わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

「×」から学んだこと 13.04―教育の外

Q: かけ算の順序問題の本質って,何だと思いますか?

A: 「かけ算の順序」を旗印に,算数教育(あるいは数学教育学)の蓄積を恣意的に取り上げて批判する人々の存在,でしょうか.

Q: かけ算の順序問題に,学術的な蓄積って,あるのですか?

A: いろいろあります.「文献」をご覧ください.

Q: 「算数教育学」は,ないのですか?

A: 「数学教育学」に,算数教育が含まれています.日本数学教育学会では,奇数月に数学教育(中・高・高専・大学の数学教育が主な対象),偶数月に算数教育(幼・小の算数教育が主な対象)の会誌を発行しています.
算数と数学の教育を合わせて,「算数・数学教育」と書かれることもあります.

Q: 「かけ算の順序」の代わりに,何と呼べばいいのでしょうか?

A: 「乗法の意味」をお勧めします.
子ども向けには「かけ算の意味,分かっているかな」,文章題では「かけられる数とかける数(の区別)」でしょうかね.

Q: では,「乗法の意味」って,何ですか?

A: 一言では言い表せませんね.「かけ算の意味は〜だ」と決めつけることから,攻撃が始まっているように感じています.
例えば学習指導要領解説 算数編では,「乗法が用いられる場合」という表現をとっており,乗法の意味や適用範囲を限っていません.

Q: この件,保護者としてはどう理解すればいいでしょうか?

A: 「5×3=15」にバツをもらった子の保護者の方と想定して,小学生の子を持たない者が僭越ながらいくつかアドバイスをさせていただくと,

  • これは昔からある,意図された出題であること,また高い確率で,すでに授業で学習していること
  • 子どもの言葉に耳を傾け,考え方を共有すること
  • 先生を信頼すること
  • 教科書,ノート,プリントなどを一緒に見て,本人に思い出させること
  • それでも先生に照会するなら,落としどころも含めて入念な準備をしてから問い合わせること

あたりでしょうか.

Q: 遠山先生にケチをつけるの?

A: いえ,『遠山啓エッセンス』ほか著書を目にする限り,算数・数学教育の理論にも実践にも深く関わった人ですね.
「6×4,4×6論争にひそむ意味」が出されたのち,様々な人々による授業(実施・観察)や教材作成を通じて,乗法の意味の指導についてノウハウが蓄積され,氏の主張のいくらかが「過去のもの」になったのだと,理解しています.
過去のものになったと推測できる対象には,2つあります.一つは,トランプ配りの乗法への適用です.もう一つは,《りんごの問題》を,実質的に区別できない2つの因数のかけ算と同一視することで,亡くなる年の講演で「『タイル×タイル』というのは,子どもにはなかなかわからない」と言い,総量=内包量×容量によるかけ算の定義へと考えを変えたことを話しています.

Q: 外国で,かけ算の順序が反対だとバツにする事例はありましたか?

A: 次のエピソードがあります(『坪田耕三の算数授業のつくり方 (プレミアム講座ライブ)』p.138).

ブラジルに行ったときに6の目のサイコロを見せて,「サイコロの目の数はいくつですか」と言うと,みんな「6」と言った。「どうして6と考えたの」と尋ねるとある子が出てきて,「3×2」と書いたんです。これを3×2と見たわけを聞きました。私がどうしてそんなことを聞いたかというと,式の後ろに潜んでいる感覚は,日本語圏以外では普通意味が逆です。3×2と言えば,日本では「3個のかたまりが2個ある」という意味ですが,英語圏も中国語圏もみんな「3個ありますよ,2つのものが」という意味です。
一番わかりやすい例は,陸上競技で4×100mリレーという表示がありますね。日本で正しく勉強している子なら,4mを100人で走ると言うことになる。でも,誰もそう解釈しませんね。これは世界共通で4人で走りますよ,100mずつを,という意味の表示です。日本とは式の意味が逆なんです。だから,3×2とブラジルの子が書いたから,あえてちゃんと聞いてみたいと思ったんですね。そうしたら,はじめに出てきて説明した子は3個ずつのかたまりを作ってそれが2つ分と言いました。おやっ,これは日本と同じだぞと思っていると,他の仲間みんなが違う違うと言うのです。要するに間違っていたのです。どこの国も同じですね,間違える子がいるのは。本当は2個のかたまりが3個分だと別の子が説明してくれました。

引用の最後の文の,別の子の説明は,「3×2と書いたら,2個のかたまりが3個分になるんだよ」だと理解すれば,引用後の説明も含めて納得がいきます.

