わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

作文技術のWhyとHow

私の記憶で,文章を書くのにもっとも神経をつかったのは,論文ではなく,論文の改訂版提出時にeditorにあてて書く手紙文でもなく,D3の3月に,出張帰りの先生方に対して,近況報告をするメールでした.翌月掲載の論文の校正を行ったことを書きました.あと何項目かあったはずですが,それらはもう頭から出てきません.空行を入れて30行ほどの本文に,半日かけました.
その後の自分のスタイルとして,コミュニケーションに関しては,話す・聞くよりも,読む・書くを重視しています.理由がいくつかあって,一つは話す・聞くのやりとりは,その情報があいまいになりがちです.また,やりとりをあとで考え直すのも難しいものです.読む・書くの場合,文字が残ります.なのでその情報交換を読み直し,そこから学ぶことも,また第三者に見てもらうことも可能となります*1.話したことを,音声情報として保存するのでは,いろいろ不十分です.検索が容易ではありませんし,複数の「発言」を同時的に見直すのも厄介です.またテキストデータに比べて,音声情報を保存するためのサイズが大きくなります.
だいぶ前に購入した書籍を,最近,帰りのバスの中で開き,あ,これが作文技術のWhyとHowじゃないか,と感銘を受けた記述がありました.

大局的に見るなら,作文技術は必要かつ供給不足なんだ.
(略)
君も大量の文章を書くことになる.文章を書くことが仕事の一部になるとすれば,もっと作文技術を磨いたほうがいい.君に対する認識を左右する要因として文章力の比重はますます大きくなるはずだ.たとえプログラマとして優秀であっても,自分自身を言葉で表現できなければ,グローバルに分散したチームではあまり有能な人材とは見なされない.
文章力があれば,君に対する表面的な認識が向上すると同時に,君の考え方もよく理解されるようになる.母国語で自分の考えを他人にわかりやすく組み立てられないのに,どうしてプログラミング言語ならできるって言える? アイデアを形にして読み手を思考プロセスに巻き込んで論理的な結論に導く能力は,将来の保守担当者に理解できるように明快な設計とシステム実装を生み出す能力とそれほど違わない.
(情熱プログラマー ソフトウェア開発者の幸せな生き方, p.117)

今すぐ始めよう!
1. 開発日誌をつけ始めよう.何に取り組んだのかの説明,設計上の決定についての理由,難しい技術的/専門的な決定の詳細を毎日少しずつ書く.たとえ君自身が主な(または唯一の)読み手であっても,文章の質と自分自身を明確に表現できているかという点に気を配ろう.時には前に書いたものを読み返し,批判的な目で分析しよう.その反省に立って,次にどのように書けばよいかを考える.日誌を利用することで,文章力も向上し,自分が下した決定に対する理解も深まる.また,前にやったことの理由と方法を確認する必要があるときにも日誌が役に立つ.
(p.118)

前者の引用から,JABEEに基づく技術者教育に携わっている者としては,エンジニアリングデザイン能力の構成要素として,コミュニケーション能力が含まれていることの理由付けになっていると理解しました.
ところでこの箇所だけを読むと,「作文技術 = 情報発信技術」と誤解されかねないようにも思えます.送ってしまえばおしまいの発想です.
実際にはビジネスであれ,大学教育であれ,双方向の情報交換が期待されており,例えば学生が書いた論文の原稿を教員が赤入れするように,アイデアを形にするプロセスの中で,他の人の目を経てアドバイスをもとに修正し,洗練させていくのが,理想的な流れと言えるでしょう.
後者の引用については,一つの(もちろん実装上は複数のファイルからなる)システム構築に主眼を置いた提案に見えますが,そういった実装を日常的にしているわけではない学生に対して私は,「インストール記録」「コマンド実行の記録」をつけることから始めてほしいと思っています.それぞれ,作業や実行したコマンドだけでなく,なぜそれをするのかや,複数あり得る選択肢のうちなぜそれを選んだのかを,日本語で添えておきます.ある方法である程度進めたけど,結局最後まで行き着かなかったことも,記録に残しておきたいものです.
そうして考え直してみると,研究室で具体的・実践的なコミュニケーション能力(の向上)のための指導をしていないことが,浮かび上がってきました.発表時の語句レベルのミスは,好んで指摘していますし,当日記ではよく,学生との対話を,文字に書き起こしてリリースしています*2.しかしそれらは個別事例であり,コミュニケーション能力(の向上)に直結するものになっていないのです.
十分にノウハウはあるはずなので,体系的な指導方法を,考えてみますか.そういえば,昨年度実施した「とはゼミ」は,コミュニケーション能力向上を強く意識したものだったはずなのに,結局,各回完結のようになってしまいました….

昔書いたこと:

*1:話した・聞いた内容を第三者に伝える際,例えばメールとして「文字にする手間」もさることながら,文字にする段階で,書く人の主観が入り込み,経緯が適切に伝わるのかという問題が考えられます.

*2:「プレゼン コメント」と題する記事の多くが該当します.なお,カギ括弧による対話が大部分を占める,学生と先生との会話のようなものは,そのほとんどがフィクションです.