わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

小学校の算数には数学がないのか

トラックバックをいただいたブログ記事を主軸に,雑報を書きました.
まずは飛ばし読みで,赤字のところだけご覧いただき,なお関心がございましたら,先頭に戻って全文に目を通していただけますと幸いです.

2. 議論の前提

この記事では,小学校で習う算数のかけ算には決まった順番があるという主張をする人たちを「順序派」,順番はないという主張をする人たちを「非順序派」と呼ぶことにする。また,かけ算には「(1つ分) と (いくつ分)」という考え方があるが,ここではさらに限定して「(もと) と (何倍)」だけを対象とする。その理由は,かけ算の概念を倍概念に限定することと,「1つ分」には複数の見方がある場合があるので,これが明らかな場合に限定するためである。
(強調は引用者)

nlog(n): かけ算の順序論争その対立の構造

強調したところは,はてブで否定的・懐疑的なコメントをつけた人はおそらく軽視した箇所ではないかと思います.Commentsの4番目の人のもです.
このように,議論の対象を制限したのなら,次に検討するのは「(もと)×(何倍)と書くべきか,(何倍)×(もと)と書くべきか」である---と,誘導している---ようにも見えます.
ちなみに,「もと」は,学習指導要領解説の言葉では「基準にする大きさ」,手元のいくつかの(非数学教育協議会の)本では「基準量」と書かれています.個人的にはBaseのBと理解しています.
「何倍」のほうは,「割合」であり,ProportionのPです.上記エントリには見られませんでしたが,「積」は「割合にあたる大きさ」,「比較量」,AmountのAです.B×P=Aという式は,学習指導要領解説にも入っています.

3. 欧米での論争

欧米ではかけ算の順番に関しては論争になっていないようだ。

nlog(n): かけ算の順序論争その対立の構造

論争を見たことはありません.もしあったのなら,日本に輸入されても---文献があっても---いいようなものですが.
ただ,被乗数(もと)と乗数(何倍)の違いに関する,実験を通じた知見はあります.

様々な分類の(乗法の)場面に基づいた出題で,実験がなされ,いずれも乗数効果,すなわち,ある問題を解く際に適切な演算として乗法を認識・選択することの困難さが,乗数が「整数」「1より大きい小数」「1より小さい小数」のうちどれであるかに依ること,を示している.効果の大きさを,正答率の差で表すことにすると,乗数が「整数」と「1より大きい小数」の間では10-15%である.乗数が「整数」と「1より小さい小数」の間では,効果の大きさは40-50%になる.乗数が「1より小さい小数」のとき,積が被乗数よりも小さくなる(累加モデルには見られない)ため,難しさがアップしている.その一方で,これらの実験の知見として,被乗数が「整数」「1より大きい小数」「1より小さい小数」のいずれであるかは,感知できるほどの違いを見せていない.乗法の文章題の解釈に関する,この結果は,Fischbeinらが提案した理論に合致し,明確なパターンを示している.

資料が主,判断が従(1.乗数効果)

上記の「実験」は海外の話ですが,国内でも追試がなされていまして,乗数効果で報告したとおりです.
それは被乗数と乗数を区別するから発生するのだ,という指摘もありそうなので,書いておきますか…「議論の前提」から離れますが,「「1つ分」には複数の見方がある」を重視した教育法の,欧米と中国での課題を,「倍」と「積」から学んだこと(10. 《倍指向》と《積指向》には,起源,または数学的な裏付けがあるのでしょうか?)で集約していますので,よろしくご確認ください.

4. 日本での認識

日本では,日本語が欧米の言語と語順が逆になることもあり,日本語という自然言語と数式表現の関係が希薄になっている。このため,数式表現のもとになるものを数学自体に見出そうとする考え方が出てくるのだ。数学では,かけ算の順番は交換が可能なので,それを表現する数式も順番は交換ができる,つまり,順番は関係がない,ということになるのだ。日本における非順序派の場合,「名は体を表す」でいうところの「体」は「数学」自体なのである。
(強調は引用者)

nlog(n): かけ算の順序論争その対立の構造

強調部分については「うーん,違うような気がする…」です.というのも,緑表紙教科書において,日本語と(乗法の)式をどのように対応づけるかが,よく検討されていたからです.といっても実物は見ておりませんし,教科書や出題だけを見ても,その意図というのは必ずしも分かりません.編纂に携わった人の本を読むことができ,緑表紙にアレイ図筆算の順序被乗数先唱 俺流まとめに記しています.
日本で「順番は関係がない」という主張が普及しているのは,