Q: 「かけ算の順序」は,ニセ科学?

A: 数学教育学の成果を十分にレビューしていない状況での批判は,―あとは田母神・前空幕長の論文から思うこと: 石破茂(いしばしげる)ブログの言葉を使わせていただきましょう(一部改変しています)―“歯切れがよくて威勢がいいものだから,閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち,それに迎合する人々が現れるのが恐いところです.加えて,主張はそれなりに明快なのですが,それを実現させるための具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です.”

Q: かけ算の順序のロジックって,何なのでしょう?

A: 批判する側のロジックは,(1)ある出題と,バツがつけられている答案から,(2)そこで教師の期待する「かけ算の構造」を指摘し,(3)数学は,あるいは世の中は,そうではないよ(それだけではないよ)と主張する,でしょうか.
そうすると,対抗策としては,(a)出題には十分な根拠と実績があること,(b)指摘する「かけ算の構造」は,小学校6年間で学ぶ内容のうちほんの一部でしかないこと(高学年になれば,それとまた異なる「構造」に基づくかけ算を理解し,活用します),あたりになりそうです.
強調しておきますが,「かけ算の順序を擁護・推進するロジック」を考えるから,おかしな議論になるのであって,問題解決(望ましい学校教育のあり方)を探るのに注目すべきなのは,「かけ算の順序を批判するロジック」のほうです.

Q: かけ算の順序にこだわる教育は時代遅れなのでは?

A: 時代遅れなのは,どっちなんでしょうかね.
解説書や,Webの学習指導案を読んでいると,乗法の意味(批判者の言う「かけ算の順序」を含みますが,それ以外に関しても)を子どもたちにまずは分かってもらおう,そして定着させようと,先生方がさまざまな要素を取り入れ,工夫をしていることがうかがえます.学習指導要領の改訂への対応や,「オープンアプローチ」「パフォーマンス評価」「ルーブリック」などの活用は,その最たるものです.
学習内容(出題例)や指導方法について,社会の要請によるダイナミックな変化も,教育実践における自省を通じた緩やかな変容も,見てとることができます.先生方の子どもをしっかりと観察する目,成長を喜び共感する姿勢,つまずいた子には(バツをつけて見放すのではなく)前に戻ることも含めた柔軟な態度,そしていろいろな形による教員ネットワークは,文字ベースで見ているだけの者ですら,安心感をもたらしてくれます.
そういった状況と比較すると,批判者のスタイルは,残念の一語です.「文章題を解かせる→子どもが式と答えを書く→かけ算の順序が反対のとき不正解とする」という流れに,とらわれており,言ってみれば1970年代の“遠山史観”から抜け出せていないように見えます.
正解にできる理由をどれだけロジカルに説明してみても,そのストーリーからは,子どもが1年から6年まで(中学,高校も入れていいでしょう),楽しんだり苦しんだりして理解を深めていくような学習の姿も,文章題(算数の問題)から離れた問題解決の場面において,どう行動すればいいかのヒントも,得られそうにないのです.

Q: 納得いかないのですが,世の中と学校とで,何が違うんですか?

A: 「世の中のかけ算」と「学校教育のかけ算」が違っているのに気づいたとき,その違いがどこにあるのかを探求する人々と,学校教育が間違いと主張する人々がいるように思います.

Q: 世の中のかけ算って,どうなっていますか?

A: 事例収集をしてみましたが,とても多彩です.ともあれ「寸法」「もの×もの」「もの×数」「数量×数量」が代表的です.
数量×数量の形では,×の左右それぞれに単位が添えられ,積が明示されていない場合でもその単位は,×の左と同じになるのが大部分です.そしてそこに,サンドイッチの考え方を使うことができます.

Q: 数量×単価じゃないの?

