わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

自分が無知なだけなのに

1. 乗法の意味,長方形の面積の公式

[ a x b = b x a ]なのだから、どうでも良い事。仮に、記載順がどちらかに固定されているとしても、そこに歴史的な意味は有るかもしれないが、そんなものは単なるウンチクで、数学的には無意味。

人力検索に有る、トンデモな質問。 - Darkwood’s Blog

交換法則は,長方形の面積を求めるのに使用するのではなく,長方形の面積についても成り立つのを確認するのに活用されています.
数学と別に,数学教育学が発達してきたこと,そしてそれらの連携に思いをいたすと,「数学的には無意味」とはよく言えたものだなあと感じます.

もしかしたら、受験関連で、このような質問となるのかもしれないが... 。だとしたら、[ 本当は、どっちでも良いが、受験では、こちらが良い ]という話をすべきで、

受験のほか,学力テストまで対象を広げて,「長方形の面積の計算で,縦×横の形の式のみを正解とし,横×縦の形の式を不正解としている出題事例」についての情報収集が不可欠だなあと思っています.私が把握していることを,整理してみます:

  • 昭和61年の教科書で,横の長さを先に,縦の長さを後に書いた文章題で,面積を求めさせる事例を教えていただきました.
  • 一つのクラス,あるいは一つの学校の中で,具体的な出題例があれば,写真ででも出回っていそうなものですが,Web上で見たことがありません.
  • 複数の学校を調査対象とした,学力テスト(自治体学力テストなど)で,そういった出題や解答類型・解説が文書になったというものを,見たこともありません.

「かけ算の順序」論争で出てくる件については,次のとおりです.

  • 今の教科書にも,幾つ分に当たる数量を先に,一つ分の大きさに当たる数量を後に書いた文章題で,一つ分の大きさ×幾つ分の形にして,式を立てることが期待される出題例が見られます.書店で本を探せば,問題集や解説書の中からも知ることができます.
  • 一つのクラスの中と思われる出題そして不正解とされている,写真つきの事例(多くはネット上で批判の対象となっていますが)もあります.
  • 複数の学校で実施した,学力テストの出題や解答類型・解説が,書籍や文書になっています.

それぞれを《長方形の面積》《一つ分×幾つ分》とラベリングしておき,なぜ上記のとおり違いがあるのかについて,書いてみますと:

  • 《一つ分×幾つ分》は,「乗法の意味」について理解しているかを確認するための出題パターンと言えます.ここで「乗法の意味」は,児童がそれまでの学習内容から導くというのではなく,数学や数学教育学の知見に基づく「乗法の意味」があるわけです.それを児童らが理解し,いろいろなシーンで適用・活用できるようにしようという狙いがあります.
  • 《長方形の面積》については,「面積の意味」を理解した上で,計算によって求められるようにすることが,期待されています.その際,「長方形の面積の公式」を与えるのではなく,面積(の単位と測定)の意味,単位正方形の敷き詰めを通じて,個別に(長方形に限らず)面積を算出・概算したり,長方形の面積の公式を導いたりすることとされています.
  • 《一つ分×幾つ分》について,かけられる数とかける数を逆に書くと,式の意味が変わってしまうという形で指摘されます.書く側がその意図(例えばトランプ配り)を説明しても,「乗法の意味」に基づき推論すると,その式だと2本足のタコになるだとか,みかんの個数ではなく人数を求める式になってしまうだとかいったことを,先生またはクラスの他の子が言うわけです.そのようにして,かけられる数とかける数の認識・区別がなされるよう,授業がなされ,それが定着したかを確認するためのテストも行われています*1
  • 《長方形の面積》を,単位正方形の数として計算する場合,アレイ図での計数に帰着することができます.そのような状況での個数を,かけ算の式で表すことは,《一つ分×幾つ分》を学習する2年でも行っています.例えば以下の図については,「3こずつ4つ分」と認識することで3×4,「4こずつ3つ分」と認識することで4×3が,ともに正解とされます.この活動が,(正の整数を対象とした)乗法の交換法則を示すものであるとともに,長方形の面積を表す式が,縦×横であっても横×縦であってもよいとする根拠となります.
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乗法の意味について補足:(1)「かけ算の意味」を学ぶより前に,「まとめて数える」「3口のたし算」といった,乗法の素地となる活動・学習もあります.(2)「学校教育の乗法の意味は累加だが,それでは3×0が説明できない」といった批判も見かけますが,学校教育の乗法指導では,「累加」や「倍」だけでなく「拡張」もキーワードとなっています.そのもとで,第2学年の導入ではこう,そして学年が上がると…と授業が組み立てられています.安易な批判に流されないように,したいものです.(3)「適用・活用」には,「これはかけ算で求められる」という判断を含みます.(4)「乗法(かけ算)の意味」と「式の意味」は,区別して考えます.「倍」と「積」から学んだこと(23.「式の意味」と「乗法の意味」は違うのですか?)で取り上げています.使い分けは,九九する究めるハックするの中で,「式の意味」「乗法の意味」を検索してみてください.
それで,「長方形の面積の計算で,縦×横の形の式のみを正解とし,横×縦の形の式を不正解としている出題事例」がないのはなぜかについて,次のような仮説を立てることができます.
算数を専門とする小学校の先生の間では,長方形の面積計算で「縦×横の形の式のみを正解とし,横×縦の形の式を不正解とする」のは不適切なのが,常識となっています.テストで,縦×横の形の式のみを正解とするような出題や採点をしたり,テスト以前の,長方形の面積の公式を得るような授業で,横×縦ではないよとする指導をしたりしている(算数を専門としない)先生がいれば,それはおかしいと指摘しているのではないでしょうか.もちろん,複数校を対象としたテストでは,問題作成の段階で,その種の出題をしようとは思わないのでしょう.