  • 数学教育協議会を結成した遠山啓の考え方や,「トランプを配るときのやり方」を含む記事*1を信奉しているから
  • 学校教育に対して信頼を置いておらず,何かあったら追及したがるから

あたりのほうが大きく寄与していると思っています.
私自身は,数学教育協議会そして遠山啓の考えは,いろいろと勉強になった---プログラマの面からは,割り算の筆算を書くきっかけを与えてくれました---けれども,その考え方や著書は,いまの算数・数学にマッチしていないと判断しています.トランプ配りや積指向に対しては,りんごのかけ算にまとめています.それと別に,遠山活躍時には皆無で現在重視されているのは,「教育評価」です(教育評価,2冊目).
学校教育については,私は大学教員として責任の一端を担う者であり,加えて,4人の娘(いずれも未就学)を持つ親として,学校に何を期待し,どこからは家庭が責任を持たねばならないかを,今後その都度,判断していかないといけません.教育学部を持つ大学に在籍しているため,大学図書館で算数・数学教育の古書が読めるのは有難く,著作権法に基づく引用の条件に留意しつつ,今後も取り上げていきたいと考えています.

5. 算数≠数学?

かけ算の順序論争において,主張が対立するのは,どちらも「表現はその内容に合わせるべき」という共通の考え方があるにも関わらず,それぞれで参照先が異なっているのが原因である。この記事では,数式表現が言語的な側面を持つ点を取り上げてまとめた。順序派は自然言語との関係を重視し,非順序派は数学自体の性質を反映させることを重視しているのである。

nlog(n): かけ算の順序論争その対立の構造

はてブのコメントを見た限り,「表現はその内容に合わせるべき」に賛同している人はいないような.
ですが,「非順序派は数学重視」というのは,理解できます.つい最近の実例もありまして,はてなブックマーク - ついっぷるで,「数学」を書いている,はてブのコメントです.
数学というと,次の点も気になります.PV=nRT(理想気体の状態方程式)をはじめ,物理化学あるいは実用上の法則・公式を導くのに,複比例の概念が避けて通れないのですが,その概念をいつどのようにして教わったのかというと,誰もうまく答えられないように思うのです.小学校ではないのは確かです.なお,複比例については,文献から考察テンソル積の3つのエントリで調査・検討を行いました.
とはいうものの,小学校の算数は,数学を無視しているのかというと,決してそんなことはありません.学習者(小学生)が,中学校またそれより上で数学を学んでいくことを,十分に考慮しながら,小学校の各学年で,どのような題材・出題をもとに指導すればよいかが,提案されています.

  • 新編算数科教育研究』では多くの節で,「数学的立場からの考察」「指導の立場からの考察」を見出しとする小節が入っています.乗法の定義はpp.39-40で,「公理論立場から:ペアノの公理系」と「集合論的立場から」(直積,アレイ)に分けて記されています.
  • 整数の計算 (リーディングス 新しい算数研究)』は,内海庄三の論説の中で「数学的な立場からの加法・減法の意味」(p.14),「算数指導の立場からの加法・減法の意味」(p.15)が見られます.志水廣の論説では,「日常言語と数学言語」(p.43)の中で「ひく」「平行」の意味付加(の違い)を示しています.
  • 算数教育の理論と実際』p.73には,「算数的活動に基づく数学的知識の社会的構成」という見出しの節があります.ただし,中心になるのは海外文献の紹介なので,そこでのmathematicsと算数・数学の違いには,注意が必要でしょう.
  • 算数教育原論』p.11には「数学の本質」,p.118には「数学的リテラシー」と題する文章があります.

私は,非順序派は数学重視であるのに加えて,小学校算数科の過去・現在・未来に対する敬意のなさが現れれていると考えます.算数科が,小学校全体での教育(とくに指導法・学級運営),そして中等教育との連携を十分認識した上で発展してきたこと,教科教育学の一部だったものが,「数学教育学」という一つの学問分野に進化したことは,かけ算の順序があるとかないとか,表現は式は意味内容はとかいったことよりも,別に,本エントリをここまでご覧になった方々に,ご理解いただきたいと強く願うのです.
そうすると,「数学+何か−何か=算数数学教育という言葉の式を立ててみることができます.そして,加える「何か」と引く「何か」がどんなものなのか,それぞれの「何か」を知るためにどんな本を読み,Webでどんな情報を得ていけばいいのか,などなどへと,意識が移っていきやすいのではないかと思います.加える「何か」の一つに,場面(文章題など)をもとにこれはどの演算を使えばいいと判断し,その根拠を説明できること,すなわち「演算決定」があります.
この節で見出しとして掲げた,「算数≠数学?」については,次のように考えています.同じか違うかで言うと,違います.それぞれを1次元あるいは多次元の数量ではなく,集合としたとき,算数∩数学=∅ではないのも,また確かでしょう.すると,「算数にも数学にもあるもの」,「算数にあって数学にないもの」(加える「何か」),「数学にあって算数にないもの」(引く「何か」)を,追究したくなるのです.