A: 「数量×単価」という決め打ちでは,世の中,ないように思います.注意点を3つ挙げます.
まず,その書式で書くべきときは,確かにそうしないといけませんね.もし逆に書いたら,16千円のが500個という,単価も数量も中途半端な数字を相手に伝えることになるかもしれませんので.
次に,お店やレストランのレシートをかき集めて,見比べてみてください.あるいはレジの画面を見るのでもいいでしょう.「数量×単価」も「単価×数量」もあります.「@」や「¥」,あるいは「円」をつけ,単価と分かるようにした書き方もあります.そうして見ると,1枚のレシート,1軒の店舗として,いずれかで統一していればいいのであって,それを「どっちでもいい」と認識するのが,誤解を招く原因になるように思います.
最後に,小学校の算数,中学校の数学の,学習指導要領解説には,ともに「(単価)×(個数)」が見られます.これは,算数・数学(という教科)の一貫性として,留意すべきことだと思っています.

Q: 私は「かけ算には順序がある」なんて教育を受けさせたくないのですが.

A: そうですか.私は工学的観点から,自分の子が,「“5×3=15と書いても,3×5=15と書いても,よさそうだけど,バツにされないのは,3×5=15のほうよね”と,瞬時に比較して,1個の答えをさらさらと書く」ようになることを望んでいます.
かけ算の順序ではないのですが,式に単位を付けるよう,銀林浩が自分の子2人に指導した話が興味深いです(面積図は門前払い).親として,我が子はどうあってほしいと願う権利がある一方で,学校や親の要求に対して自分なりに調整し,その都度「答えを出していく」のは子ども自身であるのがよく分かるエピソードです.

Q: 「かけ算の順序」の議論って,“あら探し”が多くない? どうして?

A: 数学教育学を一つの学問とするなら,その究極解,あるいは理想状態が見出せていない,ということだと思っています.といっても悲観する話ではなく,他の学問分野もこれは同様なのです.
「究極」「理想状態」を得るのが困難となると,妥当解を探ることになります.妥当解は,その状況におけるいわば局所最適解であり,時間の経過,社会情勢の変化により,最適解が変わり得ます.そういった変化に対応することも,教育に携わる人々には求められます.
以上を前提としたとき,そこに関わるそれぞれの人(先生,児童・生徒,ネットウォッチャー,など)が満足だとか納得を得るために,克服すべきものが何で,そのためにはどんな行動すればいいかが,人ごとに異なっているのが,実情なのではないでしょうか.

Q: 「正しい/間違い」よりも「受け入れられている/いない」で考えるほうが,良いということですか?

A: 「正しいか,間違いか」とは別に,「受け入れられているか,いないか」で考えてみるのはいかがでしょうか,というのが真意です.
「正しい,間違い」だと,間違いをするのが良くないというメッセージを与えたり,いったん正しいと証明したら,正しいと言うための前提を超えたところでもその主張を振りかざす傾向があるように,思えるのです.
代わりに「受け入れられているか,いないか」とすると,はじめは受け入れられていなくても,後に受け入れられるようになることや,その逆の可能性を,思い浮かべることができます.
さらに言うと,「『なぜ』正しい,『なぜ』間違い」という考え方から,「『どこで』受け入れられているか,『どこで』受け入れられていないか」への転換も可能となります.
ここで,トランプ配りの乗法への適用を例にとることにします.それは遠山啓が「6×4,4×6論争にひそむ意味」と題する記事の中で示したもので,私は1978年に出版された本で,全文を読みました.それが現在,どうなっているかというと,算数教育では採用されておらず,ネットでよく,根拠として使用されているのです.こうして,それぞれの「受け入れ状況」を明確にしやすいという効果が期待できます.

Q: 掛け算の順序は,「ローカルルール」なんでしょ?

A: いえ,藁人形論法だと思います.

Q: ローカルというのは地理的な話ではなく,算数教育とか小学校教育という意味です.それ以外の世界,例えば一般社会では逆でも構わないですよね?

A: 一般社会の話をするなら,物品の数量表記のかけ算は,その左が一つ分の数量,右が幾つ分になるのが圧倒的です.日本の話です.
海外だと,一つ分の数量が左にある表示も,右にある表示も見かけますが,そこには単位がついており,幾つ分のほうには単位がないという表記を見てきました.
そういった事例を意識して,「式をどう読めばいいのか」「どう書けば(かけられる数とかける数に何を書けば),誤解されずに伝わるか」にも,配慮できる子どもになってほしいと願っています.
なお,算数の問題と,実際の場面との違いについては,次の文献に興味深い事例が書かれています.

540人を40人乗りのバスで運ぶには,バスが何台必要かという問題で,ある児童は「算数の授業の場合だと14台と答え,どこか行くからどうすればいいかといった問題なら,13台と1台のマイクロバスと答えます。」と答えています.

