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ニセ科学・科学リテラシーと「かけ算の順序強制問題」

 上記のツイートやその返信を読みました.「かけ算の順序」が,科学と結びつけらることに,危機感を覚えています.
 例えばhttps://twitter.com/genkuroki/status/795159443465867264ではZ会の解説本の一節を写真にしていますが,a×b=b×aという,乗法の交換法則を認めた上で,a×bとb×aの意味の違いがあることについては,国外の算数教育の文献にも見ることができます(海外では,「かけ算の順序」「たし算の順序」についてどのような見解を出していますか?).
 a×bとb×aは同じという考えに対し,注意を指摘する事例もあります."Classroom Discussion"(http://books.google.co.jp/books?id=2NX4I6mekq8C&pg=PA3)より読める,かけ算の交換法則を学ぶ授業では,「数は同じでしょ!」と言う生徒に対し,先生は「2つの式が違った場面を表すのに使えないって言うのですか?」と問いかけています.また中国では(かけ算には本来,順序がない),「被乗数と乗数の区別をなくし,最初から因数として扱うこととした」と記してあり,同じ段落で,現場の授業等を観察した所感として,「量の扱いではやはり不具合があって,教師たちの丁寧な対応によって乗り越えているところである」を指摘しています.
 「かけ算が用いられる場合」という観点での事例整理では,Greer (1992)を見ておきたいところです(かけ算・わり算でモデル化される場面).かけられる数とかける数とを区別する場面からまず学習し,自然数の乗法に対するまったく異なる文脈として,デカルト積の場面を取り上げています.現在の我々の視点で,前者は「被乗数×乗数*1」「倍(multiple)」「乗数と被乗数が区別される文脈」「非対称問題」,後者は「因数×因数」「積(product)」「乗数と被乗数を区別しない文脈」「対称問題」と表すことができます.
 Greer (1992)では,日本のかけ算指導にも関連する2つの指摘をしています.1つは,累加モデル*2だと被乗数は小数などでもよいのに対し,乗数は整数に限定されることです.日本はというと,「小数×整数」(連続量のいくつ分)を4年で,「小数または整数×小数」(連続量をかける,乗法の意味の拡張)で5年で学習する,というように乗数によって学習時期を分けています.もう1つは,「乗数効果」の詳しい解説です.「1より小さい数をかけると,積はもとの数より小さくなる」ことを児童らがきちんと認識するのか,ということと関係する話です(乗数効果).
 文科省・文部省の資料を見てみると,かける数が先に出現する文章題(場面)が,小学校学習指導要領解説やその前身の小学校指導書に載っています(はじめのひもの長さは〜指導書・解説より).現行だと「ひもを4等分した一つ分を測ったら9cmあった。はじめのひもの長さは何cmか」です.学習指導要領やその解説では,何が正解・不正解かは記されていませんが,これは累加モデルで考えることができ,たとえばテープ図に表して,9×4を得ます.「1より小さい数をかけると…」は第5学年です.
 ここまで取り上げたことを含め,算数指導で留意されてきた点については,文献や解説を通じて確認ができます.上ではGoogleブックスへのリンクをつけましたが,近デジ/国デジ,HathiTrust,JSTOR,Internet Archiveなどを通じて,有用なものが得られます.たとえば「わり算」と,かけ算との関わりで連想するのは,ちょうど100年前に英語で書かれた本です.Quatition and Partitionの段落は,最後の文を含めて現在にも通じる内容となっています(等分除と包含除,それと不名数―Klapper (1916)より).


 「かけ算の順序」と,ニセ科学だとか科学リテラシーだとかとを結びつけて検討する取っかかりとして,例えば以下はいかがでしょうか.

 2年前に出た号ですが,理科教育関連の蔵書には入っているのではないかと思います.Kindle版で読むことも可能です.
 「かけ算の順序強制問題」という,4ページの特別寄稿が収録されています.ざっと目を通した上で,その前の記事(「STAP細胞騒動をどう見るか」「タバコの害を真剣に考えよう!」)と読み比べてみますと,書き方,広く言えば科学コミュニケーションについて,「かけ算の順序強制問題」には気になる記述があります.
 「5 教育現場での現状は?」と題するセクションで,こういうとき読者は,読み進めれば,その疑問を解消してくれるだろうと思います.すなわち,「教育現場の現状は…である」の,「…」の部分を知ることを期待します.ところが直後(節の最初)の文は,「正確にはよくわかっていない」とあります.そこで不安を覚えるわけです*3
 書き方という観点では,p.113左カラムの「『かけ算の意味を理解していない』はかけ算の順序強制における最重要の要注意定番キーフレーズである。」にも注目です.算数・数学教育のほか,科学コミュニケーションに関する解説をそれなりに読んできましたが,こんな文はなかなかお目にかかれません.
 私自身,科学一般について論じる資格があるとは思っていません.
 ですが「かけ算の順序」に関するところについては,次のように考えています.「かけ算の順序強制問題」や,そこから読み取れる著者の認識は,算数教育における国内外の状況が反映されたものとなっていません.信頼度の低い情報です.


 「1つの情報を詳しく読んで(あるいはロクに読まずに),ケチをつけること」の反対は,関連するいくつかの情報を読み比べることです.何らかのトピックで,古今東西を探るのも,1つのやり方ですが,近い時期に出た情報を並べるというのも,有用と思っています.2010年末から2011年はじめに刊行され,当ブログでは別々の記事で取り上げていたものについて,出典と,興味を引いた記述を並べます.