6. Commentsへのコメント

「倍速表記が「8x」」に関連する和英表記の比較は,http://d.hatena.ne.jp/takehikoMultiply/20120428/1335620629 で試みています.

http://nlogn.ath.cx/archives/001477.html#c002534

違っていました,すみません.リンク先は,PC機器に関連する和英表記の比較です.「何倍」というよりは「いくつ分」の話でした.

「かけ算の順序論争」について,昨年末あたりからの個人的な関心を書いておきます.
タコ2匹の足の合計は8×2と表せます.2×8だと,2本足の生物が8匹いる場合の足の合計になります.いわゆる順序派はそのように一対一で対応づけられますが,非順序派のロジックでは
「タコ2匹の足の合計を8×2と表すことができる」
「タコ2匹の足の合計を2×8と表すことができる」
「2本足の生物が8匹いるとき,足の合計を8×2と表すことができる」
「2本足の生物が8匹いるとき,足の合計を2×8と表すことができる」
がすべて真となります.
議論はたいてい,場面(文章題を含みます)から式を得る流れですが,発想を転換し,個別の式を基点として,場面へのマッピングを試みます.ここでは「8×2で表される場面の集合」「2×8で表される場面の集合」が考えられます.そうすると,順序派ではそれらの集合が異なり(A≠Bの意味であり,A∩B=∅の意味ではありません.例えば「8行2列からなるアレイのドット数」は,両方の集合に属します),非順序派では同一である(A=B)と言えます.
したがって,順序派は「書き分け」重視であり,非順序派は「式で表せる対象を広くとること」重視であると考えています.
(転載にあたり,「被順序派」は「非順序派」に変換しました.)

http://nlogn.ath.cx/archives/001477.html#c002535

8×2で表される場面の集合をS,2×8で表される場面の集合をTとすると,

  • 順序派は
    • "タコ2匹の足の数"∈S
    • "2本足が8匹の足の数"∈T
  • 非順序派は
    • "タコ2匹の足の数"∈S,"2本足が8匹の足の数"∈S
    • "タコ2匹の足の数"∈T,"2本足が8匹の足の数"∈T

となります.
この件には元ネタが2つあります.一つは,問題と解答の展開の冒頭に書いた,2つの教科書(大日本図書,東京書籍)かけ算・資料集3の「大日本図書 教科書 平成23年度版 たのしい算数 2年下」の出題です.それぞれ書き分けが期待されるだけでなく,将来,かけられる数とかける数の区別を忘れた子どもに対して,「これを見直そうね」と,リファレンスのように使えます.
もう一つは,全文検索における転置インデックスの概念です.wikipedia:転置インデックスの中の「レコード単位転置インデックス」になります.文章題から式を立てるだけでなく,式にあった文章題を作る*2という活動が行われていますが,それらを通じてかけ算の意味や,言葉と式との結びつきを学習する際,上の2つの集合についてS=Tとなるようなデータの持ち方は,粗雑なように見えるのです.


本日のタイトルは,『かけ算には順序があるのか』のもじりです.
(最終更新日時:Sat Jul 21 08:04:40 2012ごろ)

*1:「6×4,4×6論争にひそむ意味」で,『遠山啓著作集数学教育論シリーズ 5 量とはなにか 1 (1978年)』pp.114-120に収録されています.

*2:「タコ2匹で足いくつ」の問題で「2×8」と式を立てた子に対して,「それじゃ2本足のタコ8匹になっちゃうよ」と指摘することを含みます.順序派であっても非順序派であっても,"2本足が8匹の足の数"∈Tです.順序派の子なら「ああそうだった.8×2にしなきゃ」となり,非順序派の子なら「それはそうなんだけど,言いたいのは…」となりそうです.