Q: 「単位も掛けられる」「順番を変えてもそれは同じ」と言いたいだけです.分かってもらえますか?

A: 大人の世界でそれを言う分にはいいのだけれど,小学校の算数で認めてもらおうとするならば,単位の扱いをもっと精密化すべきでしょう.小学校の先生方が利用可能な文書やノウハウとして取りまとめ,授業で試用してもらって高評価を得て,全国へ展開していければ,教科書や学習指導要領に載る(関連:算数ものづくり)のも,夢物語ではありません.
「順番を変えてもそれは同じ」とのことですが,15ピース×600円という反例にも気をかけてもらえればと思います.

Q: 組立単位を考えれば,単位もかけられまるよね?

A: まず,組立単位を認めるか認めないかというのが一つの分岐点です.次に,組立単位は,式から,答えとなる一つの数量を得るのにはいいのですが,そのことは,場面と式との対応づけについて,何も言っていないので,その対応づけを支えるものが必要になります.算数教育では,組立単位を採用しておらず,その一方で「式に表す」「式を読む」といった活動を通じて,学習者に何を身につけてほしいかについての見解がまとまっています.
ところで,「量は数(すう)と単位(または単位に準ずるもの)の積の形式で表せる」(wikipedia:量)という立場は,数学の「量の理論」のもとで共感できません.というのも,いわゆるゼロ量の取り扱いに,注意が必要だからです.ゼロ量を含むと,量の加法性のうち,任意の2つの量AとBに関してA+B>Aと言えないのです.そのことは,『量と数の理論 (1978年)』pp.26-27で記されています.Webだと0にかける,0をかけるをご覧ください.

Q: 後々に「順序は方便です」というような教育をされるのですか?

A: その方針では,どれだけWebで情報収集し,TwitterやTogetterで発言しても,教育に携わる人々には,届きそうにはなさそうで….
次の論文はご存知でしょうか.

オープンアクセス(無料)になっているので,ダウンロードして全文を読むことができます.そこでは「順序」ではなく,「〈乗数と被乗数が区別される文脈〉」という言葉が使用されています.それに相対するものは「面積などの〈乗数と被乗数を区別しない文脈〉」です.
〈乗数と被乗数が区別される文脈〉を「倍」,〈乗数と被乗数を区別しない文脈〉を「積」と略記したとき,日本の小学校では,加法(1年),減法(1年),除法(3年.包含除・等分除)と違って,乗法として出てくるのは「倍」が2年,「積」が4年(長方形の面積の公式)で,学年が異なります.
「積」の離散的・視覚的構造であるアレイは,2年でも多く見られますが,アレイでかけ算を理解するのではなく,アレイ(2年で取り扱える「積」)を,「倍」に基づいて立式し,計算するという次第です.なお,その際には複数の式があり得るのは,問題集などを通じて確認できます.
低学年では「一つ分の大きさ×いくつ分」という最小のツールで可能な限り問題を解き,高学年では面積の公式のほか,数量関係などの知識を得て,活用していくことで,それぞれに応じた式の立て方,また式の読み方がなされます.数量関係と書きましたが,比例の表に着目すると,ある文章題の式が30×2とも2×30とも表せるという授業例を,2×30gで取り上げています.
あとは,様々なWebの情報をご覧になって,国内外の算数・数学教育においては,「順序」ではなく,「かけ算の意味」を意識して,授業や出題でどんな工夫がなされているか,また児童らの理解の状況はどうなっているか,その一端を知っていただければと願います.「順序」は,かけ算の話に限っても結合法則,乗除先行,九九学習など,複数の文脈で用いられており(かけ算の順序,計算の順序),「かけ算の順序論争」はそういった多様性に目を背けるという点でも,残念に感じています.

Q: だから、一冊の本の中である流儀に固定して書いてあっても全然おかしくない(というか普通)でしょうが、それが墨守すべき「定義」であって逆順は間違い、って考えはおかしいでしょ、と言ってるんですけど…。その答えが「世間一般でもそうしてある事が多い!(キリッ)」ですか。はぁ。

A: 「墨守」「定義」「逆順」といった言葉は,算数・数学教育の書籍や学習指導案で見てきた語彙と,水と油の関係です.なので,研究や実践の蓄積と異なる方向を向いて主張をしたいと理解しました.
まあそれはそれでいいんじゃないでしょうか.「教育」というカテゴリの外で,くだを巻くのであれば.共感者もいるようですし.
もし教育を本気で変えたいのなら,「変える」以前に現状をきちんと「観察する」ことが不可欠です.教育学部に入るか,良い師匠について学ぶのを,考えるべきでしょう.そこまで極端に走らなくても,テーマを決めて集中的に情報収集を行い,分析することは,学生だろうと働いていようと誰だって(時間と意欲があれば)できる,観察の活動です.

