まれています.
しばらく,柔道の楽しさを書いてみましょう.
学んだ技で,相手を動かし,やあっと,投げるのは爽快です.
柔道には数十のよく知られた技があり,学んでいくにつれて,「得意技」を持つことになります.
相手を投げるには,また試合に勝つには,打ち込みで練習した技をかけるだけでは無理です.腕力,スピード,駆け引き,そしてそれらの組み合わせにより,技が決まる状態に持っていくことが,欠かせません.
投げたら終わり,ではありません.投げる側は「えい」でも「やあー」でもいいので,声を挙げ,アピールします.投げられた側は,背中が畳についたとき,上手いこと投げられたのを,体で感じるのです.
ここまでの話を,言葉を介したコミュニケーションに変換してみると…
相手に知ってほしいことを,相手にちゃんと届けるためには,書き言葉のような,抽象的な表現による技巧的な配列というのは,必ずしも要求されません*1.知ったばかりの語句をぽんと出すだとか,自分の内面にある思いをつらつらと語るのでは,失敗することも多々あります.
前振りや,背景説明を行い,本当に言いたいことを理解してもらう素地を作っておきます.本当に言いたいことは,短い字数で言えるものです.そこからさらに対話を重ね,聞き手が,ああこの人の言いたいことはこうなのだな,と感じることができたら,一つの情報伝達は成功です.
そして,語彙力が高い人や,経験が豊富な人=上位者と,そうでない人=下位者とで会話をするとき,上位者は自分の言いたいこと,知ってほしいことは適切な方法・言葉を使って伝えるだけでなく,下位者をリードし,言いたいことを引き出すことも努めます.「なるほど」「で?」などの相鎚は,技をかけやすくさせるように動き,自分の身をほぐしているのです.
ある話題には強いが,それ以外は関心を持たないという人は,柔道で言うと,自分の得意とする技だけが上手くて,それ以外はさっぱりという人です.得意技をいろいろなところで掛け,それが効いているうちは,自分の世界だけの人です.
いずれ,限界すなわち「壁」にぶつかります.そこで努力をしなくなると,楽しみもそこまでです.
得意技をさらに磨くだけでなく,他の技を学び,技以外の能力アップを試み,他の人の上手い技を,テレビだったり実際に受けたりして,知っていくことで,まだまだ技量は上がり,楽しさを再確認することができます.
「お願いします」の礼から始まり,組み,投げ,投げられれば,自分も相手も楽しめるのです.
日本語でも英語でも,話し言葉でも授業のやりとりでも,論文でもブログでも,自分も他人も楽しめるコミュニケーションを目指したいものです.

外は

嘉納治五郎先生も仰っているように、試合柔道を終えた者は、世の中へ柔道を還元しなければならない。私はそれを、こう理解している。武道には、スポーツの面とルールを超える護身術の面と、修身の面がある。世の中で応用できるのは、この修心の面である。私は、武道とはコミュニケーション・ツールであると思っている。乱取りをした相手の年配者や子どもと、仲良くなれる。大きな声で礼を言えるようになる。試合でどきどきした経験から、人前でも上がらなくなる。出稽古体験から、未知の人の前ではその方のルールに身を任せるようになる、等々。試合柔道の実力は卒業後は否応なく大半が落ちていくものだが、こうしたツールを活用することで、柔道家としてより大きな道を歩んでいただきたい。諸君は厳しい制約を乗り越えて四年間の稽古に励んだのだから、必ずそれができるものと確信している。

http://homepage3.nifty.com/martialart/0712.nikki.htm

今回初めて米国の柔道クラブの稽古に参加させていただきましたが、稽古を通じて一緒に稽古した方々との距離をとても近く感じることができました。改めて、柔道はコミュニケーションツールであって、稽古はコミュニケーションであると実感。帰りは、友人に誘われて3か月前から柔道を始めたというニック氏に宿まで車で送ってもらったうえ、夕食までご馳走に。。とても素晴らしい経験をさせていただきました。

sakaisのノート Sacramento Judo Club

*1:高校1〜2年では,体育の授業に週1回,柔道がありました.私と体格がほぼ同じで腕力はこちら以上という,柔道部員ではないクラスメートと,乱取りをしてみると,相手は,腕力で前後や上下に動かそうとします.こちらは軽く動かされながら,ひねったり回したりするのを取り入れると…あとはいいですね.