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新しく得た情報をどのように判断し,公表するのかについて

巻末の参考資料リストに『かけ算には順序があるのか』が入っていました.あの本は第1刷で「時速1kmあたりで3km歩く道のり(1あたり量)の時速4km分(いくら分)」と書かれ,第3刷で「時速1kmあたりで3km歩く時間(1あたり量)の時速4km分(いくら分)」に変わっていたのでした.新しく得た情報をどのように判断し,公表するのかについて,これからも注意を払っていくとします.

江戸しぐさ批判本が掛け算の前後にこだわる

上記の件,時系列をまとめておきます.
初出は2010年12月24日付のブログ記事です*1.念のため補足すると,この作者は,『かけ算には順序があるのか』の作者です.

速さ×時間で、時間の方を1あたり量、速さの方をいくら分と解釈することは不可能に思えます。ところが、これが、できることを示されたのが積分定数さんで、文科省国立教育政策研究所の担当者と電話で、かけ算ではどちらの数値も1あたり量とすることができる、というやりとりをしたときに、担当者が、時速4kmで3時間歩くときは1あたり量の数値は時速4kmの4になる、と言ったことに対し、3km/(km/時)×4km/時 と考えれば、3も1あたり量の数値となる、としたのでした。
3km/(km/時)×4km/時
は、「時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり」と解釈できるわけで、秀逸な発想、秀逸な単位の表記法だと思います。

量のかけ算でも交換法則は成り立つのか(3の3) | メタメタの日

見かけて,こちらで記事にしました.

誤記と思われますが「時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり」は「時速1kmで3km歩く時間の時速4km分の道のり」のことでしょう.しかしそうしたとしても,この意味を理解するのは容易ではありません.
自分なりに,表現を考えてみました.結論としては,「3km/(km/時)×4km/時」を「時速1kmで3km歩いてかかる時間を1あたり量として,その時間に時速4kmで歩いたらどれだけ歩けるか」と解釈すればよさそうです.

時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり

『かけ算には順序があるのか』が本になってからは,当ブログで次のとおり,取り上げてきました.

それと,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101229/1293569316の件,ブログでは『時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり』(量のかけ算でも交換法則は成り立つのか(3の3) | メタメタの日)なのに対し,p.43では『時速1kmあたりで3km歩く道のり(1あたり量)の時速4km分(いくら分)』です.3km/(km/時)=3時すなわち3時間を1あたり量と見なして被乗数に書いたとこちらは推測したのですが,著者見解は依然として,3km/(km/時)×4km/時の1あたり量は「道のり」のようです.

『かけ算には順序があるのか』を読んだ

先日,書店で見かけた『かけ算には順序があるのか』は,第3刷になっていました.「2011年5月26日 第1刷発行」「2011年8月10日 第3刷発行」です.
第1刷と第3刷を読み比べたところ,とりあえず2つ,違いがあることがわかりました.

  • p.43
    • 第1刷:という式を,「時速1kmあたりで3km歩く道のり(1あたり量)の時速4km分(いくら分)」と解釈するのです.目からうろこの発想で,秀逸な単位の表記法だと思います.
    • 第3刷:という式を,「時速1kmあたりで3km歩く時間(1あたり量)の時速4km分(いくら分)」と解釈するのです.目からうろこの発想で,秀逸な単位の表記法だと思います.
先達に学ぶ,移り変わりを知る

他のブログでも指摘がありました.Googleの検索で容易に見つかるのは,『かけ算には順序があるのか』の作者と親交のある方の記事です.

 積分定数さんは、文科省国立教育政策研究所の担当者と電話で話したときに、先方が「時速4kmで3時間歩くときは1あたり量の数値は時速4kmの4になる」と言ったのに対し、「3km/(km/時)×4km/時」と考えれば、3も1あたりの量の数値となる、と切り返したらしいのです。
 この単位&式について、高橋誠さんは「時速1kmあたりで3km歩く道のりの、時速4km分」という解釈だと説明していますが、私は、「時速1kmあたりで3km歩く“時間” の、時速4km分」の間違いではないのかな?と疑問に思いました。*2

高橋誠『かけ算には順序があるのか』(岩波書店)を読んで考えたこと | TETRA'S MATH

 なお、『かけ算には順序があるのか』の初版では「「時速1kmあたりで3km歩く道のりの、時速4km分」という解釈が示されていましたが、やはりこれは勘違いだったらしく、その後の版では訂正されているようです。つまり、「時速1kmあたりで3km歩く“時間”の、時速4km分」ということになろうかと思います。

「比的率」とは外延量という考え方(15)/これから考えたいこと | TETRA'S MATH

当ブログに戻って,「新しく得た情報をどのように判断し,公表するのかについて」と最初に書いたのは,2012年11月15日付のQ&Aです.