長方形というスコープを外して,面積の出題例を見ると,全国学力テストの過去問*2が興味深いです.今年度は,三角形の面積を求めるという状況で,底辺が決められており,それに対応する高さを選ぶという出題が入っていました.

2. 自信満々に批判する痛い大人

昨日,コメントを2つ入れましたが,少し補足します.「職人1人月あたり」を見た瞬間に,「人月という量をどう児童に知ってもらうのか」「仕事量は,〈乗数と被乗数を区別しない文脈〉じゃないか」が思い浮かびました.
「5時間歩きました」から始まるほうは,6年では,速さ関連ではかけ算かわり算かを判断できるようになることが,はるかに大切なのに*3,ミスディレクションをしているように見えました.「5時間は時速1キロメートルあたり5キロメートル」といった量の換算については,机上の空論はいいので,児童や学校教育者が活用できる形に持っていってほしいのだけどと願う…だけムダですね.
その一方で,まとめ自体にも,釈然としないものもあります.1文だけ取り上げると,

これをどうでもいいと教育されたり徹底されなかったりした結果が理系離れなのだろう。

は,これまで読んできたこと,大学で学生や教員と対話して感じることと,異なります.
小学校の,とりわけ算数を専門とする先生は,取り上げる教材・出題や,何を正解とし何は間違いとするのかについて,驚嘆せざるを得ないほど,行き届いた配慮そしてアフターフォローをなさっています.なのですが中学・高校では,一つの出題に複数の解き方があることや,ある生徒はこう書き他の生徒はこう書いた,さてどうか,といった比較検討に,時間をとっていないように感じます.
「正解となるパスを一つ見つけて手際良く答案にまとめればいい」という形での,答案作成そして問題解決の流れが,中学・高校の教育,そして高校受験・大学受験において培われているのではないか,という思いがあります.モル計算や運動方程式の理解も,その中にあるわけです.
あまり「理系離れ」を実感せずに,工学系の大学教員になった者として,理系離れをくいとどめる方策というのも,思いつきにくいのが実情です.一つ,提案してみるなら,正解や間違いの判定に,「方針が合っているか」「プロセス(手順,ステップ)が合っているか」を分けてみることです.方針は,大学や(ある分野の)ビジネスでは,「コンセプト」になります.小学校の算数では,「演算決定(演算の意味)」に対応します.


それにしても,小学校で学習するかけ算ひとつとっても,いろいろ読んできた中でもまだまだ分かっていないことがあるなあと,思いを強くします.なので,エントリタイトルの「自分」は,私自身を指します.

ガイド

(最終更新日時:Wed Apr 25 07:18:20 2012ごろ)

*1:授業は,「指導と評価の一体化」「形成的評価」に関係します.かけ算の単元や,2年終了時のテストは「総括的評価」に対応するわけですが,それだけでなく,3年に入ってからの,2年で学習した「かけ算の意味」をどれだけの子が忘れていないかを問う「診断的評価」「外在的評価」のテストにも見られます.

*2:5年までの学習内容をもとに出題しているほか,解答類型の中に「乗数と被乗数を入れ替えた式なども許容する」という注意書きが入っています.

*3:速さに関する典型的な出題例(発言者なりの分類),あるいは学習上意義のある提案をしているようにも,読めません.