新書を読んで、レポートを書け
山田昌弘中央大教授の体験談(注・同誌)も息をのむ。山田教授の知人(大学教授)が学生に学術本を読ませるのは難しいだろうと思い「新書を読んで、レポートを書け」と指示した時のことだ。学生から「新書って何ですか?新しい本ですか?」と聞き返されたという。
http://www.janjannews.jp/archives/2860252.html
学生の知的水準(知的レベル)の低下を嘆く例として書かれていますが,「新書を読んで、レポートを書け」という指示が間違っています.
新書とはこんな本で,どこに行けば手に入るか*1を,授業中に示すべきです.
「知っていて当たり前」「講義で言うまでもないこと」という意識は,失敗のもとです.想定外の事態,それこそ新しい本(≠新書)をもとにレポートを書いて提出してきたら,相応に受け入れるのが,レポートを出した教員の責任です.
大学教授が驚いた,40人のレポート内容がほぼ同じという怪奇現象
先日,ある有名大学の教授と飲んでいたら,面白い話をしてくれました.
彼の授業で,40人の生徒に対してレポートの宿題を出したときの話です.(略)
ところが,レポートを添削し始めるや否や,彼の怒りは頂点に達しました.
なんと,40人が書いたレポートの内容がほぼ同じだったのです.それどころか,全く同じ文言が使用され,文章の配列順もほとんど同じだったそうです.
(略)
知らない学生同士がどうして同じレポートを書けるのか疑問に思っていた彼でしたが,事情聴取しているうちに,そのカラクリに気づきました.
40人全員が,パソコンのインターネットで各自レポートのテーマを検索したのです.図書館に行ったり,古本屋に行ったりと,ネット以外の情報ツールを使ってレポートを書いた学生は皆無でした.
しかも,インターネット上に掲載されている,そのテーマに関連する情報を隈なく調べた学生はおらず,全員がパソコンの検索で出てきた上位5つ程度の検索結果を,そのままコピペ(略)したそうです.
首謀者がいたわけでもなく,誰かのノートが出回ったわけでもなく,ひとりひとりが独立してレポートを仕上げたところ,あくまで結果として,全員がほぼ同じレポートになってしまったというわけです.
(近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書), pp.164-165)
これこれこんな課題を学生に渡したら,学生はどんな行動をするか(≠学生にどんな行動をしてほしいか)についての検討,あるいは配慮,あるいはデザインが不足していたのが,根本的な原因でしょう.
レポートを読んで,「怒り」という形ではあれ心を揺さぶられたり,事情聴取をして学生のレポートの取りまとめ方を理解できたりして,よかったじゃないですか.この件も,学生には罪はありません.
hindsightとは?
前々から,「学生の突拍子な行動を,大学教員の目線で語ること」には強い違和感を抱いていて,エントリにすることもありました*2.
今週見かけたWebページと書籍の事例から,そういった事例を積極的に集めることを決意しました.
そういうのが分かる,カテゴリとして,「hindsight」という単語を使用することにします.「後知恵」です*3.“Hindsight is 20/20.”というのは,「未来や相手の人柄などを予測するのは難しいが、ひとたび事が起きた後では誰でもそれについて明確なイメージを持てる」という意味合いのことわざで,要は「後悔先に立たず」「後の祭り」です*4.
「レポートその他を課して,学生の行動に対してときには怒り,ときには呆れる教員」だけでなく,「ときには怒り,ときには呆れる教員の事例を見つけてこうすればいいんじゃないかと提案する私自身」にも,このhindsightという言葉が適用されなければなりませんね.