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十代は柔道

子供がヤル気を出す家庭の秘密 成績がみるみる上がる吉田式テクニック (角川oneテーマ21)』の第4章は,「灘校の柔道は頭を良くするお手本」という小見出しで本文が始まります.いくつか抜き出します.

「はじめに」でご紹介したように、嘉納治五郎先生の講道館柔道の精神を受け継ぎ、灘中・灘高では今でも柔道が必修科目となっています。校内に立派な柔道場があり、生徒は全員が勉強の合間に柔道場で汗を流します。今から振り返ると、この柔道の時間は、脳科学や医学の面からも、脳機能を高める上で必要な条件をすべて満たしており、学力を高める上で理想的な運動プログラムだったと言えます。
(p.165)

私たちが受けた柔道の授業では、準備運動が終わった後、5分ごとに対戦する相手を変えて、ひたすら乱取りを続けました。乱取りとは、何度も何度もお互いに技をかけ合って練習することです。1時間の柔道の授業が終わると、真冬でも前身が汗でビッショリになり、ヘトヘトに疲れます。それだけ、高い心拍数が、長時間にわたって維持されていたということです。
(pp.168-169)

真冬の朝一番の柔道は辛かったのですが、終わったあとは、全身がポカポカし、授業にも集中できたことを今でもよく覚えています。身体がポカポカしたのは、全身の血行が良くなったためです。自分では気づきませんでしたが、同時に、脳への血液循環も向上していたはずです。これが、学習の効率を高める結果をもたらす要因となってくれたのです。
(p.170)

なお,本文は決して柔道礼賛というわけではなく,「頭を良くするには必ずしも柔道でなければダメだというわけではありません」(p.165),「運動するだけで学力が向上するというわけではありません。運動した後に勉強するからこそ、学力が上がるのです」(pp.170-171)にも注意が必要でしょう.本に書いていない,個人的なコメントですが,準備運動後に乱取りは乱暴すぎで,受身や打ち込みの時間も,お願いしたいところです.
さて私自身はというと,小中高と柔道をやっていました.小学校のときは,走って1kmほどの体育館で,「月・木コース」に出席していました.中高は柔道部がありました.中学のときは朝練もありました.高校では,年明けすぐの5日間が寒稽古でした.ある日,帰宅すると,父が横になってテレビを見ており,それで昭和の終わりを知りました.
高校の体育の授業には,1〜2年で週1回,柔道もありました*1.2年の最後のほうでは,試合形式でした.自分と近い体重で,腕力もあるんだけど,組んでみると動きが違って見えて,さくっと勝ったのも思い出します.こちらが柔道部員ということで威圧されたというのもあったのでしょうが,個人的には,体捌きなどにより「円の動き」ができるかできないかが,大きかったように思います.慣れない人は,前後に動かそうとする傾向にあります*2
思うことあって大学では柔道をせず…そして今は何かというと,DDRです.大学そばのお店にX3が入り,ちょっとわくわくしています.冬でもポカポカになります.LV30に到達し,先日やっと,ある曲でAAAが取れました.未プレイ曲の消化に力を入れているところですが,今回こそ,グルーブレーダーでオール100を達成したいという目標もあります.
柔道にせよDDRにせよ,自分としては勉強に直結していませんが,思わぬところでメリットがあるように感じています.それは子育てです.ある状況で,次にどうなるか,誰がどう動くかの予測に,役立つのです.
寝間であとの子にくっついてぐりぐりしているうえの子*3を,つかんで持ち上げ,他の布団のところに持っていくのも,円の動きです.
こちらの思いと子らの行動が,完全に一致するわけではありませんが,そこでもまた,DDRの交互踏みをさせてくれない譜面を連想するのです.

*1:ちなみに中学のときは,剣道でした.中1の3学期,中2の2学期,中3の1学期で,その間は他のスポーツをしませんでした.

*2:今年になってから,http://www.asahi.com/sports/update/0101/TKY201201010111.htmlはてブをしました.

*3:うえの子はふだん,妻の父母と一緒に寝まして,朝はこちらの寝間までやって来ます.あとの子はママすなわち妻のそばで眠っているので,うえの子にしてみれば,やっかみというのもあるのでしょう.