わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

先生の答えになってないよ

本日,学科の卒業論文発表会です.どうでもいいことですが今年度はどの学科も,「卒業研究発表会」ではなく「卒業論文発表会」と称するようです.
修士論文発表会は,先週行われました.学科単位ではなく,クラスタ単位となります.
それでそのときの最後の発表者に対して,私が最初の質問者となり,質疑5分に対して1分以上とるのは申し訳ないなあと思いつつも研究の詳細を聞かせてもらって,分かりましたと言った直後に,他の先生が
「君,今のはtakehikom先生の答えになってないよ」
とおっしゃったのには,びっくりさせられました.のど飴を口に入れていたら,吹き出していたかもしれません.
あとで考え直してみると,私にはどうも

  • 自分の思っていることが100%,学生に伝わるとは限らないし,逆も然り

という意識が根底にあって*1,そこから

  • 質問に対する直接の答えをもらえなくても,質問をヒントとして,研究活動についての知見を得られればいい

というスタンスで*2,発言をしているのかな,と思うに至りました.
アメリカ式,イギリス式の分類とも,違うようで….
さて本日なのですが,自分の研究室の学生発表では,もちろん質疑を含めて,口を出さないようにしないといけません.その一方で,時間管理を含む座長の仕事は,発表学生の指導教員の責務となっています.昨日のどたばたで体調が優れているとは言えませんが,卒業研究のお披露目の舞台,サポーターとしてベストを尽くすとします.

*1:『世の中の問題に対して「本質」は,解こうとする人それぞれだというのも,よくあることです.私なりに思う,この問題の本質は,あるセッティングと限られたスペースの中でどうやって,正解と認めてもらえる答案を書けばよいかということになります.強調しておきますが,この考え方は,算数とか授業とかいうよりも,研究者として論文を書いているときにしょっちゅう発生する,問題意識なのです.』, 余談で話す

*2:『先生の発言を,自分の土俵に持ち込むことができます.答えにくい質問やコメントも,それを自分の言葉に,そして自分の解ける範囲の課題に変換するのです』, ゼミ発表心得・2009年度後期の一発目