Q: 『かけ算には順序があるのか』の「3km/(km/時)×4km/時」という式って,あれで納得してていいんですか?
A: いろいろ問題があるように感じます.外形的な注意点をいくつか挙げると,「1あたり量×いくら分」以外のかけ算,具体的には倍概念に基づくものには,適用できません.「私は“1あたり”は採用しない」と言われてしまえば,話がそこでおしまいです.あと,Wikipwdiaでも,その種の式や論法が掲載されていません.信頼性・説得力という点で,不十分なのでしょう.
式としてみたとき(いわば内的批判として),「3時間」は1あたり量ではないという前提で,「3km/(km/時)」は量としては「3時間」と等価,だけど量の分類においては1あたり量になるというのは,どういうことなのか,という課題があります.「3km/(km/時)」が,逆内包量や複内包量といった,数学教育協議会で詳細化されていった内包量のいずれにも当てはまらない*3点も,気になります.
ところで,著者ブログではこの式の解釈を「時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり」としています.『かけ算には順序があるのか』の第1刷では「時速1kmあたりで3km歩く道のり(1あたり量)の時速4km分(いくら分)」,第3刷では「時速1kmあたりで3km歩く時間(1あたり量)の時速4km分(いくら分)」となっています.控えめに言っても,新しく得た情報をどのように判断し,公表するのかについて,注意が必要であることを示しているように思います.

上記は,長大なQ&Aを細分化した,次の記事にも載せています.


ここまで書いてきた,『かけ算には順序があるのか』で道のりが時間に書き換えられた件も,『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)』のp.197,7行ほどの「掛け算」の記述も,それぞれの本の主旨から見ると,重要性はさほど高くありません.
しかしそういったところから,著者の心情を伺い知ることもできます.
道のり(より正確には,「3km/(km/時)×4km/時」の式)では,「秀逸」という表現とともに,信頼している人の言説にパクついた格好となっています.そこには,過去の蓄積との照合も,教育現場や将来への展望も,想像することはできません.
また『江戸しぐさの正体』における掛け算の記述について,ざっと気になった点をhttp://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140901/1409475524に書きましたが,その直前(p.196),「カタカナ表記に統一する方針に向かっている」について,文部科学省と国語審議会を並べるのは時系列的に不適切という指摘(広まってしまったインチキ江戸『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』 - 火薬と鋼)を見かけました.
研究者にとって,定量評価をより良く見せたいといった誘惑と似たものを,定量的な記述を伴わない2冊の本を通じて,確認することができたのでした.*4


ところで,「カップリングを考える腐女子の如く」については,wikipedia:×を連想しました.雑種の学名表記も「雄×雌」だったりするとのこと.それと歌詞の「×2」も,言われてみればの思いです.
それと,「問題文通りの順番に数字を並べなければバツ」と「逆順に並べないとバツ」の両方を出題し,子どもたちの正解率を比較しているものは,把握している限り2件あります.1件は1950年代,もう1件は数年前です.いずれも「逆順に並べないとバツ」のほうが正解率が低く,そこから,どのようにかけ算の指導をしていけばよいかを提案・考察しています.

問題1 おかあさんが,びわをおぼんにのせて,ぼくたち7人に下さいました。1人が6つずつたべたら,ちょうどなくなりました。はじめに,びわはいくつあったのでしょう。
問題2 はこづめのいちごがならべてあります。1つのはこには5こずつ,4れつにはいっています。いちごのかずはどれだけでしょう。
以上の問題を三年生の42名に回答させた。問題(2)では,ほとんどの子どもが5×4=20と正しく式に表現し,被乗数と乗数とを反対にして4×5=20としたものは,僅かに2名であった。問題(2)に対して問題(1)では,6×7=42としたものが22名で7×6=42と被乗数と乗数とを逆に書いたものは18名の多きに達した。(略)
(『児童心理選書〈第8巻〉算数科の教育心理 (1957年)』; 転載元

(略)
金田ですが,調査で使用された設問と,正答率の棒グラフから,次のことが読み取れます.

  • 「1はこに 4こずつ ケーキを 入れていきます 6はこでは なんこに なりますか」に対して,小学2年生も大学生も100%に近い数が「4×6」と書いています.
  • 「おかしの はこが 3つあります 1つの はこには、おかしが 5こずつ はいっています みんなで なんこに なりますか」に対しては,小学2年生の20%弱,そして大学生の60%程度が「3×5」と書いています.
『かけ算には順序があるのか』を読んだ方へのガイド


算数教育を変えるとはどういうことだろうか,また,子どもや子どもたちを定量的に扱わないのはどんなものか,などについて,読んできた本と書いた記事にリンクします.

この2件より,あえて共通点を探るなら,「同業者の批判・批評」でしょうか.
これからも本を読んでいき,教育に何が求められているのか,どんな本や記述が自分にとって心地よいのか,考えていくことにします.

(最終更新:2014-09-09 朝)

*1:引用にあたり,キロメートルの表記を,英字2文字に統一しました.

*2:本日の主旨から離れるので引用を差し控えますが,その後の展開は非常に興味深いです.とくに「比例関係」については,日本語の1ページものなら『算数・数学科重要用語300の基礎知識』p.187に書かれている「関数関係」と重なってきます.

*3:書名を挙げておくと,『量の世界―構造主義的分析 (1975年) (教育文庫〈8〉)』,『遠山啓著作集数学教育論シリーズ 5 量とはなにか 1 (1978年)』,『遠山啓 エッセンス』(1-7巻)には見当たりませんでした.

*4:修正のしやすさはというと,Webページブログはきわめて容易(その分,信頼度は下がりますが)なの対し,ブログのコメントやツイートは困難と言っていいでしょう.書籍は可能なこともあり,学術論文は一般にできないのでErrataを出して対応します.