Q: かけ算の順序を定義づけたものはないということでよろしいですか?

A: まず,「掛け算の順序」を語っているところ,人々にその定義を確認しましたか? 『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』では,どのように定義されていますか?
私自身は,乗法の意味,情報の価値を書いたのをきっかけに,「順序」という言葉は不適切と認識しています.
定義を私のほか,教育に携わっている人々に求めるのではなく,批判している人々の考え方や,その対象となっている授業・問題などを観察し,得られた知見を言葉にするというのは,できないものでしょうか.その際,かけ算の問題の構造をご確認いただければと思います.「構造」という言葉の使われ方が気になり,整理したのでした.
とはいえ,教育関係者が「かけ算の順序」を書いているものを知っています.以下,そのうち2つを紹介します.
一つは,wikipedia:かけ算の順序問題の外部リンクにも入っている,北海道教育大学の教授 宮下英明による論考です.定義は,例えば積の立式の論理にあります.低学年の出題はその図式のみでよく,「速さ×時間=道のり」になると,ここにあるように,比例関係を活用します.きちんと理解するには,上記2つだけでなく,そこのサイトの文章を手広く読むこと,そして数学の素養も必要です.
もう一つは,2002年に書かれた,国際協力事業団の報告書です.p.38に「かけ算の順序」という言葉が入っています.しかし,定義がなされているのではなく,日本語・英語・タイ語のそれぞれで,順序は決まっていることを前提としています.タイのことばと算数に配慮し,かけられる数・かける数の順序に注意して,カリキュラム開発をすべきだと述べています.

Q: かけ算の順序論争は,交換法則を認めるか認めないかの論争ですか?

A: ええ,それは一つの切り口だと思います.そしてそうすると,交換法則を適切に定義し,それが小学校の算数において(必要なら,普段の生活や科学などへの活用も含めて),どこで適用可能かを同定すればよい,となります.
海外の解説や,国内の解説・出題例を総合すると,無制限に乗法の交換法則は適用できないこと,言い換えると「4×5と5×4の答えは同じ.だけど意味は違う」は,確定と言っていいと思います.
「交換法則を適用すればどちらでもいい」に賛意を示せない理由の一つは,こういった出題や調査の記載,またそこに到るまでの人々の創意工夫や子どもたちの行動・反応を,ないがしろにしているように見える点にあります.

Q: 外国で,かけ算の順序が反対だとバツにする事例はありましたか?

