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「正解・不正解」と「成功・失敗」

「正解か,不正解か」と「成功か,失敗か」は,分けて考えられるようになりたいものです.
こう感じるようになったきっかけは,昨年の秋,ゼミの前の,ある学生からのメールです.文面には,「これこれをしたいが,これで正解なのか」というニュアンスが含まれていました.そのメールと,返信は,今,掘り起こせないのですが,軽くそれでいいよと返したあと,そこは正解・不正解で考えるべきではないなと,思ったのでした.
正解・不正解で考える,というのは,“出題者側は,理想的には単一の「正解」を隠した状態で出題している”と仮定し,解答者がその隠された正解を見つけ出す作業であると言えます.多肢選択式や空欄補充の問題は,その典型です.
そのゼミを進めるにあたり,特に正解を用意していなかったので,学生の問い合わせに違和感を抱いたのでした.
それとは別に,成功・失敗で考える,というアプローチがあります.採点者だとか評価者だとか,表現はいろいろありますが,そういう人が「なるほど」と納得してくれれば成功,そうでなければ失敗,というのが基本でしょうか.
成功・失敗について,詳しく見ていく前に,議論を簡単にするための前提を置きます.人は「モノ」をつくります*1.「モノ」を見て,可否を判定する人が別にいまして,その情報をもとに,モノを手がけた人が成功・失敗を判断することとします.もちろん,モノをつくっている最中は,成功を目指して最大限の努力をします.モノというのは,目に見えるもの,手に取れるものに限らず,ソフトウェアや,紙あるいはファイルで記述された文書であってもかまいませんし,それらを組み合わせたものでもいいでしょう.もしこれらのセッティングが,さっぱり分からなかったら,美味しんぼの料理対決をイメージしてください*2
この構図のもとで,失敗のパターン,より正確には,可否判定で「否」となるパターンを,いくつか挙げることができます.
まずは,モノづくりの背景,いわゆるコンテキストを踏まえていない状況です.そのモノづくりに当てていた焦点が「的外れ」だった,というケースですね.
次に思いつくのは,「陳腐」です.誰もが思いつく方法で,誰もが行うであろう努力をし,誰もが想像するであろう結論としてのモノには,面白み,わくわく感がありません.
最後に,厄介なのが,「他の人と同じ」です.あっと驚かせる(あるいは,なるほどと思わせる)工夫が,たまたま偶然,同時期にモノづくりを手がけていた別の人のと同じで,公表されたときに「これとこれ,おんなじやね」となる場合です.
この3点は,いずれもモノづくりのする人の創意工夫によって,十分に小さくすることができます.いずれも,情報収集が基本です*3.3番目について,ライバルが教えてくれないとしても,例えばライバルの側近ではどんな情報収集をしているかを見れば,推測できるということがあります.
しかしゼロにはできません.コンテキストを踏まえてつくったとして,評価する人の想定と異なっていたら,大失敗です.評価する人がどんな観点・美意識などを持っているか,十分に下調べしていても,評価の場でもその感性,ベストコンディションであるかは,定かではありません.様々な工夫を加えていると「ごちゃごちゃしすぎ」,シンプルにまとめると「物足りない」*4と,ある種気まぐれに言われて,撃沈してしまう可能性だって,取り除くことはできないのです.
失敗失敗ばかり挙げましたが,失敗を失敗としない方法があります.それは「確かに失敗をしたが,自分の人生において,それは成功のための一歩だと理解すること」です.
上では,「否の判定=失敗」という暗黙の仮定を置きましたが,別にそうじゃないじゃんという価値観に気づけばいいのです.
とはいえ,単に失敗として片付けるのでは経験値となりません.次回の成功に,つなげなければなりません.その意味で,「数打ちゃ当たる」は良くないアドバイスですね.NGを突きつけてきた人にリベンジを図るといいますか,今度こそは認められたいとして修行をやり直すのは,美しい姿です.
ただし,2度同じようにNGを言われると,その世界では生きていけなくなるでしょう.また,一度であっても,そこで必ず成功させなければならないという「勝負どころ」も存在します.
ここまで,「正解か,不正解か」と「成功か,失敗か」を別物として議論してみましたが,現実はというと,完全に分離できるものではありません.
試験では,正解を十分な数だけ稼げば,合格です.合格を成功と見なさない人は,よっぽど何かあったのでしょう.
逆に,演習・実習では,うまくいった状況を提示することで,課題クリア(成功)とともに成績に加点(正解)となります.このケースでは,成功*5が,正解に先立っている点に注意してください.

*1:「つくる」は,「作る」「創る」「造る」のいずれでもいいよう,ひらがなにしています.

*2:「モノ」を「自分自身」ととらえて,恋愛や結婚などの男女関係をイメージするのも,一つの手です.

*3:研究で言うと,文献調査は,研究の取りかかりの段階でも,取りまとめの段階でも,行うべきなのです.

*4:人だってそうです.よくしゃべる人は「おしゃべりで,信用ならん」,無口な人は「何を考えているか,分からん」と,ネガティブ表現はどんな人にもつけられるのです.

*5:プログラムを作って解くタイプのプログラミング演習で,可否を判定するのは,最終的には成績評価の教員ですが,途中段階ではそのプログラムの実行環境,すなわち,人ではなくコンピュータ(機械)となります.