乗法の場面、「1ふくろにミカンが3こずつ入っています。5ふくろでは、ミカンは何こでしょう。」は、3×5と立式される。立式は、「1つ分の数×いくつ分=全体の数」とまとめられ、それぞれ被乗数、乗数という。ところで、「オリンピックの400メートルリレー」や「このDVDは16倍速で記録できる」、「xのk倍は」の式は、どのように表わされるであろうか。それぞれ、一般的には「4×100mリレー」、「16×」、「kx」と表される。被乗数と乗数の位置が教科書の書き方と逆になっていることに気付くであろう。この例から分かるように、乗法では、数の位置ではなく、数が意味する内容に注目して、どの数が1つ分の数であるか、いくつ分はどの数かをしっかりと読み取ることが大切である。第2学年や第3学年では、読み取った数を、「1つ分の数×いくつ分=全体の数」と表現できることが重要であり、逆に、この立式ができているかで、数の読み取りができているかを判断できる。しかし、高学年になり、乗法では交換法則が成り立つことや外国での立式を知り、数の意味をしっかり理解できていれば、必ずしも第2学年で学んだ順序で立式することを強制しなくてもよい。
(pp.91-92)

平林(1989)*4も後に,「科学的な」実験心理学の研究方法だけでは数学教育研究には限界があることを指摘している:
「わが国の数学教育の研究法のなかで,最も科学的な手法と見られるものは,おそらく実験心理学的研究法の亜流ではないかと思う.筆者はこのような研究法を悪いとは思っていない.むしろ若い研究者は,もっと心理学者に学び,その手法に熟達してほしいとさえ思っている.
しかし,それとともに,これまでのいわゆる実験心理学の成果が,教育はおろか,算数・数学教育の研究にも,それほど大きいインパクトを与えていない現状をみると,数学教育に固有な研究においては,心理学者への単なる方法論的追随であっては,大した成果は期待できないのではないかと思っている」
(p.11)

2年生の導入時では,被乗数と乗数を明確に区別して扱っているが,これもかけ算の意味の理解を確かにするためと考えられる.図1のみかん全部の個数を4×6=24と表すときに,被乗数4が一つ分の大きさ,乗数6が幾つ分を表していることを大切に扱う必要がある.ただしこの意味は世界共通でなく,例えば英語ではこれを6×4=24とするので,被乗数,乗数の意味は逆になる.なお昭和44年の「小学校指導書算数編」では,基準にする大きさのいくつ文かにあたる大きさを「表わす」ことに触れているが,表現という側面からは被乗数と乗数の意味が特に重要となる.またかけ算の学習は,例えば2の段では被乗数が2の場合に乗数を1から9まで系統的に変化させ(図2),8×2などはここで扱わないが,これもかけ算の意味を大切にしていることの一つの現れであろう.
(p.50)

  • Nunokawa, K. (2010). Multiplication: introduction, 日本数学教育学会誌, No.92, Vol.11, pp.122-123.

Students are required to clearly distinguish between multiplicands and multipliers at this stage because this distinction helps them understand the meaning of multiplication. Teachers pay attention to whether their students understand that multiplicands express sizes of units and multipliers express numbers of groups. These meanings are reversed from the viewpoint of some educators elsewhere in the world. The amount of oranges in Figure 1 is expressed as 4×6=24 in Japan. The expression 6×4 is not usually allowed at the introductory stage.
(p.122)

 「2010年末から2011年はじめ」というのは,『かけ算には順序があるのか』の出版より少し前です.これらの文献を知らず,ネットの情報に翻弄され,授業で話してリンクされ(「×」から学んだこと 13.04―自分のこと),予想しなかった数のアクセスを得てから,6年近くになります.
 その間,昇任や学会行事の実行委員長,また今年は論文表彰や分野外の寄稿などに恵まれました.いまは科研費の最終年度の取りまとめと,担当授業の準備*5に追われています.子どもの成長も著しく,ときにはどっちが親かどっちが子か分からないようなやりとりになっています.
 講師になって初年度に担当した授業で,学生に示した「暗号文が多いほど,解読・理解のための手がかりを与える」「一つの情報だけで,物事を判断しない(同種の情報を集め,比較して判断する)」を思い出し,文献の読み解きや,学生と我が子,そして自分自身の理解に,活用していくことにします.
(2022年8月追記)「かけ算の順序」に関する,その後のまとめ記事として,順序の強制か,意味の理解か - かけ算の順序の昔話積に基づく乗法の認識についてを作成しています.授業で取り上げたのは2011年の記事に何があった?です(ただしページの内容については解説していません).

*1:ただし,Greer (1992)では,さまざまな文献から式を取り上げていることもあり,「被乗数×乗数」の書き方も「乗数×被乗数」の書き方も見られます.

*2:原文では"4 oranges + 4 oranges + 4 oranges","4.2 liters + 4.2 liters + 4.2 liters"を挙げていますが,日本の算数では「4×3」「4.2×3」と表すことになります.

*3:他の2つの特別寄稿では,「研究者とはどういう人達のことか?」「タールって何?」に対し,直後にそれらの疑問の答えを示しています.

*4:平林一栄: 数学教育学研究の様態―TMEプログラムをめぐって―, 日本数学教育学会 数学教育論文発表会論文集, No.22, pp.431-436 (1989). http://ci.nii.ac.jp/naid/110007173124

*5:複数の教員(とTA)が演習室・実験室に入って実施している科目もあれば,共通の教材を用意して複数のクラス・教員で実施している科目もあります.単独担当の科目についても,既習事項との兼ね合いや,学科全体のカリキュラムに配慮しながら,いつ何を学んでもらうかを決め,毎年アップデートしています.そういった営みは,算数教育の情報収集をして見かけた「学習指導に関する長期にわたる漸進的,微小増加的改善」を,一定の距離を置いて理解できるものとなっています.