A: 答えとしては,次の2点です.(1)事例は見つかっていません.見られない(探す必要がない)理由は,言語・文化・教育を背景として説明ができます.(2)「a×bとb×a(5×6と6×5)が同じでないような,日常生活の例を挙げなさい」という出題がありました.
事例に関連して,Anghileriらは(Luckier!),"Give some real-life examples of situations in which a multiplication product a×b (for example, 5×6) is not the same as b×a (6×5)."という練習問題を示しています.ここから,日常生活への適用において,5×6と6×5は違う場合があること(を著者らが認識していること)が確認できます.交換法則を解説している他のページと合わせて,5×6と6×5は意味が違う(交換法則を適用して「同じ」とできるのは純粋な数に関してだけ)と理解できます.練習問題はその本の読者すなわち研究者・教師・教師を目指す学生向けですが,「a×b」「b×a」を取り除いて,かけ算を学習中の小学生にやらせてみるのは,困難ではありません.
さらに,3×4の解釈を「"3 multiplied by 4"」と「"3 times 4,"と"3 fours."」に分け,後者のみを詳しく説明しています.ここから読み取れるのは,英語圏では,3×4に「3に4をかける」と「3を4にかける」の両方の解釈・運用があり得ることです.
これについては,中島健三が1968年に注意書きを述べており,「4×2は,英語ではfour times twoまたはfour twosなどという関係で,乗数と被乗数がわが国の場合と反対になっている」や「(略)アメリカでは,乗数を先にかくとのべたが,最近では,わが国の場合のように,乗数をあとにかく方法(乗数をoperatorとしてみる場合に統一的にでき便利である)をかなり取り入れるくふうがされている.この場合,3×4は3 multiplied by 4などと呼んでいる」といったことが記されています.
こういったことを考慮すると,英語圏では3×4の意味が日本と反対であっても,英語のこの種の本を読む,おそらく欧米の研究者や現職教師らの間で,3×4を「3を4にかける」といった,一つの意味で教えるような授業を作ろうというのが,不自然に思えてきます.決まった順序で書かないとバツにするような出題が見当たらないのは,そこからの論理的な帰結となります.
式の解釈としては「どちらもあり得る」けれども,上に英文を抜き出した練習問題は,かけ算の式の意味を教室で共有(または解答者が設定)すれば,出題ができます.一人の子どもが,5×6の場面例と,6×5の場面例をそれぞれ答えれば,他の人がチェックすることも可能です.「それぞれ反対だよ」という指摘もあり得まして,そういった流れが,ブラジルのサイコロの話に結びつくようにも思います.
さて,日本,我々の教育環境にも目を向けましょう.かけ算については戦前から,「3×4」と書いたら「3に4をかける」であり,3がかけられる数,4がかける数で一貫しています.
それに加えて,授業研究その他を通じて教員間のネットワークが充実しており,新しい問題や授業事例を他の先生方が批評・参観し,その中で良いものはより広域に活用できるような環境や機会が整っています.
別の言い方をすると,「問題を作る人」「授業する人」「解く人(児童ら)」という分業体制ではない,ということです(Webで議論する人々―私を含め―は,「問題を作る人」や「授業する人」にケチをつけている人,でしょうか).これもまた,海外と比較したときの日本の特長と言っていいでしょう.それを象徴する本が"The Teaching Gap: Best Ideas from the World's Teachers for Improving Education in the Classroom"とその訳書『日本の算数・数学教育に学べ―米国が注目するjugyou kenkyuu』であり,当ブログではドイツは100,日本は50,米国は81なぜ教材研究教育も,支配から調和へといかないものかで取り上げています.
「かけ算の順序が反対だとバツにする事例」は,そういった経緯の中で普及し,遠山啓やWeb上の反論があっても,現在も授業に使われています.上のような国際的歴史的な背景があることを,ご理解いただければと思います.

Q: この問題には解がなさそう?

A: みなが納得できる「解」はなさそうに思います.というのも,過去・現在・未来を,どのように認識するかの問題になっているからです.
具体的には,過去・現在についての

  • かけ算で表される(計算できる),さまざまな場面がある.
  • 式の表し方も,国(言語や文化,それと歴史)によっていろいろある.

と,現在・未来についての

  • では我々はどのようにすべきか?

を,分けて考えるべきなのでしょう.

Q: 国ごとの言語体系に影響されない国際的なシステムを作ることはできないの?

A: 「式にするまで」と「式から答えを求める」を分ければ,後者は“万国共通”にできるのではないかと思います.
なお,「式にするまで」については,どんな種類のかけ算をいつ学ぶかという観点も必要になってきます.東ドイツの教科書に入っていた「直積」のかけ算は,日本の算数では取り扱わないようです.というのも直積は,「数学教育の現代化運動」と関連づけられる概念だからです.発展的な学習として,加えるのを期待してみましょうか.

Q: ポーランド記法逆ポーランド記法とも整合性がとれるのか?

A: 逆ポーランド記法で「3 個 5 枚 ×」を与えると,「15 個」を答えてくれる計算機があったら,斬新だと思いますよ.ところでその場合,「5 枚 3 個 ×」を与えると,答えとして何をご希望でしょうか.
計算機工学の話に,結びつけようとするなら,単位の扱いは,厄介な問題です.
そのほか,答えを求めるための要素として何を抽出するか(かけ算で計算すると判断することを含めて)と,インタフェースに応じて何を与えるかは,分けて考えるべきではないかと思います.

Q: かけ算の順序の問題は、そもそもa×b=b×aなのにどうして順序が決めるのかということが発端なのでは?

A: その問題設定には,いろいろと難点を抱えています.

