わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

はじめに

一連のエントリを中心として,読む気を減らす表現を取り出してみました.いくつかは意図的なもので,いくつかは結果的にそうなったというものです.

ではどうぞ

もちろん,「と表すことができる」であって「と表さなければならない」ではないのだから,逆の書き方だっていいじゃないかと言うことは可能です.そう主張する人は,それで統一すればいいんじゃないでしょうか.私は,結論は同じでも見せ方次第で分かりやすくも分かりにくくもなり,分かりやすくする手段の一つが「標準的なものを採用すること」だと,プレゼン指導を通じて強く感じているので,

0×3と3×0は違う

いきなりですが問題です.

大人の世界で,「×」を使ったかけ算で書いている例を見つけましょう.

科研申請の乗算

ここから,かけ算の順序に意味がないと主張する人々にとっては,「左が一つ分の大きさ,右がその何倍という式の立て方は,大人の世界では通用しないんだよ」と言いたくなるでしょう.片や,かけ算の順序に意味を持たせるべきと主張する人々にとっては,「かけ算の順序が必要なまさにその例になっているじゃないか」となります.

科研申請の乗算

屁理屈ですか? バツではないという理由として,交換法則を持ち出したり*2,「でもね,お皿の5枚に1個ずつ,林檎を乗せるのを『1つ分の大きさ』として,それを3回したら『いくつ分』が3になって,5×3って書けるよ」と児童が反論したりすることのほうが,よっぽど屁理屈でしょう.
*2:(略)交換法則は,九九の表という,単位のない世界で見出してほしいものです.実際そのような発見は,学習指導要領解説の内容にも合致しています.林檎だとかお皿だとかを用意して状況を与え,式を立てるという段階においては,必要ありません.

15こあればいい,じゃあないんだよね

さらに,関数t:A→Mを作ることができます.「しき」から見たマルかバツであり,学校の先生が実施したマルバツ作業に対応します.実際のところ
t("3×5=15")=1,
t("5×3=15")=0,
t(それ以外)=0
ですね.公平のため,cも正解だと主張する人々は,
t("3×5=15")=1,
t("5×3=15")=1,
t(それ以外)=0
であることを,忘れるわけにはいきません.

分かりやすく抽象的に・2010年11月バージョン

一連のエントリを読むのが面倒くさい,長すぎて何を主張したいのか分からないというご来訪者様のために,いくつか図を用意しました.

正解・不正解の線引き

しかし今,ここで文字にしてみると,昔からも,児童が,別のところでcを知ってかつ,学校でこのいわば引っかけ問題を見たときに,「5×3=15でも理由は説明できるけれど,マルバツをつける先生には伝わらないのでこっち」と考えて,bに基づく「3×5=15」を解答したというのが,あったのかもしれません.aはcより上位にあるので,aの考え方をする子はcの考え方をする子よりももっと少ない(レアケースだ),という推測も一応できますが,むしろ,aのレベルまで配慮のできる子は,cを学ぶか思いつくかしてそこで思考停止する子よりも多いのではないかと考えます.

正解・不正解の線引き

可能な限りの情報収集,また自分なりの考察を経て,もとの問題で
「ねえ,お皿に1個ずつ乗せるのが3回だから,5×3=15って書いたんだけど,これってバツなの?」
と言う子どもに,アドバイスができるようになったと思っています.基本路線は,cで解いてもdと同一視される,cからaに移りなさい,です.あくまで基本路線であって,実際にはその子どもと対話しながら言葉を選びます.教えちゃるぞと意気込んだ側が,学ぶことだってあるでしょう.そうそう,「バツ」なのであって「ダメ」ではないのだというのは,教育の観点でも算数・数学の観点でも,大事なことですね.

子どもとの対話,大人との対話

その中には,「cで解いてもdと同一視される」という事実や,aの考え方を知覚することなく,なんでbにこだわるんだ,cもあるじゃないかと,壊れたスピーカーのように叫ぶ大人もいます.
そういう大人に対して,一連のエントリを見せても,おそらく意思が変わることはないでしょう.いやむしろ,スピーカーの音量はますます上がりそうです.とりまとめて体系化しようとするアプローチをとらず,議論・対話を装ってコメント欄をいたずらに長くします.実際にはスピーカーではなく人間なのですが,対話を打ち切ると,最後のコメントが勝ち誇ったかのように残ります.

