わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

takehikomがtakehikomであるための雑記

(dj TAKA / SOUND)
オレがオレであるための曲。
もちろん音楽は聴く人のためのモノだし、どう感じるかは聴く人それぞれの自由だけど、誰に何て言われようとオレはオレなんだ、を貫けた曲。

ranbow flyer

「オレがオレである」で連想するものといえば,「僕が僕らしくあるために」.

YuyTubeで,2曲を聞き直し…


そして我が身を振り返ることにします.自分らしさをこれまで,どのように表してきたでしょうか.ゼミの発言は,すぐに消えてしまいます.学術発表は,数が知れています.毎日1件,創意工夫を追求してきた,当雑記から,いくつか取り出してみました.

ファンタジーの法則

日記1年目に書いたの中で,今でもときどき見直すエントリです.
これが,問題解決の枠組みの基本形です.図の形状から,「コの字則」と呼んでいます.たぶん今期の授業の余談でも取り上げます.
この適用例として,小学校の文章題,プログラミングを挙げていましたが,もちろん,研究にも活用できます.ゴールだけが与えられ,「コの字」のプロセスを構成する必要があります.一つの大きなコの字よりも,細分化したほうが,学生と自分に課題を割り振りしやすく,良い結果が出ているのも,よく目にしています.学生の発表で,しっくりこないところがあれば,「こちらの世界」から「別世界」に持っていく作業のところで,不自然さがないか,重点的にチェックします.
数学でもプログラミングでも,のめり込んでしまうと,別世界を深く探求したくなることがよくあります.今の私にとっては,NTEmacsで活用するためのEmacs Lispです.
しかし,利用したり充実したりできる「別世界」を見ているだけでは,問題解決,そして関係者の納得には至りません.「こちらの世界」の問題・解答を軸として,コの字は任意の角度に動かすことができる---ひとつの問題に,答え方はいくらでもある---ことを,忘れるわけにはいきません.

ゼミ発表のプロトコル

研究室のライフハックについても,大小*1さまざまなエントリを創ってきました.その中で1点,取り出すなら,「ゼミ発表のプロトコル」です.
前者には「妄想は妄想」と書きましたが,機会を見つけて実施したのでした.同様に妄想として文章化し,その後に実施した事例として,とはゼミ4年ゼミ(前期ゼミ),C復習学習案(Cプログラミング演習,2009年度からはCプログラミング基礎演習)があります.
ゼミ発表のプロトコルは,「発想支援」と「時間的空間的な対象の表現」という2つの学術要素が背景にあります.発想支援については,その学術的な意味での中核に向かっているわけではありませんが,これをキーワードとして国際会議や英語論文誌で発表する機会を得ました*2.時間的空間的…というのは,じんもんこんや人文科学とコンピュータ研究会(CH; 情報処理学会)でよく中心的課題となっているものです.

100個,10年

日記としては4年ちょっと.日数にすると1,500日少々.しかしその間,あれこれ考え,エントリとして起こしました.
ここで挙げた2件,いずれも秘話があります.俺流Hack百選については,ふと思いついて,プログラムコードを主としない計算機活用エントリでMyBestができるな,さて何個だろ,50はあるけど100はないよなとチェックしていくと,実は100を超えていました.
研究室活動については,2000年4月に助教授として着任され,5か月で大学から離れざるを得なくなった方を頭に浮かべつつ,近況報告の形で文章にしたのでした.
もう少々経って,私が教官室をもらえるようになったとき,空室がそこだけだからという理由で,その先生の部屋になりました.青のソファベッド,照明などの電源を入れるためのカードキー代わりの猫のテレホンカードは,今も使わせてもらっています.
200番目の俺流Hack,10年後の研究室そして和大は,どうなっているでしょうか.

パパ

自分がパパと呼ばれたのは,学生時代,ドクターコース2年のころでした.結婚なんて,先のまた先です.「パパ,車買って〜」が最初だったかなと思います*3.ほどなく,仲間内ではパパという呼称が浸透し,また自らパパと称するようにもなりました.結婚したら「リアル・パパになるんやね」とからかわれました.子宝に恵まれたのは,そういう友人つきあいからだいぶ離れた,結婚5年後のことでした.
親馬鹿エントリを数多く作りながら,娘の生態,パパ・ママの心理を文字に残すよう,努めてきました.言ってみれば行動報告です.