  • Anghileri & Johnson (1988)で挙げた"three children each having four candies"と"four children each having three candies"の比較は,(日本式で)4×3=3×4であり,キャンディの総数は等しいけれども,2つの場面が異なることを述べています.算数教育の言葉では,「被乗数と乗数を交換すると,積は同じだけれど,意味は異なる」となります.
  • 「あるロケットは1秒間に16マイルのスピードで進む.0.85秒ではどれだけ進むか?」は,16と0.85を入れ替えた文章題よりも,子どもたちがかけ算の式に表せると判断する割合が下がります.乗数が1未満になるときの課題は,「乗数効果」として,国内外で知られています.ロケットの話の原文は,こちらをご覧ください.

Q: かけ算の式は,国語の問題?

A: 国語(場面の理解)の要素もいくらかありますが,やはりこれは算数の問題だと思います.
出題事例や,間違いに対して指導する側はどうしているかについては,「計算の意味の理解」の調査における一考察をご覧ください.

Q: スーパーでレジ入力している時同じ商品があったら個数を押してからスキャンするんだけど,かけ算にうるさい人はそれも修正させるの?

A: レジ入力をしたことはないのですが,そういう挙動を目にします.
その一方で,ギリシャでは,「25セント」「単価」「10」「個数」の順に打っているのを見かけました.
「個数が先,単価があと」と「単価が先,個数があと」の両方を実現できる機械を作ると面白そうですが,そんな機能があったところで売れないようにも感じます.
以前に,レシートのまとめをしたのですが,レジの話はずいぶんと,機械依存ではないかと思います.

Q: ドラえもんは,「かけ算の順序」を支持しているのですか?

A: 「ドラゼミ」関連の書籍のことですね.ドラえもんというよりは,学力研そして岸本裕史の方針と思われます.
書籍から,見かけたものを書き出すと:

学力研ほかについては,wikipedia:岸本裕史をご覧ください.算数教育に関わる各団体は,かけ算の順序についてどのような見解を出していますか?でも取り上げています.

Q: 人月計算はどちらが正しいの? 2人×3か月=6人月なの? 3か月×2人=6か月なの?

A: 小学校では人月計算を扱わないのだと思います.
人月は,仕事や,物理の電力量に関係する話です.「人×月=人月」によって,新たな単位をつくるという意味では,面積に近いのですが,「2人×3か月」と「3人×2か月」は意味上異なるわけで,2つの因数は別の役割となります.
別の点でも注意が必要です.というのも,「人月」を「人日」そして「延べ○人」に置き換えていくと,「延べ」の概念はいつどのように学習しているのかという疑問が生じます.『算数教育指導用語辞典』によると,「延べ」は平成元年改訂の学習指導要領以後,扱われなくなっています.
とはいえ,人数と日数のかけ算には事例があります.「のべ」の文章題は,どのように考えるのに,「3日間働いた人が5人いれば,3×5=15で,のべ15日の仕事です。」「逆に,5×3=15のように,人数をもとにして考えると,のべ15人の仕事です。」とあります.

Q: 「掛算の意味」って言葉,どれだけ使われているの?

A: 「乗法の意味」として,学習指導要領に書かれているほか,相当な数の論文が出ています.
小学校学習指導要領 算数には,「乗法の意味について理解し,それを用いることができるようにする。」という項目があります.その詳細を見ていき,既存の指導案・指導例と重ねると,「掛算の意味はこうだ!」(関連:1, 2)ではなく,「かけ算って,こういうときに使えるんだね」といった形で,学習・理解が進められているのが見てとれます.
論文については,CiNii Articles 検索の結果をご覧ください.「乗法の意味理解」「乗法の意味の拡張」をよく見かけます.
その多くは有料ですが,無料(オープンアクセス)の中では,教員志望学生の算数における乗法の意味の拡張の捉え方についてが興味深い内容です.「乗法の意味の拡張」には特定の意味があり,ここで整理を行っています.
そのほか,5人に飴を4個ずつ配ると飴はいくつ必要か 赤ペン先生回答│NEWSポストセブンを読むと,「乗法の意味」「かけ算の意味」「拡張」を見つけることができます.小学校や学術研究の外の者でも,算数指導に携わるのなら理解しておくべき用語のように思います.「順序」は見当たらず,「順番」が回答文中に出現しますが,これは質問の受け答え(質問に「順番」と書かれていたから)という可能性を,ここで記しています.
なお,この質問文は,https://twitter.com/y_aki/status/334657033737482240のツイートをもとにして作成しました.

Q: 中国の話の「量の扱いで不具合」とは,どういうこと?