子どもとの対話,大人との対話

脱線して,例の問いから交換法則にこだわっている人のために書いておきますと,私自身は小中高大のいずれにおいても,積の可換性を教えてはいけないという立場ではありません.例の問いは,そういう交換法則を知っていて式を立てるのでは,典型的な間違え方に基づく式と一致するので,×にされたんだよという事例です.あと,トランプ配りをベースとした乗算式の立て方は,「1つ分の大きさ」×「いくつ分」=「全体の大きさ」を学ばせた直後に教えるのは混乱を招くことが想像でき,教育上適切とは思えず,あれは除算の中で(または前段として)説明するのがよいと考えます.

多次元配列の要素数・再考

まとめです.この問いに対して,正解とすべきだとする主張の何割かが,「かけ算には交換法則がある」というのを根拠にしています.積の可換性とか可換律とも言います.算数・数学の重要な性質ですが,この問題は,交換法則を一切考えずに議論できます.青丸のいわゆるトランプ配りも,交換法則に由来していないのです.「5×3と3×5は一緒じゃないか」という見方は,表面的な見方でしかありません.「本質」をつかみましょう.
と言いたいのですが,世の中の問題に対して「本質」は,解こうとする人それぞれだというのも,よくあることです.私なりに思う,この問題の本質は,あるセッティングと限られたスペースの中でどうやって,正解と認めてもらえる答案を書けばよいかということになります.強調しておきますが,この考え方は,算数とか授業とかいうよりも,研究者として論文を書いているときにしょっちゅう発生する,問題意識なのです.

余談で話す

「3個/(個/匹)×2個/匹」は「1匹あたり1個“何か”*2を持つとしてそれが3個ある状態を1あたり量として,1匹につき2個“何か”があるなら,全体で何個“何か”があるか」
*2:1匹あたり1個だけ耳を持つ生物というのは想像しにくいので,“何か”に置き換えました.

時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり

*5:「思いついた,一つのことしか考えられない子」「自分なりに強い信念・根拠を持ち,一つにこだわる子」「さまざまに考え,一つを選んでいる子」は,少々対話をすれば分かります.

時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり

上から目線で,対策を書きます.なるほどそれは分かりやすいという例を,用意することです.

時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり

何を「正解」とするかは,設問文や,何を答えさせる(答えとして表出してもらう)か,それまでどんなことを学んできたかによって,異なります.11月以来,「しき」をマルバツの対象としていなければ,私自身,あんなにエントリを作っていないのです.ある時点からの私の焦点は,「正解を唯一にする」ことではなく「正解になり得る複数の解答案から一つに絞り込む」ことに当てていると言ってもいいでしょう.

唯一の「正解」を求める時代は終わった?

なお,「式には常に単位を書く」という分類は,設けないことにしました.途中の式計算では,単位を落とすことが自然に思えるからです.どうしても「式には常に単位を書く」という人がいれば,我々はおとなですので,微分積分,行列やベクトルを使った問題解決の中でも一つひとつやっちゃってくださいと言うしかないかなと思います.

式に単位を書かせるべきか2

単位量当たりの値と,単位量当たりでない値との単位変換が必要になるのも,気になります.同語反復のような問いですが,「時速60kmの車は,1時間に何km進むでしょうか」という問題を考えます.単位を強調して書き直すと,「60(km/時間)の車は,1(時間)に何(km)進むでしょうか」です.《厳密派》なら,「60km/時間×1時間=60km」として求めることが要請されます.例の問いも,「3こ」という単位付きの数量から「3こ/まい」を求めることとし,「3こ÷1まい×5まい=15こ」とする必要があるのでしょうか.

式に単位を書かせるべきか2

3. 30こ/ふくろ×5ふくろ=150こ.「/」を使わないなら,30こ+30こ+30こ+30こ+30こ=15こ.トランプ配りの足し算で式を書きたくない.

式に単位を書かせるべきか3

角度の解答で書いたとおり,無単位の扱いもややこしいものです.「倍」という単位を導入しましたが,問題文にはありません.式というよりは求め方を児童に書かせたとき,問題文にない単位を用いているのを見て,「創意工夫をしているな」と感じる先生もいれば,「何か複雑なことをしているな」と否定的にとらえる先生も,いるかもしれません.
「倍」も「回」も,英語だとtime(s)です.ここで,例の問い(本日のエントリの最初の設問)が関わってきます.すなわち,『さらが 5まい あります。1さらに りんごが 3こずつ のって います。りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。』をトランプ配りで立式する際,「5個/回×3回=15個」と書けるわけですが,「回」という単位もまた問題文に明記されていないのです.また問題文にある「まい」もしくは「さら」という単位が式に入っていない点も,気になります.