では,小学2年生に分かるような,説明を試みてみますか…
紙に「5×3」と書いて,3人の子どもたちにこう言います.
「ここから離れたところに,林檎がたくさんあります.一人5個ずつあげます.3人いるから…5×3で,15個あればいいですね.今から持って来ますね」
そして15個の林檎を持ってきて,3人の子どもに3個ずつ配ります.
もちろん子どもたちは困るか怒るでしょう.そのときに言います.
「林檎が15個あります.5人いますね.君たちと,パパとママです.一人3個ずつあげます.パパとママも,3個ずつもらいます.5×3で,15個あればいいですね」
そうすると子どもたちはみな怒ります.それで解説します.
「分かった分かった.(パパとママのを渡して)5個ずつあげます.でもね,今のはみんながちゃんと聞いていたから,一人5個ずつ,3人で5×3=15が正しいんだけど,世の中にはね,はじめたくさんもらえると言って,後でもらえるのはほんのちょっぴりだとか,それどころか,みんなが持っているものを差し出すことになる,そんなことをしてくる人がいるんだよ.そういうのに,だまされないようにするには,数(かず)が出てきたら,その一つ一つが何を表しているのか,そしてそれを組み合わせれば,どんな数(かず)になるのかを,理解していってほしいんだ.“15個あればいい”じゃあないんだよね」

15こあればいい,じゃあないんだよね

さてこの引用.まだ日数が経っておらず,私も完全に「どちらでもいい派」に移る可能性もあるとはいえ,そういう賛否と別に,ここに提示できることがあります.3人の子どもは,2歳になったばかりの娘と,来年,世に出てくる双子のことを想定して書いたのでした.
そういう意味で親馬鹿カテゴリの一つなのですが,近い未来のことを具体的にイメージし,文字にした最初のエントリとして,残ることになります.もちろん,パパママ3人の子どもが,大病も事故もなく,上のような会話が必要になるかもしれない,あるいはそんなのをとうに過ぎてしまったとなるような状況まで,日々を送れるようにする責務が,自分にはあります.
長女がこの問題に面するかもしれないのは,5〜6年後です.しかし現時点の聡明さのままでいくと,「5×3=15と書いても,3×5=15と書いても,よさそうだけど,バツにされないのは,3×5=15のほうよね」と,瞬間的に比較して,1個の答えをさらさらと書くのではないかと思ったりします.世の中の厳しさを本当に伝えないといけない*4のは,長女ほど胎教ができず,産まれてからもぬくぬくというよりはばたばたとした生態を可愛がられるであろう,まだ見ぬ下の子たちのように思えます.

しまった!

さて11月23日という1日が始まります.妻にまつわるエントリを見つける時間が,とれませんでした.
妻に対しては,日記でストレートに感謝の言葉を書くよりも,日々のしんどいことを肩代わりすることに時間をとるようにして,朝晩,計算機の前で“仕事をしている”当方からの感謝の気持ちとしたいと思います.

*1:記述量だけでなく,反響=はてブについても.

*2:研究室の人へ:「思考展開図のことですか?」と思うかもしれません.確かにそれは含まれますが,2000年と2002年の国際会議でも,3Dコンテンツ制作支援のためのデータベースについて,発表しているのでした.

*3:後にとある大学祭でのテレビゲームの中で,通常は「スリー,ツー,ワン,ふぁいやー」というかけ声のところを,冗談で「パパ〜,パパ〜,パパ〜,車買って〜」と発し,事情を知っている人を抱腹絶倒にさせたこともあります.

*4:親が言うことで,本当に伝えられるのだろうか? 思い出すのは小学生のころで,手八の場八で花札をすることがあったのですが,母が勝ったら「勝負の世界は厳しいんやで」と言っていたものでした.そこから「厳然としたルールのもとで遊べば,楽しい」という教訓を,今,引き出してみました.