A: ツアーほかで引用している,「量の扱いではやはり不具合があって,教師たちの丁寧な対応によって乗り越えているところである。」のくだりですね.
私も知っている記述はそこだけなので,想像ですが,「連続量×分離量」や「連続量×連続量」への扱いなのではないでしょうか.もう少しいうと,かけた結果がどんな量で,したがってどんな単位を添えればいいかという課題に対し,被乗数と乗数をともに「因数」として区別しない方針は,その解決を遠ざける方向に向くように思うのです.3kWが2hで「6kWh」,だけれど3個入りの袋が2袋だと6個になり,「6個袋」ではないのはなぜか,をぜひお考えいただければと思います.

Q: 行列が非可換なことは,この問題と関係ないのでは?

A: 可換・非可換は数学の話ですが,「拡張」の考え方は,算数教育と密接な関係があります.
手短に,数学の話を書います.スカラー量ではy=3×5×xとy=5×3×xは同等な式ですが,xやyをベクトル,3や5を行列に置き換えた場合,2つの行列を逆に書くわけにはいきません.例えばアフィン変換の式にすると,「平行移動してから,(原点を中心に)拡大する」と「(原点を中心に)拡大してから,平行移動する」とでは,異なる結果をもたらします.
交換法則の可否を,行列で考えるのは妥当ではなく,ハミルトンの四元数に言及するのが良いように思います.そうすると,算数教育における「形式不易の原理」という概念,あるいは「どこまで『数』を拡張できるのか」「拡張する前に利用していた『演算』は,拡張してからも同じように使えるのか」という問題意識と関連してきます.四元数や形式不易の原理は,2×3と3×2の違いとともに,『算数教育指導用語辞典』pp.18-19で解説されています.
「形式不易の原理」は難しい話ではなく,「0.8mで1.2kgの鉄の棒,1mの重さは何kg?」に対して,整数に置き換えて「2mで4kgの鉄の棒,1mの重さは何kg?」なら「4÷2」とできるので,もとの問題は「1.2÷0.8」と書ける,という解き方は,この原理に基づいています.
ただし,形式不易の原理のもとでも,「小学校で学ぶ範囲では,かけ算は交換法則が成り立つ」ことは,無視するわけにいきません.そして,かけ算の交換法則を,何に適用できるかについて,一つの論争があるというわけです.

Q: 日数教と数教協とは仲が悪いの?

A: 指導法や,用いる用語などに違いはあるものの,お互いに交流しています.
はじめに団体名の確認を.「日数教」は日本数学教育学会のことです.かつては日本数学教育会という名称でした.「数教協」は数学教育協議会の略称です.
戦後からの算数教育を見ていくと,数学教育協議会は無視できない存在と言っていいと思います.量を分離量と連続量に,連続量を外延量と内包量に,内包量を度と率に分けるという,量の分類は,『算数教育指導用語辞典』p.7脚注ほか,いろいろな本で目にすることができます.『小学校指導法 算数 (教科指導法シリーズ)』のp.47では,昭和30年代の数学教育の活動を見ていくなかで,「民間教育団体」とう表記を取り入れており,その団体名の一つに,数学教育協議会を挙げています.
交流も,あります.『数学教育学研究ハンドブック』 第3章 教材論 §2 演算の意味・手続き(pp.73-82)の中で,乗法の意味に関して「内包量×外延量」を挙げているほか,銀林浩が「水道方式の理論」と題して1962年,日本数学教育会誌に寄稿しているのを,同セクションの参考文献から知ることができます.ただし,その項目の主眼は,同数累加の導入と意味の拡張により,乗法の意味づけを図ることとなっています.
第5回東アジア数学教育国際会議 EARCOME5の案内を見ると,団体間,そして人的な協力関係があることが見てとれます.この会議は,日本数学教育学会の主催ですが,共催団体の一つに,数学教育協議会の名前があります.ページ下部のアドバイザリーボードを見ると,野崎昭弘・小林道正といった,数学教育協議会に所属し活動している方の名前を,見つけることができます.
私は,数学教育協議会に限らずどの団体であれ,トランプ配りをはじめとするどんなメソッド(手法)であれ,まずは「そういうものがある」と認識し,本を中心にそのつながりや普及範囲を見ていくようにしています.団体であればその強み,メソッドであればコンテキスト(適用条件---「誰が使うのか」を含め)にも注意します.

(最終更新:2013-05-31 朝)