式に単位を書かせるべきか3

特定の問題の正答率のみを例示して「学力・計算力の低下」を言うのは飛躍(今も見られるが)

遠山啓エッセンス,2度読み

なので,yを書いてバツとされた児童が,先生にc11の意図なんだと言っても通じず,それはd21と読めるんですよと先生に言われる,というシナリオが考えられます.先生は別に意地悪をしているわけではなく,yを見てd21やd11を想起するのは,それまでに教えた・児童が学んだ『「1つ分の大きさ」× 「いくつ分」=「全体の大きさ」』と今回の《問い》から推測できるのです*4.
*4:《問い》とyが提示されたときに,c11からd23までのどれを想起するのか,児童・先生・bloggerでアンケートをとってみると,違いが現れるんじゃないかなとも思います.といっても,バイアスのない回答者を用意するのが難しいなあ.

射影

当雑記の読者は,トランプ配りによる《別解》の存在を知っています*2.これは,単位を付けて表すと,例えば「5こ/かい×3かい=15こ」と表せるのですが,問題文では「5まい」とあるのに式では「5こ/かい」とあるのは,どういうことでしょうか?

状況を図にする2

左上から右上まで,すなわち立式は,《題意による正答》と同じで,右上から右下が違います.数に対する乗算の交換法則を適用して,「5×3」を作ります.あとは九九でも,カウントでもいいでしょう.九九ははじめに2の段と5の段から教わると言いますし,カウントするにしても,「いちにいさん,しいごおろく,しちはちきゅう,じゅうじゅういちじゅうに,じゅうさんじゅうしじゅうご」よりは「いちにいさんしいごお,ろくしちはちきゅうじゅう,じゅういちじゅうにじゅうさんじゅうしじゅうご」のほうが,特に10を超えてからミスしにくそうです.

状況を図にする2

長方形の面積に関して,縦と横のどちらを先に書いてもよいらしいことは,式に単位を書かせるべきか(1)で調査済です.とはいえ,学校で例えば「たて×よこ=面積」のみを教わったのなら,それに統一したほうが,処世術としてよさそうだ(5×3=15をバツとされる可能性がある)というのは,指摘しておいたほうがいいですね.

机のかけ算

例文ですが,2回出現しているかけ算の形の式について,左右を交換するわけにはいきません.しかし実体は一つのスレートPCであり,総画素数は回転させても変わることなく1049088ピクセル(またはドット),となります.

机のかけ算

それでも「5×3」をバツとするのは,結局のところ『「1つ分の大きさ」×「いくつ分」=「全体の大きさ」』を適用して式を立て,答えを求める問題だということです.別の言い方をすると,『「1つ分の大きさ」×「いくつ分」=「全体の大きさ」』を重要視する《問い》だったのであり,そういう縛りが緩くなればなるほど,被乗数と乗数を逆にした式を間違いとみなす可能性が低くなる(ただし,ゼロであることは現在の小学校教育において保証されない)と言えそうです.

将棋のマスの数から

《問い》に対して児童が「5×3=15」と書き,バツにされるのは,今も昔も変わりません.

形成的評価について

もちろん,賛成できる箇所を探すのが難しいくらい,内容について肯定するつもりはありませんし,かなりの頻度で感情的な語句が入っているのも読む気が減る*3のですが,まあこれらはお互い様ということで.
*3:けなす言葉遣いよりも,黒木さんの主張をサポートする意見に対する感情表現が,読んでいて恥ずかしいものです.

黒木玄さんに取り上げられていた

それで,これだけ苦労して導けても,実際の問題に適用すると,『でも「5×3=15」って書いただけでは分からないよね』ですからね.《ルール3》を使いたくなくなる気持ちも,どっちでもいいじゃないか(《ルール1》だけでなく《ルール3》も認めろ)と主張したくなる気持ちも,分かります.

「いくつ分」×「1つ分の大きさ」=「全体の大きさ」

それから,先生は「3×5=15 または 5×3=15」と教えることになるのでしょうかね.ドリルも,答えはこう書かれるのでしょうかね.そうすると,児童もそう書くことになります.書くことが増えます.

続・「いくつ分」×「1つ分の大きさ」=「全体の大きさ」

その後,音沙汰なしなのは,私が2日置いて回答したからと思うことにして,この応答を見直しました.
まずはまたまたラベリングです.

ボートが 3そう あります

比べると,bloggerの肩身は狭いものです.言葉の間違いや,おかしなロジックは,コメントで指摘してくれるかもしれません.しかし一つの記事だとか,記事群を公表しているブログにおいて,その一貫性を保持し続けるというのは,なかなか難しいものです*4.故意にせよ過失にせよ,ノイズを入れたら,ノイズだけが取り上げられることも,私自身,経験しました.
*4:もちろん,ブログとして書くことのメリットはあります.書き言葉なのに,感情的な表現が使い放題であることは,真っ先に挙げられると思います.

意識を大きく変えさせられる文書との出会い

例の論争で,マルにすべき根拠としてよく言われているのが,交換法則(可換性,可換律とも)です.それに対する学習なんかいな,まあ教育に関する部局では何考えてんやろと思いながら,目を通しました.第5学年を対象とした指導計画です.

山梨のケース,新潟のケース

「じゃあ,件の問いに,式として5×3=15と書くのを,肯定するってわけ?」
  「そうだね.そいで,先生がそんな答案にバツをつけるのも,肯定するってわけで」

「現状肯定」談義

補足:「先生」と,単数形で書いていますが,実のところそのようにマルバツをつける先生単体を糾弾しても,糾弾する側の自己満足にしかなりません.算数教育の専門家集団に対して,説得力のある理由と,対案となる学習方法を提示し,検討や実践を経て,変えていく必要があります.コストに見合う結果が得られるかは分かりませんが.

「現状肯定」談義

4. 「マルにしなければならない.」を選んだ方:じゃあ教育を改革していってはいかがでしょうか.狭量にならないことを,祈念いたします.

4択・解説

*5:主語を書くのを忘れていました.「見直す」の主体は,「どっちで書いてもいいんだよとする態度」をとる人々というよりもむしろ,「どっちで書いてもいいんだよとする態度」に賛意を示す人々がいることを認識している,私を含む,かけ算を巡る論争に関心があるすべての人々を指します.「自戒メソッド」なんて言葉もあるんですね.

4択・解説

もちろん,課題もあります.順序派をベースとする場合,「面白くない」「押しつけ」という危惧があります.むしろ障壁は非順序派のほうが大きく,その指導方法に同意する学校を見つけるのが難関に思えます.同意できる先生が現れ,計画がとんとん拍子に進んでも,学校外の人や人でないところから圧力がかかって,突然中止になる,ということも,避けないといけません.

論争の先には

ノイズです.「立式」「線密度」については,ネタメモに長いこと入っていたのですが,(略).『正しい式の立て方がひとつに決まっている』については気のせいでしょうし,それを打破したいのなら,すでに採点Q&Aの後半に,方針・事例を挙げています.出題の是非については,「2m34cm」といった単位付きの立式や加減算が,2年生の算数の学習において妥当なのか気になるので保留.問題文から何を読み取って式にすればいいかについては,分水嶺,何か複雑なことをしているな,壊れたスピーカーを連想しました.ノイズ終わり.

立式,線密度

ノイズとして,「2.5メートルで20kgの鉄パイプは,1メートルで何kgになるか」を,単位付きで式にすると,20kg÷2.5m×1m=8kgとなり,答えは「8kg」が自然です.変なものが入っているので取り除こうとすると,20kg÷2.5m=8kg/mとなり,答えに「1メートルで8kg」と書くことが許されるかどうかは,単位付きの式をどこまで認めるかによります.ノイズ終わり.

立式,線密度

基礎になるところはすみませんが軽く目を通しただけとし,

式に単位を書かせるべきか4

立式と根拠を結ぶ線が細かったり太かったりしますが,太い線は,その組み合わせになる可能性が高いことを示します.別の言い方をすると,この問題文に対して,「5×3=15」を書いた児童の中で,「5と3を取り出してかけ算」した可能性が最も高く,トランプ配りは非常に低い*2となります.証明はできていませんので,個人的にいろいろな情報を見てきた経験に基づく「仮説」とお考えください.
*2:「無視できる」でも,「無視できない」でも,お好きなのをどうぞ.

状況を図にする3

*3:12こ÷3こ=4で,単位は? 問題文から見つけてきたらいい?

サンドイッチ

それで終わったら苦労はしませんで,実は「単位」に注意しながら読んでいると,あれっと思う記述があるのです.

1993年の「かけ算とわり算」指導法

おわりに

私が書くことのできる毒気というのは,こんなくらいです.
今後とも,毒は適当にやり過ごしながら,ご愛読のほどよろしくお願いします.